第19話 参照される領地
視察の申し入れは、断るほどの数ではなかった。
だが、無視できるほど少なくもない。
「……隣接するローゼン伯爵領より、正式な視察願いです」
マルクスが、書類を差し出す。
「目的は?」
「“財政再建の参考”とあります」
私は、紙面に目を走らせた。
丁寧な文面。
だが、行間に焦りが滲んでいる。
「受けましょう」
即答だった。
隠す理由はない。
誇る理由もない。
数日後、ローゼン伯爵――ハインリヒ・フォン・ローゼンは、随行二名だけを連れて現れた。
背筋が伸び、服装は整っている。
視線は、自然と上から下へ落ちる。
「君が、噂の」
言葉を選んでいるようで、選んでいない。
「エリシア・フォン・レインヴァルトです」
私は、形式通りに名乗った。
「……思ったより、若い」
それが、第一声だった。
「そうでしょうか」
私は、笑わなかった。
応接室で、帳簿を出す。
彼は、椅子に深く腰掛け、腕を組んだ。
「まず確認したい」
ハインリヒは、前置きもなく言った。
「この領地は、黒字ではないな」
「ええ」
私は、否定しない。
「成功例ではありません」
彼の眉が、わずかに動いた。
「では、なぜ注目されている」
「潰れなかったからです」
沈黙。
彼は、帳簿を手に取った。
数分、ページをめくる音だけが続く。
「……数字が、正直すぎる」
それは、褒め言葉ではない。
「ご期待に沿えず、申し訳ありません」
私は、淡々と答えた。
「期待など、していない」
彼は、帳簿を閉じた。
「ただ、知りたかった」
視線が、こちらに向く。
「なぜ、ここは“まだある”」
午後、城下町を案内する。
市場。
倉庫。
農地。
どれも、整ってはいない。
だが、止まってもいない。
「……派手さがないな」
「ええ」
「成果も、遅い」
「その通りです」
彼は、鼻で笑った。
「それで、真似しろと言われても困る」
「真似しないでください」
私は、はっきり言った。
彼が、足を止める。
「……何だと?」
「前提が違います」
私は、彼を見た。
「人も、規模も、歴史も」
だから。
「ここは、参考にする場所です。答えではありません」
しばらくの沈黙。
やがて、彼は小さく息を吐いた。
「……面倒なやり方だ」
「はい」
私は、否定しない。
夕方、彼は帰り支度をした。
「礼を言う」
唐突だった。
「教えられたとは言わん」
だが。
「無視できないとは、思った」
それだけ言って、去っていく。
その夜、マルクスが言った。
「……真似されますね」
「ええ」
私は、帳簿を閉じた。
「でも、同じにはならない」
この領地は、模範ではない。
成功例でもない。
ただ――
誰かが困った時、
**参照される場所**になっただけだ。
それで、十分だ。
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