第12話 切らない改革
翌朝、執務室は静かだった。
マルクスは、椅子に座ったまま動いていない。
机の上の書類は整理されているが、触れられていない。
「……今日は、休んで」
私がそう言うと、彼は首を振った。
「逃げたいわけじゃありません」
声は弱いが、視線は逸らさない。
「ただ……自分が、何をしているのか分からなくなった」
それは、限界の言葉だった。
「なら」
私は、椅子を引いて彼の前に座った。
「役割を変えましょう」
彼は、戸惑ったように眉をひそめる。
「……降ろされる、という意味ですか」
「いいえ」
私は即答した。
「一人で背負わせすぎました」
マルクスは、言葉を失った。
昼、関係者を集めた。
徴税係。
倉庫番。
数人の文官。
全員、緊張した顔をしている。
「今日から、やり方を変えます」
私は、板を立てかけた。
「今まで、判断は一か所に集まっていました」
板に、一本の線を引く。
「それを、分けます」
線を、三本に分ける。
「記録係。判断係。公開係」
ざわめきが起こる。
「記録係は、事実を書く。判断しない」
「判断係は、条件に照らす。感情を入れない」
「公開係は、全部見せる。隠さない」
私は、マルクスを見た。
「あなたは、記録係の責任者になります」
彼は、目を見開いた。
「判断は、私が引き受ける」
それは、責任を引き取る宣言だった。
「……それでは、領主様が潰れます」
誰かが言った。
「潰れません」
私は、淡々と答えた。
「判断は、一人でやりません」
板に、新しい線を足す。
「相談役を置きます」
ヨハン。
エルナ。
二人の名前を書く。
場が、静まり返る。
「領民と商人を、制度の外に置かない」
それが、切らない改革だ。
「不正は、ゼロになりません」
私は、はっきり言った。
「だから、見つけやすくします」
完璧を目指さない。
続けられる形を作る。
「……反発が出ます」
「出ます」
「責任の所在が曖昧だと……」
「曖昧にしません」
私は、板を指した。
「記録は個人名。判断は私。公開は全員」
逃げ場をなくす配置だ。
マルクスが、ゆっくりと息を吐いた。
「……それなら」
彼は、初めて小さく笑った。
「続けられます」
その言葉に、場の空気が少しだけ緩む。
夕方、エルナが言った。
「嫌われるわよ」
「知ってる」
「でも……」
彼女は、肩をすくめた。
「商売としては、嫌いじゃない」
ヨハンは、短く言った。
「逃げ道がない」
「ええ」
私は、頷いた。
「だから、嘘も減る」
夜、帳簿を閉じる。
判断の重さは、確かに増えた。
だが、支える手も増えた。
切らない改革は、甘くない。
誰も救われない日もある。
それでも――
「……これなら、続く」
私は、そう判断した。
壊さず、捨てず、切らない。
この領地は、
**人が潰れない形で、生き延びる。**
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