6.謎の襲撃者
旅は極めて順調だった。
今はカノーラの関所まで数マイルというところ。ここまで盗賊の襲撃はせいぜい二度くらいだし、魔物との遭遇は三度で済んだ。いずれも護衛の冒険者たちが難なく対処してくれたから、誰かが死んだり深刻な怪我を負うことはなかった。
おかげで、イアンが自分の身を守るために武器を手にすることは、ただの一度もなかった。そもそも、そう言った事態においては、冒険者たちの中で一番の腕利きであるグレン隊長が、卵を守る雌鶏よろしくイアンに張り付いていたから、危険と言うものを感じることさえなかった。
もちろん、イアンは雇い主の所有物である。グレンにしてみれば、職務上そうせざるを得ない理由もあるだろう。ただ、彼にはそれ以上に、イアンを子ども扱いして甘やかすことが、自分の義務であると思い込んでいる節もあった。
イアンとしては、それはくすぐったい反面、心地よくもあった。なんなら、もっと早くに子供っぽく振る舞うための練習をしておけばよかったなどと、いささか見当違いの後悔をするほどに。
ただ、グレン以外の誰かが同じような態度で接してきたら、いくらか侮辱されているように思えたかもしれない。
イアンがよく知っている大人の男性は、父親とウィル先生くらいだ。どちらも、いささかトシを食っている。しかしグレンは若かった。おそらく行って、三十路に足を掛けたくらいだろう。つまり、とイアンは考える。自分はグレンに対して、生涯に持つことのできなかった兄に対する憧憬のようなものを抱いているのだ。試しに「お兄さま」だとか「兄上」などと呼んでやろうか。あるいは「兄貴」も面白そうだ。ちなみにイアンは、年若い魔法の教師とも面識はあったが、彼のことは完璧に記憶から抜け落ちている。
下らないことをつらつらと考えていると、黒覆面の怪しげな連中がばらばらと飛び出してきて道を塞いだ。ざっと見て十数人。毎度のごとく、冒険者たちは円陣を組んで馬車を守る。しかし、襲撃者の一人が呪文を唱え、直後に冒険者の一人が消し炭になった。
「退け、魔族だ!」
グレンが叫んだ。
通常、訓練不足の兵士がこんな状況に遭遇した場合、思いもよらない行動に出がちである。大抵は上官の命令を無視し、各々が勝手なことをする。その場に立ちすくんだり、パニックを起こして敵に突っ込んだり。しかし、グレン配下の冒険者たちは、誰一人欠けることなく、また一瞬も迷わず姿を消した。
実に見事なものだ。
イアンが知る限り、普通は冒険者に資格などなく、例え隠居の老爺でも自分は冒険者だと言えば冒険者になれる。従って、能力はピンキリである。しかし、頭に「ナバの」と付く場合は、その限りではない。彼らはすべからくナバの領主が置いた施設での軍事訓練を義務付けられており、見た目は町のごろつきと大差ないにしても、中身は自称冒険者とは比べ物にならなかった。おかげでナバの冒険者は王国内に引く手あまたで、彼らの報酬に課せられる税収は少なからず、領主の懐を潤している。
とは言え、今この場で馬車を守るのは、イアンとグレン、そして御者台にいるウィル先生だけになってしまった。雇い主の側からしてみれば、あまりにも不義理と言えるが、相手が魔族なら、それも致し方ない。
魔族とは強力な魔法の使い手であるばかりか、身体的にも一般的な人間とは一線を画す超人である。どれほど優秀であろうと、ただの冒険者が正攻法で太刀打ちできる相手ではないのだ。
「降参する。積み荷はくれてやるから、俺と客たちの命は恵んでくれ!」
グレン隊長が両手を挙げて降伏した。しかし彼が職務放棄したわけでないことを、イアンは知っている。
目の前の襲撃者が「真っ当」な盗賊であれば、これで目的の積み荷を奪い、さっさと退散してくれるだろう。
盗賊たちにとって、盗みは仕事なのだ。もし通りかかる旅人を、毎度の襲撃でみな殺しにしていれば、いずれその道を使う者がいなくなり、彼らはおまんまの食い上げとなる。しかし、それはまだマシな方で、下手をすれば国や領主に睨まれ、軍隊を派遣されかねない。そうならないよう、彼らは節度を持って盗み、なんなら持って行く額やら分量について、交渉を持ち掛けてくることさえある。
一方で、盗賊に襲われた旅人、特に商人は積み荷に保険を掛けているから、万が一襲撃を受けたとしても損失は最小限で済むのだ。
かくして街道の治安は微妙なバランスのもとに保たれているわけであるが、当然のことながら、これを理解できない者や、あえて無視する者もいる。特に、その目的が積み荷ではない場合。
グレンの降伏は効果をなさず、襲撃者の一人が剣で斬りかかってきた。
イアンは腰のナイフを引き抜き、素早く投擲する。ナイフは襲撃者の顔の真ん中に柄まで突き刺さる。当然、即死だった。もちろん、突進の勢いまでは殺せないから、刺された襲撃者はグレンの足元まで来てばったりと倒れ込んだ。
グレンの動きは素早かった。抜刀するなり死体を飛び越え、瞬く間に襲撃者を一人、斬り伏せる。
イアンは胸の内で「お見事」とほめながら、顔にナイフを生やした襲撃者の死体から剣を奪い構えた。
その横を、抜刀したウィル先生が外套を翻しながら駆け抜ける。
イアンとしては、彼に馬車を守ってもらいたかったのだが、どうやらその役をイアンに押し付けるつもりでいるようだ。
「術者を」
ウィル先生は複数の敵をいっぺんにあしらいながら、短く言った。
グレンは一人をひょいとかわし、後方で両腕を前に突き出している敵を、右腕ごと袈裟懸けに斬り伏せた。
達人たちの戦いに見入っていたイアンだが、背後に奇妙な気配を覚えて馬車を振り向く。それと同時に馬車の中から小さな悲鳴が上がる。
まったく唐突に現れた覆面の一人が、馬車の扉に取り付こうとしていた。いつの間に、と言う疑問をとりあえず引っ込め、イアンは馬車に向かって駆けた。しかし、一歩遅かった。
内側から勢いよく開けられた馬車の扉が、襲撃者をしたたかに打った。襲撃者は、よたよたとたたらを踏む。すぐさま馬車の中からスカートの裾を翻して侍女が飛び出し、真っ黒な手甲をはめた拳で襲撃者の胸を打つ。襲撃者は一瞬がくりと膝を折ってから、馬にでも蹴られたかのように二、三メートルほど吹っ飛んで、意識を失った。
「ドロシー!」
イアンは侍女に呼び掛けた。
ドロシーは任せろと言うように親指を立てて返す。馬車の中には、怯える少女の顔が見えた。
改めて戦場へ向かおうとするイアンだったが、こちらも手遅れだった。敵の数が半分ほどになったところで、グレンが命令を発した。
「掛かれ!」
先ほど逃げ出したはずの冒険者たちが、そこらの藪や木立の陰から現れ、わっとばかりに敵へ襲い掛かった。内に二人の達人、外は数に勝る冒険者。いかに超人的な力を持つ魔族と言えど、もはや対抗するすべはなく、たちまち骸となって地面に転がるのだった。




