16.地下道
石板の下には丸い竪穴があった。ぼんやりとだが石畳の底が見えるので、さほど深いものではない。手前側の面には昇降用の梯子があった。鉄製で多少の錆びは浮いているが、降りている途中でいきなり崩れ落ちる心配はなさそうである。
穴の中が不意に明るくなり、横からハロルドが覗き込んでくる。おそらく魔術を使ったのだろう。
「秘密の抜け穴か?」
ハロルドが聞いてくる。
「いいえ。扉のからくりを手入れするための穴よ。でも、通路が左右に伸びてるみたい。ねえ、ロウソクとか木切れとか、何か燃えるものはない?」
アラリコが、何もない所から火のついた麻紐を取り出し、アイリーンに差し出した。
「ありがとう、先生」
アイリーンは麻紐を受け取ると、それを穴の中に投げ落とす。
麻紐は底に落ちても、消えずに燃え続けた。
「なにやってるんだ?」
ハロルドが怪訝な顔をする。
「こう言う穴の中って、空気が悪くなってることがあるの。空気が悪いと火は消えるし、私たちは息ができなくなって死んでしまう」
「火も呼吸してるってこと?」
「そうよ」
「なんで、そんなこと知ってるんだ?」
「本に書いてあったの」
もちろん、ダンジョン探索の心得について著された、エウラ先生の本に、である。
安全が確認できたので、アイリーンはナイフの柄を口にくわえて竪穴を降りた。床に足が着くなり武器を構えるが、辺りに人の気配はないので、ナイフは鞘に戻した。
穴の深さは三メートルほどで、上から見た通り、左右に通路が伸びている。天井はアーチ形で、石の積み方からすると、かなり古い時代に作られたもののようである。当然のことながら照明の類はないので、通路がどこまで続いているかは見通せない。
扉の真下辺りは、壁がへこんで房のようになっていた。調べると案の定、歯車と軸とバネの機構が天井に取り付けてあった。こちらも多少の錆びは見られるが、扉の仕掛けはちゃんと機能していたので、動きに影響はないようだ。
アイリーンは梯子をよじ登った。そうして、穴から出るなりハロルドに言った。
「着替えてきて。寝間着はダンジョン探検に向かないと思うの」
「ダンジョン?」
「秘密の地下通路なんだもの。そう言ってもいいでしょう?」
「なるほど。ちょっとワクワクしてきたぞ」
「私もよ。荷物があったら持ってきて。うまく行けば、もう戻って来ることもないと思うし」
ハロルドは「オーケー」と言って、階段を駆け上がって行った。
アイリーンは、アラリコに目を向けた。
「先生も、必要なものがあれば今のうちに」
「問題ない」
アラリコは、何もない空中から本を取り出した。塔の上で、熱心に読みふけっていた例の本だ。
彼の、魔術と筋肉を使い分ける判断基準はどうなっているのだろう、とアイリーンは少し不思議に思う。
「それ、なんの本なんですか?」
アイリーンが興味本位で聞くと、アラリコは本を差し出した。
アイリーンは本を受け取り、適当なページを開いた。見たこともない文字がずらずらと並んでいる。
ところが奇妙なことに、アイリーンはそれを読むことができた。なにやら文章の意味が、頭の中に直接流れ込んでくるような感覚だ。しかし、読めるからと言って理解できるわけではない。ただ知識だけが、つらつらと蓄積されていく。
アイリーンは本を閉じ、アラリコに返した。ちょっと頭がくらくらする。
「読めたか?」
アラリコは問う。
「読むことはできましたが、理解はできませんでした」
「十分だ。ともかく、其方にも適性はあると言うことがわかった」
「適性って、魔術のってことですか?」
アイリーンは驚いた。彼女に魔法を教えていた教師は、アイリーンに魔法の適性は無いと断じていたからだ。それとも、魔法と魔術は別物なのだろうか。
「そうだ。適性がなければ、この文字は無意味な模様にしか見えない」
無事にナバへ帰れたら、彼に魔術の指南役を打診してみようかしら、とアイリーンは考える。ハロルドと取り合いになるかも知れないが、その時はうまく丸め込むことにしよう。
ほどなくしてハロルドが戻ってきた。貴族らしい装いだが、狩りの時などに着る動きやすい服で、腰には細身の剣が差してある。こうして見ると、彼はちゃんと王子様だった。
他に荷物のようなものは持っていない。たぶん、魔術でどこかにしまってあるのだろう。
