episode.18
夜灯祭から三日後。王都西区で、小規模な魔力暴走が発生した。
「 制御式と反発しているようです!」
魔術師の声が飛ぶ。
現場となった路地裏には、不安定な赤色の魔力が渦巻いていた。
規模は大きくない。だが空気が重い。
怒り、恐怖、悲しみ――複数の感情が混線し、周囲へ漏れ出している。
「一般人の避難完了!」
「制圧術式、準備します!」
監察局員達が慌ただしく動く中、アシュレイは暴走中心を見据えていた。
中心にいるのは若い女性だった。
膝を抱えるように座り込み、震えている。
魔力は荒れ狂っているのに、その姿だけが妙に小さく見えた。
「アシュレイ、この感じって……」
ミレイアが低く呟く。
アシュレイも理解していた。
結界による感情抑制と、本人の感情が衝突している。
まるで押し込められた感情が、悲鳴を上げているような波形だった。
「制圧する」
短く告げる。それが正しい。感情暴走は広がる前に抑え込むしかない。そうしてきた。
ずっと。妹の時も。
「待ってください」
静かな声が響く。リゼだった。
アシュレイが視線を向けると、リゼは暴走する女性を見ている。
その目はいつも通り静かだった。
だが、何かを感じ取るように僅かに揺れていた。
「……この人、苦しんでます」
「当然だ。だから制圧する」
「違います」
リゼは小さく首を振る。
「必要なのは、押さえ込むことじゃない」
周囲が息を呑む。リゼはそのまま女性へ近づいていく。
「おい、危険だ!」
魔術師が制止する。だがリゼは止まらなかった。
普通ならあり得ない。
暴走の中心へ無防備に近づけば、精神を焼かれる危険すらある。
それでもリゼは歩みを止めない。アシュレイの指先が僅かに強張る。
止めるべきだ。頭では分かっている。なのに、声が出ない。
リゼは女性の前で静かに膝をついた。
赤い魔力が荒れ、空気が震える。
その瞬間、アシュレイの脳裏に過去が過った。
――怖い。
幼い声。小さな手。
泣きながら魔力を暴走させる妹。
「いや……っ、来ないで……!」
制圧術式。拘束。怯えた瞳。
誰も近づけなかった。誰も届かなかった。感情は危険だ。暴走する前に抑え込まなければならない。
そうして全てを制圧した結果、妹の時間は止まり、今も眠り続けている。
アシュレイの呼吸が一瞬だけ乱れる。
だがリゼは違った。
「大丈夫。私達は味方です」
その声が静かに落ち、暴走魔力が僅かに揺れた。
女性の瞳がゆっくりリゼを見る。
涙で滲んだ目。
「わたし……っ」
声が震える。
「苦しくて……っ、どうしたらいいの……っ」
感情が溢れる。赤い魔力が激しく波打ち、周囲の術師達が身構えた。
だがリゼは制圧術式を使わない。
押さえ込まない。ただ静かに、その感情へ触れる。
「大丈夫です」
穏やかな声だった。
「苦しいって思う事も、怖いって思う事も、楽しいも嬉しいも、全部悪い事じゃないんです」
リゼが言ったその瞬間だった。
ふわり、と。
リゼの周囲に淡い銀色の光が滲む。柔らかな光は暴走を抑えつける力ではない。
包み込むような光の粒。
まるで感情そのものへ寄り添う魔力。
ミレイアが目を見開く。
「……何、これ」
その場にいる誰も知らない魔力だった。術式ではなく、リゼの感情に呼応して自然に形を変えているように見える。
やがて、赤い魔力が少しずつ静まり、暴走が落ち着いていく。
制圧ではなく、共鳴によって。
アシュレイは目を離せなかった。
脳裏では、妹の姿が重なり続けている。
あの日、誰もこんなふうに妹に触れられなかった。誰もその苦しみに寄り添えなかった。
感情は危険なものだと思っていた。暴走したら抑え込むしかないと信じていた。
なのに、今。
リゼは感情を否定せず、受け入れる事で暴走を静めている。
あり得ない。そんな方法、存在するはずがなかった。
だがやがて、赤い魔力は完全に消え、女性は泣き崩れるように俯いた。
リゼはその背をそっと支えた。
「……終わった、のか?」
呆然と魔術師の一人が呟く。
アシュレイは答えられない。胸の奥が酷く揺れていた。
もし。
もし、あの時、妹にもこんなふうに寄り添える誰かがいたなら。
ほんの僅かに浮かんだ希望が、逆に彼の胸を締めつける。
そんな事を考えても仕方がない。過去は変わらない。
それでも。
リゼから視線を逸らせなかった。リゼはそんな事に気づかない。
ただ泣き疲れた女性へ、小さく微笑んでいた。
「落ち着いてくれて、良かったです」
その声は優しかった。
何も否定せず、何も押さえ込まず、まるで、“感情そのものを許す”みたいに。
アシュレイは無意識に、自分の胸元を掴んでいた。
苦しい。けれど、その痛みの奥で。
凍りついたままだった何かが、ほんの僅かに動き始めている気がした。
そして初めて思う。
――リゼなら、この世界の理を変えられるのかもしれない、と。




