9.お姫様の手
グレンは耳を疑った。
何か重大な理由があって、わざわざ危険に身を置いているのかと思えば、「いざと言う時に戦えないから」とは。
「本来それは、俺たちの仕事なんだが?」
「もちろんです」
「だったら、お姫様らしく馬車でおとなしくしてても……」
ふと思い出して、グレンは言葉を切った。襲撃の際、アイリーン嬢はナイフの一投で、魔族を屠る手際を見せている。あの一手が糸口となって、グレンは反撃に転じることができた。彼女はこの年齢にして、すでに戦いの機微と言うものを心得ているようだ。加えてウィル先生の弟子なのだから、剣の腕も推して量るべきであろう。
とは言え、
「どんなに腕が長けていたとしても、子供が人を殺すところはあまり見たくないな」
グレンは苦言を一つ吐く。なにより、達人でも死ぬときは死ぬのだ。しかし、そもそも戦場に立たなければ、誰かに殺される危険は減る。
「わかりました。殺人は、なるべく大人に任せます」
イアンは素直に言った。
「ほかに何かありますか?」
グレンは考えた。今のところ、次の襲撃に警戒する以外にできることはない。そして、それは自分の仕事だ。
「特にない。準備をして出発しよう。おそらく、今日は関所で一泊することになる」
グレンは立ち上がり、忙しく働く部下たちの方へ歩き出した。しかし、すぐに足を止めて振り返り、丁寧に頭を下げる。
「無礼な口を利きましたが、どうかご勘弁ください。失礼のないようにしゃべろうとすると、要点を言いそびれてしまいますので」
「構いません」
ウィル先生は寛大にも言った。
グレンはもう一度お辞儀し、貴人たちの前を辞した。すぐにイアンが追いかけてきて、グレンの横に並ぶ。グレンは彼のつむじをちらりと見て、今までみたいに気安く頭を撫でられなくなったことを、少し残念に思った。
グレンは部下たちに野営用のテントを張るように指示し、その中に自力で歩くことができなくなった者たちを運び込ませた。関所に着いたら詰めている兵士に頼み込んで、彼らを回収してもらうつもりだった。銀をいくらか握らせれば、喜んでとまではいかないにせよ、むげに断られることもないだろう。
怪我人たちの番に、エドを置いて行く。戦闘でケンカ友だちのカールを失い、ひどく傷心していたので、そうするのが適当に思えた。たぶん、これで友人との別れの時間も作れるだろう。
残る護衛の冒険者は、グレンも含めて五人。しかし、関所を越えれば警らの兵士がいるので、賊を心配する必要はない。
グレンは出発を合図し、一行は再び街道を進む。少々急いだので、関所には日没前にたどり着くことができた。入管の手続きを進めながら、怪我人の搬送を兵士に頼み、さらに貴人たちが一夜を過ごす宿泊所の手配をする。大忙しだ。
イアンもあれこれ手伝おうとするが、グレンはやんわりとたしなめ、追い返した。荷解きやら夕食の配膳やら、小姓の仕事があるはずなのに、主人をほったらかしにするのは偽装の上でよろしくない。しかし、やけに渋るので理由を聞いてみると、彼はグレンたちとテントに泊まりたかったらしい。
これまでは、マリエのために必ず宿場町に泊まっていたので、テントの出番はなかった。しかし、関所の宿泊所は部屋数が限られているので、護衛のグレンたちは兵士に指示された空き地で野営することになっている。イアンとしては、この貴重な機会を逃したくないと考えたようだが、お姫様をむさくるしい冒険者と雑魚寝させるわけにはいかない。あきらめてもらうしかなかった。
もしグレンが、イアンの正体を知らないままだったらどうしただろう。貴人たちにうかがいを立てて、彼がテントで寝る許可を取り付けていただろうか。考えてみたが、答えは出なかった。
