3.婿取り作戦
「私が名代?」
アイリーンは驚いて聞き返した。
「そうだ」
「子供に名代など務まるわけがありません」
「この書斎に入ってから今の今まで、子供らしいところなど一つもなかったぞ?」
そう言われると返す言葉もない。
「とは言え」
と、伯爵は続ける。
「先方がお前を侮って、取引相手と見なさないのも困るからな。誰か適当な者を秘書につけよう」
「もちろんです」
そう言ってから、アイリーンはこれが懸案を晴らす好機だととらえた。
「それなら、ウィル先生をお願いします」
彼が専属秘書になってくれれば何かと心強いし、引き続き師範役も頼めるだろう。
「ウィルなら申し分ないな。後で彼に、私から伝えておく」
よしよし、うまく行った。しかし、なぜ父は自身で赴かず、名代を送ろうと考えたのだろう。
「でも、どうして私なんですか?」
アイリーンは率直に聞いた。
「相手は王族だ。お前がうまく顔を繋いでくれれば、王家の誰かを婿養子として迎えられるかもしれない。私が行ったのでは、そうは転がりそうにないからな」
ナバ伯爵の妻は、アイリーンを生んで間もなく他界しており、他に妾などもいなかったから、子はアイリーンただ一人。アイリーンは、いずれ父が親戚筋から男児を養子に迎え、跡取りに指名するだろうと考えていたが、どうやら彼には別の目論見があったようだ。
確かに王家の血筋を取り込むことができれば、ナバ伯爵家の権勢は大いに拡大するだろう。とは言え、謀反を疑われていると言うのに、いささか暢気がすぎないか?
「善処します」
アイリーンは言った。ともかく、今回は釣り餌として頑張るしかない。大物が引っ掛かれば、父も喜んでくれるだろう。
「それほど急いではいないから、せいぜい良い男を見付けてきてくれ。ああ、それともう一通、お前に見てもらいたい手紙があるんだ」
ナバ伯爵は、別の手紙を差し出した。
アイリーンは、カノーラ伯爵からの手紙を父の机に置き、次の手紙を受け取った。署名はエウラ男爵とあって、それを見たアイリーンは思わず息をのんだ。
「エウラ男爵はダンジョン研究の大家だ」
ナバ伯爵は、なにやら探るような目で娘を見て言う。
「知っています」
まさにアイリーンは、エウラ男爵の著書でダンジョンについてあれこれと学んだのだ。
「彼は自分の研究の助けとして、お前の意見を聞きたいらしい。屋敷に招待したいが、叶わなければ自分が足を運ぶとまで言ってきている。ずいぶん、熱心じゃないか。いつ知り合ったんだ?」
「お会いしたことは一度もありません」
「あの」
ドロシーが口を挟んだ。
親娘は同時に侍女を見た。
「お嬢様は一週間前、エウラ先生の著書に感銘を受け、ご自身の考察を記した手紙をお出しになりました。これは、そのお返事ではないかと」
記憶にないことなので、アイリーンは一瞬戸惑ったが、すぐにこれがドロシーの言う「仕込み」であることに気付いた。
「ダンジョンの研究までやっているのか?」
「勉強の合間に本を読むくらいで、研究と言うほどではありません」
「しかし、片手間のレポートで大先生からお呼びが掛かるのだから、なかなかのものだと思うがな。ともかく、カノーラの件が片付いたら行ってくると良い」
父の言葉を聞いて、アイリーンは目をぱちくりさせた。
「どうした?」
「いえ。余計なことはしないで普通の勉強に力を入れろ、とは言わないんですね」
「余計なことではないだろう。ダンジョンから出る品々は、骨とう品として高値で取引されることもあるんだ。もし譲ってもらえそうなものがあれば、何か土産をもらってきてくれ」
「さすがです、お父様」
「ちっとも尊敬しているようには聞こえないぞ?」
伯爵は一つ咳払いした。
「儲けの有り無しはともかく、私はお前がやりたいと言ったことを邪魔するつもりはない。さすがに危険なことは止めるが、これでも応援しているつもりだぞ?」
言われてみれば、彼は一文にもならないのに高価な植栽を引っこ抜いてまで、剣を習いたいと言う娘のために練習場を作ってくれたのだった。
「愛してます、お父様」
アイリーンは心の底から言った。
「私もだよ。話は以上だ。カノーラへの出発の日取りについては、こちらで調整しよう。お前はいつでも発てるよう準備をしておいてくれ」
「ありがとう、ドロシー!」
アイリーンは自室へ戻るなり、子供らしくドロシーを抱きしめて謝意をくれた。もし、この機会にエウラ男爵の生徒になることができれば、彼に付き従ってダンジョンを探索することができるかも知れない。
「少々時間は掛かりましたが、うまく行ってなによりです。もちろん、エウラ男爵宛の手紙をでっち上げるために、お嬢様の机を漁ったことは大目に見ていただければと思いますが」
「なんですって?」
アイリーンはぎょっとした。
「エウラ先生を釣り上げるなら、彼の興味を引くような餌が必要だったんです。あいにくと私はダンジョンに関する学術的な知識は持ち合わせておりませんから、お嬢様が書き溜めたレポートをちょっと拝借させていただきました。それとも、何か見られたくないものでも隠しておられましたか?」
その日に食べたもののことしか書いていない上にやたらと間の空いた日記や、妄想を書きなぐっただけの下手な詩集などは、正直なところ墓まで持っていきたいと思っている。
「とにかく、今後は止めてちょうだい」
「承知しました」
ドロシーはぺこりと頭を下げた。
「エウラ先生に送った手紙は、写しを取ってあるのよね?」
「はい。後で差し上げますので、ご覧になってください」
さすがドロシー、とアイリーンは胸の内で侍女をほめた。口に出して言わないのは、勝手に机を漁られた報復である。
それはともかく、アイリーンには別件で気がかりなことがあった。彼女は稽古着を脱ぎながら、独り言のようにつぶやく。
「お父様にはああ言ったけど、カノーラ伯爵のやりようは何か引っ掛かるわね」
「と、申しますと?」
ドロシーが着替えを手伝いながら、たずねてくる。
「十年前に王太子のハロルド殿下がお生まれになって、継承順位が繰り下がってから、彼の政治への影響力が弱まってるの。その上、ここ数年はプロゼンとの諍いがうやむやになって、軍事面におけるカノーラの重要性はかなり薄れてる状況でしょ。おかげで、彼の支持者はどんどん数を減らして行ってるってわけ。そんな時に、敵を増やすような手紙を、わざわざ送ったりするかしら。むしろ、逆じゃない?」
「お嬢様が想像している以上に、大人はバカですからね。目先のことしか見えていない連中は、当たり前のようにいますよ」
「王に次いで権力を持った人間がそんなバカじゃ、国が傾くわ」
「バカ者や愚か者が権力を持っても、どうにか国が傾かないように法律と言うものがあるんです。ところで、早く脱いでいただけませんか。急いで汗を拭かないと臭くなりますよ。まあ、お嬢様の臭いならどんな臭いでも、私はうっとりしてしまいますけど」
「そのうち、顔の真ん前でおならをしてあげるわ」
もちろん、アイリーンは冗談のつもりで言ったのだが、なぜかドロシーは真顔になった。てっきり怒られると思っていたら、
「それは楽しみですね」
予想外の返事に、アイリーンはただただ面食らうしかなかった。