アイリーンは再び竪穴を降り、ハロルドが続いた。アラリコは巨漢が災いして少しばかり穴につかえたが、どうにか抜け出ることができた。
「これ、どこに続いてるんだろう?」
ハロルドは言って、小さな光の玉を指先に灯した。
「多分、城壁に沿って他の塔につながってるんじゃないかしら。全部の塔の扉に同じからくりがあるとしたら、手入れや点検の度に穴を昇り降りするのは面倒でしょ?」
「確かに。それか、城内まで攻めてきた敵に気付かれないように、別の塔へ移るための隠し通路だったりしないかな。あっちの塔に逃げ込んだ兵隊が、こっちの塔から出て来たってなったら、敵もびっくりするだろ?」
ハロルドは言って、ニヤッと笑った。
「それ、面白いわね。どっちにしても、見張りのいない塔まで移動できれば、こっそり外へ出られるわ。とりあえず、あっちに行ってみましょう?」
アイリーンが左側の通路を指差すと、ハロルドはそちらへ向けて指先の光球を飛ばした。光球はホタルのようにふわふわと漂いながら、一行の先導を始める。
通路は、アイリーンとハロルドが肩を並べて歩ける程度の幅はあったが、アラリコには少々窮屈そうだった。何より頭が天井にぶつかりそうである。これは通路が低いのではなく、アラリコの体格が規格外すぎるためだろう。
それにしても――とアイリーンは、歩きながら壁に指を這わせてみる。地面の下の空間は、どうしても水が浸入するものだ。雨水であったり、あるいは地下水であったり。しかし、ここはしっかり乾燥しており、地下道にありがちな苔や虫の姿が見られない。どうやっているのかはわからないが、排水と通気に相当気を配った設計になっているのだろう。からくりや鉄梯子の錆が少ないのは、おそらくそのおかげである。
しばらく進むと、アイリーンの読み通り昇降用の鉄梯子と、からくりを収める房が現れた。おそらく、この上には別の塔がある。しかし、すぐ隣の塔から出ては、見張りに見つかる恐れがあったので、アイリーンはそれを素通りし、次の昇降口で足を止めた。
最初にアラリコが梯子を上る。昇降口は重たい石の蓋で塞がれているから、彼でなくては開けられないのだ。
アイリーンが続く。塔の中に人気はなく、照明の魔法も掛けられていないので真っ暗だった。しかし、すぐに昇降口から光球が漂い出て、辺りを明るく照らす。見たところ、構造的にはハロルドが閉じ込められていた塔と、まったく変わりない。
穴から顔を出したハロルドを、アラリコが引っ張り上げるのを見て、アイリーンは内扉を開けた。外扉には取っ手が付いていた。全部の塔が、牢獄に改造されているわけではなさそうだ。
扉越しに外を探るが、見張りがいるような気配はない。ひとまず、アイリーンが一人で外に出る。ハロルドたちが閉じ込められていた西塔は、館の角に隠れて見えない。
一旦扉を閉じてノックすると、ハロルドとアラリコも出てくる。
アイリーンは人差し指を口に当ててから、こそこそと館の外周を歩き、前庭へ向かう。約束通り、そこには馬車があった。
「お待たせ。ハロルド殿下と魔術師のアラリコ先生よ」
馬車に駆け寄るなり、アイリーンは手早く紹介した。
「お二人とも、馬車の中へ」
ドロシーは言った。彼女はドレスではなく、体にぴったりとした上着とズボンを身に着けていた。剣の稽古着に似ているが、もっと体の線が浮き出て少々はしたなく思える。しかし、機能的であることは間違いない。
ハロルドが状況もわきまえず「わーぉ!」と言うので、アイリーンは一瞬頭をはたいてやろうとも思ったが、その前にグレンが扉を開け、アラリコがハロルドを抱え上げ中に放り込んだ。中から小さく「ぎゃっ」と声が上がったが、忙しいので誰も大丈夫かと問うことはしなかった。すぐに後にドロシーが続き、グレンはアラリコに目配せする。
「私は徒歩で結構。狭い所は、いささか苦手でな」
アラリコが言う。
グレンは頷き、馬車の扉を閉め、アイリーンに目を向ける。
「姫様は、ウィル先生と御者台に」
「わかった」
アイリーンは頷く。
グレンはアイリーンの脇に手を入れ、彼女をひょいと抱え上げてから、ウィル先生の隣に置いた。
「無事でよかった」
グレンは言った。
「そっちもね」
アイリーンが言うと、グレンはわずかに笑みを返した。
「グレン、門を開けてください」
ウィル先生は言うなり手綱を揺らし、馬車はきしきしと車輪を鳴らして動き出した。




