15.逃げ道を探せ
アイリーンが最初に思いついた脱出口は、窓だった。今いる区画は城壁の外に面しているから小さな射眼しかないが、中庭から見た時は比較的大きな窓が見えた。それは、仕切り壁で区切られた半円の反対側にあるはずだ。
そちらはハロルドの個室になっている。アイリーンが頼み込むと、ハロルドは快く通してくれた。王子様は自分の部屋に女の子がいると言ってはしゃいでいるが、アイリーンはそれを無視した。
ハロルドの部屋は、ベッドが一台に椅子とテーブルが一セットあるだけの、ひどく殺風景なところだった。例の手紙が届いた日から逆算してみると、彼はもう半月近くもこんな場所で過ごしていることになる。
窓は正面にあった。巨漢のアラリコでも窓枠に頭をぶつけない程度に大きな窓だ。それなのに、外の冷気はまったく入ってこない。おそらく、これも何かしらの魔法を使っているのだろう。
この開口は本来、武器や礫を櫓まで運び入れるためのもので、むしろ搬入口と呼ぶべきものだった。外には荷物を吊り上げるための滑車もあるが、かなり錆び付いており、ちゃんと使えるか怪しかった。とは言え、窓から脱出するだけなら、わざわざ滑車を使うこともないだろう。長いロープが一本と、縛る場所があれば、それで良い。
しかしハロルドたちが、そんな簡単なことをこれまで試さなかったと言うことは、それができない理由があるに違いない。
それについてアイリーンが尋ねると、ハロルドは窓の下を指差した。
「ずっと見張られてるからな」
窓から顔を突き出して見ると、真下に二人の兵士の姿があった。朝まで彼らを引き留めておくと言ったコンスタンスの約束は、当然のごとく守られていなかった。つまり、他の脱出口を探すしかない。
「トイレはどこ?」
アイリーンは聞いた。
「ええっ、それは、その……」
ハロルドの方が照れる。
「さっさと教えて。別に使いたいわけじゃないわ」
「アラリコの部屋にある」
アイリーンはハロルドの部屋を出た。
アラリコは相変わらず本を読んでいる。邪魔するのも悪いので、ついてきたハロルドに目配せする。
ハロルドは、アイリーンが昇ってきた昇降口の方へ向かった。その奥は、ちょうど半円の角があって、よく見ると床には取っ手のついた木の蓋がある。蓋を開けると穴があり、城壁の一部と濠が見えた。それは出し狭間と呼ばれるもので、礫や煮えたぎった油、糞尿などを落として城壁をよじ登ってくる敵を攻撃するための設備である。しかし、残念ながら人間を落とせるほど大きくはない。探せば他にも何箇所か、同じものを見付けられるはずだが、おそらくどれも変わりないだろう。
「ちょっと通れそうにないわね」
穴を覗き込みながら、アイリーンはつぶやいた。
「通れたとしても、ここを出口にするのは勘弁してほしいなあ」
ハロルドは苦い表情で言う。
アイリーンは蓋を閉じ、ふと気付いて振り向いた。
右手には射眼のある壁、左手は仕切り壁だ。仕切り壁の向こうには、搬入口がある。
城が攻められれば櫓の中に射手が詰め、攻め寄せる敵に射眼から矢を射かけることになる。当然、矢は補充しなければならない。しかし、搬入口から運び込んだ矢を射手の元へ運ぶとき、この仕切り壁は邪魔以外の何物でもなかった。なぜこんなものがあるのか。
おそらくこの壁は、後から設えられたものだ。床に伏せてよくよく調べてみると、壁の下端と床板の間には、小指が入るほどの空隙がある。
「ねえ」
と、アイリーンはハロルドに尋ねた。
「あなたの部屋の窓って、最初っからあんなに開放的だったの?」
「いや、元は木の板で塞いであったぞ。けど、暗いし埃臭かったから魔術で吹っ飛ばした」
ハロルドは空中で指をくるくる回して見せた。
やはり、元々は防衛施設だったものを、後から牢獄に作り替えたのだ。おそらく、今いるアラリコの部屋は、本来は牢番が詰めているはずである。
もう一つ、アイリーンには気になる点があった。
「下の扉は調べたことある?」
外扉は内側の取っ手が無く、外から内への一方通行になっていた。牢獄としては正しいが、防衛施設としては意味が分からない。
「外と内の扉を同時に開かないようにする、からくり仕掛けがあるみたいだな。片方をちゃんと閉めないと、もう片方には錠が掛かって絶対開けられなくなるってやつ」
