第20話 フォーリング・ガイズ
浮遊感───それも、数日前に味わった感覚に似ているようなものを、漠然と全身で感じた。
だが次の瞬間、酸欠とショックで飛びかけていた意識が、より強いショックで叩き起こされた。
表皮が刺すような冷気に覆われる。全身が鈍い、圧迫感にも似た痛みに満たされる。
吸い込んでしまった水が、肺からゴボゴホと音を立てて逆流する。
(なんだ…!?なにが───)
朧気な視界は空色に染まっている。
なぜだかとても息がしづらく、頭も打ち付けられるように痛いが、冷気のお陰で思考はクリアになってきた。
「サガ!おいサガ!起きろ!無事か!?」
「ロー…さ…ゴホッ!ゲホッ!」
ローグの声が聞こえた方を見ると、彼は大の字で飛んでいた。
───否、落ちていた。
ようやく気付く。目に映る空色は正しく空の色であり、自分は今、重力に身を委ね、自由落下をしている最中なのだと。
下から絶えず風が打ち付けてくる。この高度では呼吸もままならない。
「起きてはいるな!良いかサガ!今度は遥か上空に飛ばされた!数十秒後にゃミンチになるぞ!」
「何か…手は…!?」
ローグは生物ではないため、この環境下でも息苦しそうでもなんでもないようだった。
「下、見えるか!?景色が歪んでわかりにくいがあの湖だ!これから俺の魔力あそこに全ブッパして、ルアスの力も破壊しながら湖の水を吹き飛ばす!んでその波にかっさらってもらうぞ!」
「そんな、滅茶苦茶な!」
「これからの残滓集め、この程度日常茶飯事になるぜぇ!?今のうちから覚悟してろ!」
「タイミングとか!」
「フィーリングでやる!安心しろ!」
「安心できる要素どこにあるんですか!?」
そうこう言ってるうちに、もう一番低い雲がある高度を突き抜けた。
「観念しろ!今度は溺れるなよ!いくぜ!」
「でも、そうだ、ローグさん!さっき、湖に残滓が!」
「えっマジか!?だがしゃーねぇ!まだ飛べない以上生き残るにゃこれっきゃねぇ!」
ローグが自身の全魔力を右の拳に集中させる。
はち切れんばかりに凝縮された破壊の力を込めた拳を、湖を見据えながら引く。
「『破壊の───」
数百億の時を生きた神の感覚は伊達ではない。
荒く猛る破壊とは果てしなく遠いほどに正確に、緻密に、ローグの脳内で計算がされていく。
エーテルの感じ、残滓の力による景色の歪み具合、水の流動───正確無比な破壊が、解き放たれる。
「───波動!!!』」
今のローグの全力の破壊が、大気を震わせ、自由落下よりも疾く下へ、下へ。
時空の神の権能の力を砕き、歪んだ景色を逆に正しながら、破壊の波動は湖めがけて飛び込んでいく。
湖面が弾ける。いや、その程度の表現、その程度の事態では収まらない。止まらない。
火山の噴火の如く、飛沫が上がる。
破壊の波動は尚も止まらず、遂には湖の底を露にした。
落ち行く二人の体は水飛沫をもろに浴びながら、大洪水もかくやという水の奔流を受ける。
しかしてその水流は聖母の手のひらのように、時速約二百キロメートルで落下した二人を受け止め、陸まで押し流した。
水中、空、水中と来て、やっと陸に戻れたサガは、水流の第二波、第三波を寝湯のように仰向けに受けながら、生きた実感を噛み締めていた。
「おう、無事だったようだな」
ローグが視界にひょっこり現れて、見下ろしてくる。
彼の濃い肌色に、昼下がりの陽光を受けた雫が眩く光り、よく映える。
「…まあ何とか。酸欠と気圧差でどうにかなりそうでしたけど。しかし、ローグさん。何故技名を叫ぶんです?」
「男のロマンがわかっちゃいないな~おまえは。ああすると気分アガるんだよ」
呆れたような、バカにしたような様子で、ローグが見下げてくる。既に見下ろされてはいるのだが、見下げてくる。
(…まあ、俺も影でそう言うの考えたりはするけど…誰にも言わないけど───)
「お前だって影ではそう言うの憧れてるくせに」
「なんっ!?」
「はっ!かかったなバカめ!そっかそっか~やっぱり男の子だもんな~?ハッハッハ!」
イラつくニヤけたドヤ顔でローグがサガをここぞとばかりにイジり笑い倒す。
「…ローグさんって、今魔力カラッポですよね」
「あ」
大笑いしていたところで動きが凍りついたので、アゴでも外れたみたいになっている。
ゆっくりとサガが立ち上がる。大きく弱体化しているはずなのにとてつもないオーラを放っているように、ローグには見えた。
「相手と状況を考えてからそう言うことしましょうね、ローグさん?」
「いやー今のは何て言うかそのー…ん?んー…?あ?あーーー!!!オイあれ!?あれ!」
「今時『あ、U.F.O.!』なんて通じませんよローグさん」
爪を刃状に変形させたサガがジリジリと迫る。
「違えっての!ほらあれあそこ!残滓!ルアスの残滓じゃね!?」
「えっ!?」
そう聞いては流石に振り向かずにはいられない。
ローグが指差す、距離にして二十メートルほど先の岩場に、正しくつい数分前に目にした、藍色の結晶───時空の神、ルアスの残滓が転がっていた。
「取れ取れ取れ!ワープさせられる前に取れ!」
「あっヤバい波も来てる!」
多少落ち着いてきたかと思われたが、またも大きめの波が迫ってくる。
残滓は湖の割と近く、波にさらわれて見失いかねない。
慌ててサガが、次いでローグも飛び出す。約二十メートル程度二人なら一瞬だが、なにせまた転移させられかねない───とサガが思った矢先、後ろのローグの焦った声が聞こえてきた。
「不味っ!?止まるなサガ───」
残響を残してローグの姿が消えた。
咄嗟に振り返って手を伸ばそうとする体を無理矢理引き留め、前へ走る。
飛び込むように最後の一歩を強く踏み、限界まで手を伸ばし、波とほぼ同時に、指先で残滓を掴んだ。
二メートル弱はある波の勢いはとてつもない。
サガの体も押し流され、所々が岩に叩きつけられ、岩肌で傷が出来る。
それでもただ、指先に、全身全霊と握力を込め、残滓を絶対に離さない。
体感はもっと長かったが、時間にしてほんの数秒後、波が引いて岩場に転がるサガの手には、ルアスの残滓が固く握りしめられていた。




