episode.01
エリシアの里長を務めるのは、リゼの祖母であるユリアネだ。まもなく齢80になろうという所で、身体のあちこちにガタが来ていると本人は嘆いている。
そんなユリアネが長年使っている執務室の扉をノックすると、中から「どうぞ」と聞き慣れた返事が返って来て、リゼはドアノブに手をかけた。
乾いた薬草の香り。ぱちぱちと薪の爆ぜる音。
室内は暖かいはずなのに、いつもどこか冷えているように感じる。
「お客様です」
部屋の奥、暖炉の前に置かれた椅子に、ユリアネは腰掛けていた。白銀の髪を長く編み、深い紺色のローブを纏っている。
閉じた瞼の皺は深く、その姿はまるで長い冬そのもののようだった。
「………ご苦労だったね、リゼ」
ゆっくりと目を開いたユリアネは、そのまま男へ視線を向ける。里に来客が来た事はユリアネも分かっていただろう。それが王都からの使者であろうと、驚きも動揺もしない。
「王国魔術監察局、監察官アシュレイ・ヴェインだ」
男は胸元へ手を当て、簡潔に名乗った。低く落ち着いた声だった。
「ようこそエルシアへ。まあ、歓迎できるほど賑やかな里ではないけどねぇ」
ユリアネは静かに笑うと、アシュレイは淡々と答えた。
「問題ない」
その冷たい声音に感情を読み取ることは出来ない。
リゼは二人の間に立ちながら、微かな居心地の悪さを覚えていた。
王国魔術監察官。
王国において、魔法絡みの犯罪の取り締まりや危険人物の監視、結界や古代魔法の管理など、その仕事は多岐に渡る。
必要とあれば危険な魔術師を拘束し、時には処刑することさえあると聞く。
エルシアでは表向きは滅多に関わることのない存在だった。
「それで?本題を聞こうか」
ユリアネが促すと、アシュレイは一枚の書類を机へ置いた。
「王都中央結界に異常が発生している」
暖炉の火が小さく揺れる。それはまるでユリアネの動揺を表しているかのようだったが、アシュレイは気にすることなく続けた。
「三ヶ月前から不安定化が加速し、現在は局所的な亀裂も確認されている」
「……中央結界に」
ユリアネの表情が僅かに険しくなる。
王都中央結界。
数百年前、魔女たちが築いた巨大結界。王都を災厄から守る、国の要だ。
「原因は?」
「王国魔術師団では解析できていない」
アシュレイは一度言葉を切る。
「古代結界術は元々、魔女たちの技術だ。国王陛下は、エルシアに協力を求めている」
部屋に沈黙が落ちた。薪の弾ける音だけが静かに響く。
王国は魔女を恐れている。
大昔、この国は魔法が暴走した魔女による大規模災害に見舞われた。
それ以来、魔術監視局には魔女の監視権限が与えられ、魔女は事実上、国家の監視下に存在している。王国はそれ程に魔女を脅威と恐れつつ、それでも必要な時だけ、こうして頼ってくる。
昔から変わらない。
「こちらに拒否権はないようだね」
ユリアネがポツリと言葉を漏らす。
「強制はしない」
そう言いながらも、アシュレイの目は否定を許さない色をしていた。
ユリアネは小さく息を吐くと静かにリゼを見た。
その眼差しに、リゼは胸の奥が僅かに冷えるのを感じた。この後に何を言われるか、その目を見れば分かってしまう。
「リゼ」
呼ばれた名前に、背筋が伸びる。
「お前が王都へ行きな」
リゼは瞬きをした。それだけだった。
驚きも、戸惑いも、表には出ない。ただ、ローブの裾を掴む指先にだけ、微かに力が入る。
「お前に私の後を継がせるつもりは無いからね」
「……分かりました」
リゼは淡々と頷いた。
迷いも、不満も見せない。その様子に、ユリアネは僅かに目を伏せ、ため息を吐くと、煽られるように暖炉の火が静かに揺れた。
「王都へ行けば、お前は多くの人間と関わることになる。魔女を嫌う者もいるだろう」
「承知しています」
あまりにも従順な返答だった。ユリアネは小さく息を吐く。
リゼを魔女に育て上げたのは紛れもなくユリアネだ。自分がリゼをこうしてしまった。
ふと、そんな考えが胸を過る。
感情を抑えなさい。
取り乱してはいけない。
誰かに執着してはいけない。
そう教えて育ててきた。
エルシアの魔女として、正しく在れるように。だがその結果、リゼはあまりにも“優秀”になりすぎた。
「……リゼ」
呼ばれたリゼは静かに顔を上げる。
ユリアネは一瞬だけ言葉に迷い、けれど結局、口にできたのは別の言葉だった。
「失態だけは晒すんじゃないよ」
「はい、祖母様」
その返答は静かで、完璧だった。
だからこそユリアネは、胸の奥がひどく痛んだが、老いてもなお、ユリアネ自身もエルシアの魔女だ。
どうか、自由に………。
その内心が、誰かに届く事など無い。




