第7話 それでも、残った人がいた
公開から三日が経った。
倉庫は毎日開けられ、出入りの記録は簡易な板に書き出された。
誰でも見られるように、あえて雑な字で。
結果は――芳しくない。
「……合いませんね」
マルクスが、疲れた声で言った。
「ええ」
私は帳簿と板を見比べる。
入庫量。
出庫量。
残量。
どこかで、必ずズレる。
理由は分かっている。
記録が消されたせいだ。
正確な基準点が、失われている。
だが、事情など――関係ない。
「だから言ったんだ」
「結局、何も分からないじゃないか」
倉庫の外では、そんな声が聞こえるようになっていた。
公開はした。
嘘もついていない。
それでも、“結果”が出なければ、信頼にはならない。
「……失敗ですね」
マルクスが、ぽつりと呟いた。
彼の目の下には、濃い影ができている。
「いいえ」
私は首を振った。
「これは、想定内よ」
彼は、驚いたように顔を上げた。
「でも……」
「最初から、完璧に合うなら、それはそれで怪しい」
私は板を指で叩いた。
「大事なのは、“合わない理由”が見えること」
とはいえ――
それを、今は誰も評価しない。
昼過ぎ、倉庫の前に人影があった。
昨日までの野次馬ではない。
立ち止まって、板を見ている。
私は近づいた。
「何か、気になることが?」
声をかけると、その男は少し驚いたように振り返った。
農民だ。
集会で前に出てきた、あの男。
「……あんた、毎日いるな」
「ええ」
「貴族は、すぐ飽きると思ってた」
その言葉は、嫌味というより事実だった。
「期待外れで、ごめんなさい」
私がそう言うと、彼は鼻を鳴らした。
「数字、昨日より減ってる」
彼は板を指差した。
「雨も降ってないのに」
「ええ」
「なら、どこかで漏れてる」
私は、少しだけ目を細めた。
「……なぜ、そう思ったの?」
「畑でも同じだ」
彼は肩をすくめた。
「減る時は、理由がある。理由が分からない時は、人が触ってる」
理屈は素朴だが、的確だった。
「名前は?」
「ヨハンだ」
彼はそう名乗った。
「……ヨハン」
私は、板の数字をもう一度見た。
「協力してもらえる?」
ヨハンは、即答しなかった。
少し考え、周囲を見回し、それから言った。
「信じてるわけじゃない」
「分かってるわ」
「でも……嘘は、今のところ見てない」
それだけ言って、彼は去っていった。
小さな、だが確かな一歩だった。
夕方、倉庫を閉める頃、もう一人が残った。
中年の女。
商人だ。荷を扱う手の、固さで分かる。
「……話がある」
彼女は、簡潔に言った。
「帳簿は信用してない。でも……」
彼女は、倉庫を見た。
「数字を隠さない奴は、久しぶりだ」
「エルナ・ミュラーよ」
そう名乗る彼女に、私は頭を下げた。
「私は、エリシア」
「知ってる」
彼女は苦笑した。
「悪役令嬢、だろ?」
私は否定しなかった。
「商人として、確認したいことがある」
「ええ」
「このやり方……続ける気か?」
「やめる理由がありません」
エルナは、少しだけ口角を上げた。
「なら、しばらく見させてもらう」
それだけ言って、彼女も去った。
マルクスが、呆然とした顔で私を見る。
「……信じて、もらえたんですか?」
「いいえ」
私は、はっきり言った。
「まだよ」
だが――
「残った人がいる。それで十分」
信頼は、一気に広がらない。
最初は、点だ。
でも、その点は――
確実に、ここに残った。
失敗の中で。
疑いの中で。
それでも、私は前を向く。
証明の時間は、まだ始まったばかりだ。




