第3話 帳簿は、嘘をついていた
夜は静かだった。
城の中に人が少ないせいもあるが、それ以上に――この土地そのものが、音を失っているように感じられる。
執務室のランプの下、私は一人、帳簿を開いていた。
昼間に受け取った三年分の収支記録。
紙質は悪くない。文字も整っている。
形式だけを見れば、よく管理された帳簿だ。
それが、なおさら気に入らなかった。
「……やっぱり、おかしい」
私は指先でページをなぞりながら、数字を追う。
穀物税。
通行税。
雑費。
人件費。
どれも、整いすぎている。
年が違っても、季節が違っても、金額の振れ幅がほとんどない。
天候不順も、疫病も、人口減少も――何も起きていないかのようだ。
そんなわけがない。
帳簿は、現実の影だ。
現実が歪めば、必ず影も歪む。
私は別の帳簿を取り出した。
倉庫管理記録。食糧の入出庫表。
……こちらは、荒れている。
数字が合わない。
日付が飛んでいる。
同じ量が、何度も出庫されたことになっている。
「ふう……」
小さく息を吐いた。
やはり、というべきか。
財政が破綻しかけているのに、誰も気づかないはずがない。
気づいていて、黙っている。
あるいは――気づかせないようにしている。
控えめなノック音がした。
「……失礼します」
マルクスだった。
こんな時間に来るということは、眠れていないのだろう。
「どうかした?」
「いえ……その……灯りが見えたので」
彼は遠慮がちに中へ入り、机の上の帳簿を見て、苦い顔をした。
「……やはり、おかしいですか」
「ええ」
私は即答した。
「正確に言えば、“おかしく見せないようにしている”帳簿ね」
マルクスは唇を噛んだ。
「前任の管理官は……数字が合っていれば問題ない、と……」
「それは、“数字が現実を表している”場合だけよ」
私は帳簿を閉じ、彼を見た。
「質問するわ。正直に答えて」
マルクスは背筋を伸ばした。
「はい」
「この領地で、食糧が余っていると感じたことは?」
「……ありません」
「税が適正だと思ったことは?」
「……いいえ」
「それなのに、帳簿は毎年黒字。どう思う?」
沈黙。
やがて、彼は小さく首を振った。
「……見ないようにしていました」
責める気にはならなかった。
人は、どうしようもない状況では現実から目を逸らす。
それは、弱さではなく――生存本能だ。
「大丈夫よ」
私は静かに言った。
「今から、見るから」
マルクスは、はっとしたように顔を上げた。
「……本当に、やるんですね」
「ええ」
私は立ち上がり、帳簿を抱えた。
「まずは、全部洗い出す。嘘も、誤魔化しも、希望的観測も」
「……敵を作りますよ」
「もう、十分作っているわ」
少しだけ、口元が緩んだ。
彼は、困ったように笑った。
「では……何から?」
私は、倉庫の記録を指で叩いた。
「ここから。食糧は命よ。誤魔化しが一番出やすい」
窓の外では、風が吹いていた。
小さな音を立てて、城壁を撫でていく。
帳簿は嘘をついていた。
だが――
「嘘があるなら、必ず痕跡が残る」
それを見つけるのが、私の仕事だ。
この領地が、本当にどれだけ壊れているのか。
まずは、それを知るところから始めよう。
夜は、まだ長い。
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