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episode.12〜side アシュレイ〜



アシュレイは医療区画の扉の前で、一度だけ呼吸を整えた。ここに来るたびに、空気は変わらない。


静かで、過剰なものがない。魔力の流れも安定している。それがこの場所の“正常”だ。


アシュレイは扉を押し開ける。


白い光、規則正しい魔力供給音。そして、その中心で眠り続ける少女。


変わらない光景。変わらない時間。


「状態は」


背後の医療術師が淡々と答える。


「安定しています。ですが、意識は…」

「そうか」


短く返す。必要な情報はそれだけで十分だった。ここでは、変化がないことが唯一の報告になる。


アシュレイはベッドの横に立ち、視線を落とす。


指先は動かない。呼吸も一定。時間だけが均一に流れている。


「……」


この場所は、いつも正しくて変わらない。何度来ても、その正しさは揺らがない。


だからこそ、アシュレイの中で揺れるものは何も無かった。無くなっていたはずだ。


それなのに。


今日は、少しだけ違って見える。理由はすでに分かっている。


分かっているのに、まだ整理が終わっていない。


リゼ。


その名前が、思考の奥に静かに浮かび、アシュレイは眉をわずかに寄せる。


ここは妹の病室だ。


感情の種類が明確であるべき場所だ。


責任、後悔、守るべきもの、守れなかったもの。


頭に浮かぶのは、妹への感情だけだったはずだ。それなのに今は、そこに別のものが混ざっている。


リゼの存在だ。


リゼと過ごした時間は短い。それなのに無意識に浮かぶ声。


「あなたも怪我人です」


その言葉が、妙に残っている。


アシュレイは仕事柄怪我をすることもある。だがそれは仕方が無いものとして扱われる。


監察局の医療室には、国内でも腕聞きの治癒術師が集められている。だからこそ、監視官の怪我は軽視されやすい。


けれどあの時、リゼはアシュレイを監視官としてでは無く、1人の人間として接していた。例えそれがアシュレイ相手では無かったとしてもそうしたのだろう。


アシュレイはゆっくりと息を吐いた。


監視対象の魔女と監視官。リゼとの関係はそれだけだったはずだ。


最初はそう切り捨てようとした。


ただの外的要因。ただの同行者。監視対象のひとり。


そう定義すれば終わる話だった。


それなのに、思考の隙間に必ず入り込む。


気づけばリゼの事を考え、近くにいない状態が“欠けている”ように感じる。


アシュレイは視線を妹へ戻す。


ここにある感情は明確だ。


揺るがない。


守れなかったという事実。その責任と後悔。


それ以上でも以下でもない。だからこそ、ここでは迷わない。これ以上、間違う事はない。


そう思って生きてきた。


だが今、その確かさの隣に、別のものが並んでいる。


名前のつかない感覚。理屈で説明できない心地の悪さ。


それを、アシュレイはもう誤魔化さなかった。


(……認めるべきか)


心の奥で、静かに結論が落ちる。


リゼに対して抱いているものは、監視官としての関心ではない。観察対象としての評価でもない。


もっと曖昧で、もっと厄介なものだ。


それは“意識してしまう存在”という事実そのものだった。


アシュレイは目を細める。


認めることはできる。だが、それを外に出すつもりはない。彼女に知って欲しいとも、同じ思いになって欲しいとも思わない。


それは別の問題だ。


ここで重要なのは、ただ一つ。


アシュレイは監視官であるということ。彼女は監視対象で、結界異常を解消すべく利用しているだけ。


それ以上でも以下でもない。


感情は整理する。行動には出さない。距離は保つ。


その原則は変えない。変えてはいけない。


リゼがどうであれ、それは関係ない。


あの女の在り方に干渉する権利は、自分にはない。


それを壊すつもりもない。


だからこそ、これは“自分の内部だけで完結させる問題”だ。


アシュレイは静かに花瓶の花を差し替える。


動作はいつも通り、乱れはない。


ただ一つだけ、以前と違う点があるとすれば。


己の思考を否定しなくなったことだ。


リゼという存在が、自分の中で確かに影響を持っている。それを理解した上で、なお監視官として立つ。


それが答えだった。


アシュレイは妹に視線を戻す。


変わらない呼吸。止まった時間。その静けさの中で、ようやく言葉が落ちる。


「……それでいいはずだ」


静けさを背に、アシュレイは小さく決意する。


(何があっても、監視官でいる)


リゼに触れるつもりはない。踏み込むつもりもない。


だが、見落とすつもりもない。


感情がどうであれ、それとは別に、監視官としての視線だけは曇らせない。


それだけは、譲らない。


アシュレイはゆっくりと病室を出る。


扉が閉まる音が、静かに背後へ落ちた。


その音だけが、やけに遠く感じられた。




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