23.帰りの馬車の中で
事件を片付け、アイリーンたちは帰路に就いた。
あの後すぐに――と言うわけでは無い。
ひとまずたっぷり食事を摂り、一晩を泥のように寝て身体を休めてからだ。
次いで宿に残したマリエの回収と諸々の事後処理、そして旅支度を終え、ナバへ向けて出発できたのは事件の三日後だった。
付け届けの金品を載せた荷馬車は、城にそのまま置いてきた。もはやカノーラ伯爵のご機嫌をとる必要は無いから持ち帰っても構わないのだが、そのために護衛の冒険者を募っていては、いつ出発できるかわからない。回収は、またいずれと言うことになるだろう。
ウィル先生も城に残した。
首魁ではないにせよ、王太子の誘拐と監禁に関わった王弟殿下は、もはや要衝たるカノーラの地を任せる領主に価しない。さすがに爵位を召し上げることまではできないが、ハロルドは王の代理として、彼に領主の権限の停止と、王の沙汰が下るまで蟄居を命じた。とは言え、国境の領地に政治の空白が生じては他国の侵入を許しかねないから、信用に足り領地経営の能力を持つ人物を、代官として据える必要があった。そんなわけで、ウィル先生に白羽の矢が立ったのだ。
もちろん能力だけ見れば、英才教育で鍛えられたアイリーンにも務まる仕事だし、実際ハロルドからの打診もあった。しかし、大名家であるナバ伯爵の名代が、実質的な天領を一時的にせよ支配することになれば、世間にいらぬ憶測を呼びかねない。なんと言っても、アイリーンは女なのだ。継承権で王弟に対立する王太子をたぶらかしたのではないか、と勘繰られる事態は避けねばならぬ。
と言うわけで、アイリーンは要請を丁重に断った。なにより、さっさと帰ってエウラ男爵との会談に備えたかった。
こうして、アイリーンは帰りの馬車にいるわけだが、彼女の隣にはドロシーがおり、なぜか向かいの席にはハロルドが座っていた。
王太子の言い分によれば、辺境のカノーラから王都までは相当な距離があるので、一旦ナバまでアイリーンたちに同行し、そこから船便で王都へ戻るのが最速になるらしい。
真偽はともかく、彼の師匠のアラリコは狭い馬車が苦手だから、陸路より海路を良しとしたのは納得である。
実際、今のアラリコは馬車と並んで歩いていた。
健脚である。
一般的な魔法使いは頭脳労働者であり、肉体的には貧弱だとイメージされがちであるが、真実は異なる。
師匠のアラリコもそうだが、弟子のハロルドも精神的肉体的に、相当タフだ。さもなければ、半月以上にも及ぶ監禁生活を耐えられるはずもない。
いや、彼らは魔法使いではなく、魔術師だった。いまだにアイリーンは、両者の違いを理解しきれていなかったが、ひょっとすると魔術師の要件には、頑強さが含まれるのかも知れない。
背中の壁越しに、マリエの笑い声が聞こえてきた。彼女は今、手綱を握るグレンと一緒に御者台にいる。
お姫様の演技から解放されたマリエは、年相応の女の子としてふるまっていたが、グレンに対して少々、懐きすぎているように見える。
少しおどけたような口調の、グレンの声も聞こえてくる。
アイリーンがイアンの姿を捨てドレスを着てから、彼は少しよそよそしくなってしまった。その代わりなのか、傭兵隊長はマリエを甘やかすようになった。
理由はわからないが、アイリーンはそれがちょっと面白くない。
「なんか、また厄介ごとか。眉間にしわが寄ってるぞ?」
ハロルドが聞いてくる。
「そうね」
グレンの件とは別に、懸念は残っている。
「あなたを、あなたそっくりの人形と差し替えて、王国を支配しようとした魔族たちの企みに、プロゼンはどう関わっているのか。そもそも、プロゼンの関与はあったのか。その辺りが、まだ何もわかってないの」
「けど、プロゼンに行ったエディが、戻ったら人形になってたんだろ。だったら、この騒動はプロゼンの企みと見ていいんじゃないか?」
「プロゼンにたどり着けていれば、ね。私みたいに道中で襲われてたかも知れないでしょ?」
「なるほど」
ハロルドは腕を組み、アイリーンとおそろいで眉間にしわを刻んだ。
「そもそも、エディは何のためにプロゼンへ行こうとしたのかしら」
王族が軽々に国境を越え、敵国を訪問するなど普通はありえない。
「なんでも城を訪れたプロゼンの商人と意気投合して、彼が取り扱っていた特別な品を買い付けに行ったそうだよ」
「なんなの、特別な品って?」
「さあ?」
ハロルドは肩をすくめた。
「なんだか怪しい話ね。そもそも、そんな話、いつ誰に聞いたの?」
「出発前に、ちょっと叔父上とおしゃべりしたんだ」
「尋問するなら同席したかったわ」
「おしゃべりって言っただろ?」
ハロルドは渋い顔をする。
懸念はまだある。
カノーラ伯爵の息子が人形に差し替えられていたのであれば、他の貴族たちも人知れず人形と置き換わっている可能性があった。まさにアイリーンも、そのために誘拐されかけたのだ。
もしそうなら、人間と人形を見分ける方法を、早々に考え出す必要があった。
どこかを切って、流れる血の色を見るか?