翌朝、一行はカノーラ伯爵の城へ向けて出発した。負傷者たちは関所の療養所で、ともかく動けるようになるまで預かってもらうことになった。そのあたりの手筈は、ありがたいことにウィル先生が付けてくれた。滞在と療養に掛かる費用も心配無用とのこと。実に太っ腹である。
道中は、当然のようにイアンが隣にいた。油断すると、彼がお姫様であることを忘れてしまう。しかし、イアン少年は、いずれこの世界から消えるのだ。それを思うと、グレンは少しばかり感傷的な気分になった。
宿場町を三つほど過ぎて、一行はいよいよカノーラの城下町にたどり着いた。ナバの港町とさほど変わらない賑わいで、治安も悪くないように見える。ただし潮風が無い分、汗ばむような気温である。夜になれば、逆にぐっと冷え込むだろう。内陸の街とは、そう言うものだ。
グレンたち冒険者の護衛契約は、ここまでだった。ウィル先生は、横一列に並んだ冒険者に、一人ずつ貨幣の詰まった袋を手渡し、ねぎらいの言葉をかけて行く。報酬を受け取った冒険者たちは、さっそく街へと繰り出して行った。あとは各々飯を食って酒を飲み、安宿に一泊してから、ナバへ帰るだけだ。
しかし、グレンはその場にとどまった。
「カノーラの領主様は、迎えをよこしてくれるのですか?」
余計なおせっかいかとは思いながら、グレンはウィル先生にたずねた。
「特に、そう言った申し出は受けておりません」
代わりにイアンが答える。いまだ男装は解いていないが、彼女はもうアイリーン嬢の顔になっていた。
「よろしければ、城までお供いたします。荷馬車の御者も必要でしょうし」
ここまでは、部下たちがそれを担っていた。歩かずにすむので、人気の役だった。
「追加の報酬は用意しておりませんよ?」
「構いません。ただ、帰りの護衛も、私にご依頼いただければありがたいと思いまして」
「隊長さんは、抜け目がないですね」
アイリーン嬢は、イアンの顔でくすりと笑う。
「一人でぶらぶら帰ったところで路銀の無駄だろ?」
「確かに」
そんなわけで、グレンは引き続き護衛を務めることとなった。もちろん、街中で賊に襲われる危険はほとんどない。裏路地ならごろつきの一人や二人に絡まれることもあるだろうが、馬車が通れるような大通りで、その手の仕事をする者はいないだろう。
ひとまず一行は近場の宿屋へ入る。泊まるわけではない。アイリーン嬢が着替えるためである。まさか少年の格好で王弟殿下を訪問するわけにも行くまい。
マリエは借りた部屋へ置いて行くことになった。グレンが一人で大丈夫かと聞くと、マリエはちょっと顔を赤らめながら「ちゃんとお留守番します」と答えた。それでも少々心配だったので、宿の女将に数枚の銀貨を握らせ、気がけてくれるように頼む。おかげでせっかくもらった報酬は目減りしたが、酒に消えるよりは有意義な使い方である。
それからグレンは馬車馬の世話と積み荷の番をしながら、姫君のお戻りを待った。たっぷり二時間くらい待つことを覚悟していたが、その予想ははずれた。
たかだか三十分ほどで、目の覚めるような青いドレスに身を包んだ少女が宿の入口に現れた。淡い金髪の美しい少女は、グレンににこりと微笑みかける。
「お嬢様、馬車の準備は整っております」
グレンはうやうやしくお辞儀をくれて言った。
「ありがとう」
アイリーンはこくりと頷き、礼を言う。
グレンは馬車の扉を開け、兵士らしく直立不動で幼い淑女が乗り込むのを待った。ところが、あろうことかアイリーン嬢は、グレンに向かって左手を差し出す。俺は騎士じゃなくて、ただの兵隊なんだけどなあ、と胸の内でぼやきながらも、その小さな手を取って彼女が馬車に乗り込むのを手伝った。姫君の手は、剣ダコとマメの痕で意外にも硬かった。




