第36話 助けない決断
正式な要請だった。
封蝋も、署名も、責任者も揃っている。
だが――足りない。
「……条件を、満たしていません」
マルクスが、静かに言った。
「ええ」
私は、書簡を机に置く。
西方の小領。
連年の不作と負債。
倉庫は空に近い。
『全面的な財政再建の指導を願いたい』
重い言葉だ。
「責任者は?」
「名目上の領主は病床。実務は複数の家臣が分担」
私は、目を閉じた。
分担は、分散だ。
分散は、責任の希薄化だ。
「決定権の所在は?」
「不明確です」
「記録公開は?」
「消極的です」
私は、ゆっくりと息を吐いた。
条件は、三つ。
決定権。
記録公開。
途中で逃げないこと。
どれも、満たしていない。
「……断ります」
ミーナが、顔を上げた。
「本当に?」
「ええ」
私は、逃げない。
「今、介入すれば」
板に線を引く。
「失敗したとき、誰も責任を負いません」
それは、確実に壊れる形だ。
数日後。
西方小領で、混乱が起きた。
徴税延期の宣言。
倉庫の管理者交代。
統制が崩れる。
商人が、城下に押し寄せる。
「なぜ助けない!」
その言葉は、直接ではない。
噂として、届く。
“レインヴァルトに断られた”
それだけで、十分だ。
ミーナが、震える声で言った。
「……救えたかもしれない」
「ええ」
私は、即答する。
「かもしれない」
だが。
「救えなかった可能性の方が高い」
沈黙。
「そして」
私は、静かに続ける。
「その失敗は、私の名前で記録される」
マルクスが、視線を落とす。
夜。
西方小領の倉庫が、暴徒に破られた。
死者は出なかった。
だが、統治は崩れた。
翌日、王都から短い通達が届く。
『状況を注視する』
それだけだ。
助ける気も、責任を負う気もない。
私は、帳簿を閉じた。
胸の奥が、重い。
助けられなかったのではない。
助けなかった。
それは、決断だ。
ミーナが、静かに言った。
「……正しかったんですか」
私は、少しだけ考えた。
「分かりません」
それが、本音だ。
「でも」
私は、窓の外を見る。
「壊れる形には、加担しなかった」
それだけは、確かだ。
調整役は、万能ではない。
全部は、救えない。
それでも――
救えないと分かっている形に、
自分から飛び込まない。
それが、最後の線だった。
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