episode.16
王城地下書庫。
普段は限られた術師しか立ち入らないその場所には、古い紙と魔力の残滓が混ざった独特の匂いと静けさがあった。
「ここ、相変わらず空気重いわね……」
ミレイアが肩を竦めながら先を歩く。
監察局はここ数日続く魔力暴走を受け、王都結界の過去記録を洗い直していた。
現在の結界は数百年前、“大災厄”以降に張り直されたものだと言われている。
だが詳細は失われている部分が多く、残っているのは断片的な記録だけ。
「東区画の魔力異常と、古い結界式に共通点があるらしい」
アシュレイが淡々と説明する。
「だから過去資料の再確認、ですか」
「ああ」
短いやり取り。だが、以前より少しだけ空気が違う気がして、リゼは無意識に視線を逸らした。
あの日以来、アシュレイは以前より距離を取ろうとしている気がする。
なのに時折、無意識のような優しさを見せる。
外套を貸してくれた夜もそうだった。
資料室で、同僚との会話を遮られた時も。
思い出すだけで胸の奥が少し落ち着かなくなる。
(……駄目)
考えないようにする。今は任務中だ。
リゼは意識を切り替えるように古い書架へ視線を向けた。
その時だった。ふと、空気が変わったような気がして、リゼは足を止めた。
「……?」
地下書庫の奥。
積み上げられた古文書のさらに奥から、微かな魔力の揺らぎを感じた。
けれど、それは普通の魔力反応とは違う。
もっと静かで、もっと深く沈んだような感覚。
「リゼ?」
ミレイアが振り返る。リゼはゆっくりと視線を奥へ向け、目を凝らした。
「……奥に何か、あります」
アシュレイの目が細くなる。三人はそのまま書庫の奥へ進んだ。
埃を被った古い保管棚。
その最下段に、封印術式の刻まれた箱が置かれている。
「こんな物、ここにあったかしら?」
「いや」
ミレイアの問いに、アシュレイが短く答える。
封印は弱い。だが意図的に隠されていた痕跡があった。
ミレイアが眉を寄せた。
「嫌な感じするわね」
アシュレイは数秒考え、それから封印へ手を伸ばす。
術式は簡単に解ける。
箱の中に入っていたのは、一冊の古い記録書だった。
紙は酷く劣化している。
けれど魔力保存が施されていたのか、文字はまだ読める状態だった。
リゼはそっと頁を開く。
その瞬間、胸の奥に冷たい感覚が落ちた。
「……っ」
呼吸が揺れる。
そこに残っていたのは、術式ではない。感情だった。
強い後悔、悲しみ、喪失。
文字に触れた瞬間、それが流れ込むように伝わってくる。
「リゼ?」
アシュレイの声が近くなる。だがリゼは視線を逸らせなかった。
震える文字が並んでいる。
『感情は人を狂わせる』
頁をめくる。
『1番大事なものも、守れなかった』
静かな地下書庫に、紙の擦れる音だけが響く。
『もう二度と、同じ思いを繰り返したくはない』
そこでリゼの指が止まった。
次の頁には、結界術式の原型が描かれている。
王都全域を覆う巨大結界。何度も術式を書き直した後が残っている。
「これ……」
ミレイアが息を呑む。
アシュレイは黙ったまま記録を見つめていた。
リゼは文字を追いながら、小さく呟く。
「白の魔女の記録……でしょうか?」
王国に巨大結界を張った、魔法の始祖。華々しい存在である彼女の、本当の想いが書き記されていた。
「何か、辛い事があったと言う事なのでしょうか」
地下書庫の空気が静まる。
アシュレイはそんなリゼを見ていた。
感情を否定する事で、世界を安寧へと導いた魔女に何があったのか。
傷つき、壊れ、それでも誰かを守ろうとした人間としてリゼは何かを受け取ろうとしているように見えた。
その姿に、アシュレイの胸が静かに揺れる。
「……アシュレイ様?」
リゼの視線にアシュレイは一瞬だけ視線を伏せ、それから低く口を開いた。
「記録は回収する」
いつも通りの声だが、リゼは気づく。
その声が、ほんの少しだけ硬い。まるで何かを押さえ込んでいるように。
ミレイアがそんな二人を交互に見て、小さく息を吐いた。
「なるほどね」
「何だ」
「別に?」
ミレイアは肩を竦める。
「でも皮肉よね」
そう言って、古い記録へ視線を落とした。
「魔力を安定化させるために作った結界が、今は逆に綻び始めて魔力を暴走させてるなんて」
静寂が落ちる。
地下深く、誰にも知られず封じられていた記録は、長い時間を越えて再び開かれた。
そしてそこには確かに、“何かを守ろうとした痕跡”だけが残されていた