赤なら人、黒なら人形。
いやいや、もっと穏便な方法を見付けねばならぬ。
「まあ、考えても答えは出そうにないし、これは保留にしようぜ」
ハロルドはあっけらかんと言った。
「それより、あのだらしない体形なのにバカ強いオッサン召喚獣、あれ一体なんなんだ?」
「オッサン召喚獣?」
アイリーンはオウム返しに聞く。
「他に言いようがないだろ?」
「先輩のあなたがわからないのに、新米魔術師の私にわかるはずがないでしょ?」
「それもそうか」
ハロルドは腕組みをしてうーんとうなった。
「逆に聞くけど、召喚獣ってなに?」
「あんな化け物を、知らずに呼び出したのか?」
「ぜんぜん知らないわけじゃないわ。アラリコ先生の本を読んで、その辺りはちゃんと頭に入ってるの。でも、なんて言うか、知っているのに理解できない?」
面積を求める方程式は知っていても、式の根拠がわからない状況と似ている。それを理解するには、積分と言う異なる知識が必要であることも分かる。分かるが、その先をどうすれば良いか、まったくわからないのだ。
「この学問にありがちなことさ」
ハロルドは苦笑いを浮かべる。
「召喚獣は、こことは違う世界の生き物なんだ。ただ、その世界はおれたちの世界とは全く違う。生き物の在り様も、物理法則も。重力が何倍もあったり、ひょっとしたら川が海にくだるんじゃなく山を駆けのぼるかも知れない」
それを聞いて、アイリーンは背筋に冷たいものが走った。
「ちょっと待って。彼らの出身地によっては、まったく無敵で制御不能になるってこと?」
「まあ、そう言う世界もあるだろうな」
ハロルドはあっさり言った。
一方でアイリーンは、ますます肝を冷やす。窮地を乗り越えようとして唱えた呪文が、危うく世界を滅ぼすところだったのだ。
「勉強が必要ね」
これは、ますますアラリコの引き抜きを、本気で検討しなければならない。が、今はどうすることもできないから、ハロルドに倣って保留としよう。
「他に何か、気になることはない?」
アイリーンがたずねると、ハロルドはちょっと考えてから口を開いた。
「なんで叔父上は、君をおれの塔へ送り込もうなんてアイディアを思い付いたんだ。たまたま、黒幕の思惑通り?」
アイリーンは、すぐには答えを言わなかった。
「あ、そうか。黒幕はコンスタンスで、彼女は叔父上のお気に入りだから、ただ自分がして欲しい提案をするだけでよかったんだ」
「正解」
アイリーンは小さく拍手した。
「けどさ、それなら叔父上をさっさと人形にしてしまえば、それこそやりたい放題だったんじゃないか。たとえば、君を捕まえて人形にすることも、襲撃より簡単で確実だったはずだろ。どうしてコンスタンスは、そうしなかったんだ?」
確かにそうだ。
人形に無害な老爺を演じさせていれば、アイリーンも大いに油断していただろう。
「人形に、したくなかったのよ」
ドロシーが代わりに答えた。
「どういうこと?」
ハロルドとアイリーンは、そろって首を傾げた。
「王弟殿下がコンスタンスに入れ込んでいたのは明らかだけど、実はコンスタンスも彼にめろめろだったの。自分の好きな人を自我の無い人形になんて、したくないでしょ?」
ハロルドは目をぱちくりさせ、アイリーンに目をやった。
アイリーンは首を振った。彼女も、その考えには至っていなかった。しかし思い返してみれば、エドワードは父親の体を気に掛けていた。彼を操っていたのがコンスタンスであれば、それは彼女自身の好意の顕れだったのかも知れない。
「二人とも賢いけど、まだまだお子様だったってことね」
ドロシーはにやにや笑う。
「自分だって、そんなに年上ってわけじゃないだろ?」
ハロルドは指摘する。
「ええ、そうよ。でも、あなたが知らないことを、私はたくさん知ってるの」