「両方閉じてたけど、外扉はぜんぜん開かなかったわ」
「取っ手をひねって仕掛けを解除しないと開かないんだ。けど、外扉は内側の取っ手がないから、外からじゃないとそれができない」
ひょっとすると、本来あった取っ手を、牢獄に改造した時にもぎ取ったのかも知れない。
「魔法で外から開けられないの?」
ダメもとでアイリーンは聞いてみる。
「開けたって、いつも見張りがいるから意味ないよ」
ハロルドは肩をすくめた。
「アラリコ先生なら、見張りの一人や二人くらいやっつけられそうだけど。それに、あなたには魔術もあるでしょう?」
アラリコは全身筋肉で覆われた巨漢だし、ハロルドは窓をふさいでいた板を吹っ飛ばす程度の魔術を使える。
「いっぺんやってみたけど、騒ぎに気付いた兵隊がぞろぞろ出て来たんで、ここに籠城することに決めたんだ」
すでに実行済みだったか。
「今は援軍待ちなんだけど、お姫様一人しか来なかった」
「一人じゃないわ。私の剣の師匠のウィル先生と、護衛の冒険者のグレンと、侍女のドロシーも連れてきたの。今頃は、馬車を用意して待ってくれてるはずよ」
城下町の宿にはマリエもいるが、偽姫様を戦力に数えるべきではない。ここから逃げ出した後で、彼女をどうやって回収するかも考えておかなければ。
「侍女って美人?」
「ええ。とびきりの美人よ」
「ばいんぼいん?」
ハロルドは胸とお尻の辺りで、両手を丸く動かした。
「それほどでもないけど」
「ちぇ」
「魔族を殴り殺せるくらいには強いから、変な気は起こさない方がいいわ」
ドロシーに殴られた魔族の様子を見て、グレンは馬に蹴られたのかと疑っていたほどだ。
「それ、本当に侍女なの?」
ハロルドは顔をひきつらせた。
「とにかく、ここを出ないことには始まらないわ。下に行ってみましょう?」
アイリーンはハロルドを引き連れて階段を下りた。
扉の前まで来ると、アイリーンはそれを開けて取っ手の周囲を観察した。仕掛けは単純なもので、取っ手をひねると溝を切ったボルトが、扉の側面から出たり入ったりする。それが壁に開けられた穴の中に差し込まれることで、扉を固定するのだ。おそらく、もう一方の扉を開けると、何かしらの仕掛けがボルトの溝を噛んで、取っ手が回せなくなるのだろう。
ダンジョンに付随する迷宮にも、この類のからくりは散見される。扉の開閉を制御する以外にも、矢が飛び出したり、落とし穴が口をあけたりと言った、物騒な罠もある。そして、それらは大抵、壁の裏側や床下に機械的な仕組みが隠されているものだ。
アイリーンはナイフを引き抜いた。途端にバチンと音が鳴って、ナイフはアイリーンの手を飛び出し、床に転がった。面白い魔術だが、今は邪魔でしかなかった。
「ねえ、ナイフを使いたいんだけど?」
「オーケー、ちょっと待って」
ハロルドはぶつぶつと呪文を唱えた。
アイリーンは床に落ちたナイフを指先で触れ、何も起きないことを確認してから柄を掴んだ。そうして、扉周辺の壁や床を柄頭でこつこつ叩く。
案の定、一つだけ違う音を立てる床石があった。
隙間にナイフの刃を差し込むと、それはわずかに動いた。てこのようにして刃を抉ると、床石の端が浮き上がる。
床石に見せかけた石板だった。厚さは二センチほどしかないが、縦横は一メートルほどもあるので、まあまあ重い。
さて、どうしたものか。ナイフから手を離せば、石板は元の位置にはまり込んでしまう。助けが必要だった。
「すげえ。こんなのがあるなんて、今までぜんぜん気付かなかった」
ハロルドは目を丸くするばかりで、手伝おうともしない。とは言え、彼の細腕で、これが持ち上がるとも思えない。
「感心してないで、アラリコ先生を連れてきてちょうだい」
ハロルドは階段を駆け上がり、すぐにアラリコを連れて戻ってきた。
巨漢の魔術師は状況を見るや、すぐに石板を持ち上げ脇に置く。
「ありがとう、先生」
アイリーンが礼を言うと、アラリコは一つうなずいた。しかし、よくよく考えてみると、魔法を使えばハロルドでもどうにかできたのではないか。いや、そもそもナイフを使う必要すらなかったかも知れない。
アイリーンは、刃が曲がってしまったお気に入りのナイフを見て、小さくため息を落とした。




