14.魔術師たちの塔
吹き抜けの天井を抜けると、そこは半円形の部屋になっていた。
中心を仕切る板壁は比較的新しいようだが、床は古びた板材で組まれ、表面は灰色にくすんでいる。天井は、瀝青を塗った梁や屋根の裏板がむき出しに見えていた。
壁に射眼がいくつも切られているので、アイリーンがいる区画はおそらく城壁の外側にあたるのだろう。
部屋の奥に、黒いローブをまとう禿頭の男がいた。髪がないせいではっきりとは分からないが、年齢はおそらくウィル先生と変わらないくらいだ。
そんないい大人が、なんとも珍妙なことをしている。
机に着いて、熱心に本を読みふけっているのだが、彼が使う机と椅子と本は、どれもおもちゃのように小さかった。
いや、違う――と、アイリーンは目をこすって自分の認識を訂正した。
周りのものが小さいのではなく、この男が大きいのだ。
「客か」
禿頭の男は、のそりと立ち上がった。身の丈は、おそらく二メートルを超える。肩の筋肉が大きく盛り上がっているせいで、身体からいきなり頭が生えているように見えた。角ばった顔の真ん中の、大きな鷲鼻がよく目立つ。
「私はアラリコ、魔術の徒である。其方は?」
なにやら古臭い言葉で大男は言った。
「アラリコ先生」
アイリーンは丁寧にお辞儀をした。相手の身分はわからないが、年長者にはひとまず敬意を払うべきだ。
「私はナバ伯爵が娘、アイリーンと申します。このような夜分にて無礼は承知にございますが、こちらに王太子殿下がいらっしゃると伺い、お目通りを請いに参りました」
「生憎と殿下は床に就いておられる。出直すがよろしかろう」
魔術師はにべもなく言った。
それができれば苦労はしない。
「待て待て待て!」
仕切り壁の向こうから、子供の声が上がった。
「今、娘って聞こえたぞ?」
魔術師の背後で、扉が勢いよく開かれ、寝間着姿の少年が飛び出してくる。
美少年ではないが、人好きのする顔立ちで、はちみつ色の髪はふわふわのくせっ毛である。
少年はアイリーンを見るなり目を丸くし、
「ヒャッハー、女だー!」
両手を真ん前に突き出し、指をわきわきさせながらアイリーンに突進してきた。
アイリーンが半身でかわすと、少年は石壁に激突し、仰向けにひっくり返った。束の間を置いて少年はむくりと起き上がり、
「避けるなよ!」
アイリーンに抗議する。
「そんな、いやらしい顔で襲ってきたら、避けない方がおかしいわ」
斬り伏せなかっただけ、感謝してほしい。
少年は自分の顔をぺたぺた触ってから、魔術師に目を向けた。
「アラリコ、おれってそんなにいやらしい顔してる?」
「そうだな。まるで知性を感じられん」
アラリコは重々しくうなずいて言った。
少年は咳払いすると、立ち上がってぴしりと背筋を伸ばし、完璧なお辞儀を披露した。
「失礼しました、レディ。私はこの国の王ヘンリーの子、ハロルドと申します。久しぶりの女人の姿に我を忘れ無礼を働いてしまいましたが、よく見ればおれと大して変わんないただの子供じゃん。もっとこう、ばいんぼいんな方が好みなんだけど、そんな感じのひとは連れてきてないの?」
これが、王子?
どう見ても寝間着姿のクソガキである。
「殿下。ナバ伯爵の娘、アイリーンと申します」
ともかく、アイリーンもお辞儀を返す。
「アイリーンって呼んでいい?」
王子は聞いてくる。
「御意のままに」
王太子殿下の御所望とあれば、是非もない。
「じゃあ、アイリーン。なんでスカートじゃないの?」
「身を守るには不向きでしたので」
「あー、確かにね。ひょっとして、おれがどう言う状況かわかってる?」
「はい。殿下の叔父君から、この塔に囚われていると耳にしました」
「じゃあ、おれを助けに来てくれたんだ」
「そのつもりでしたが、今は私も殿下と同様、ここへ囚われております」
「マジかよ」
ハロルドは盛大なため息をついた。
アイリーンは少しばかり申し訳ない気持ちになった。
「手紙作戦、うまく行ったと思ったのに」
「手紙作戦?」
まったく威儀のないハロルドの態度につられ、アイリーンもついつい実用的な口調で聞いてしまう。
「うん。叔父上の名前で無礼な手紙を出したら、ナバ伯爵が怒って軍隊を寄越してくると思ったんだ」
「あの手紙は、あなたが送ったの。謀反の噂がどうとか?」
「それそれ。ちょっと拝借した叔父上の手紙に細工して、早馬の荷にこっそり紛れ込ませたんだ。おれの名前で『捕まってるから助けて』なんて書いたら、そんなわけがないって捨てられるかもしれないし」
確かに、真っ先にいたずらを疑われそうである。本物だとしても、厄介ごとに巻き込まれるのを嫌って無視するかも知れない。とは言え、内容がまずかった。
「ねえ。謀反を疑われてやることは、まず弁明でしょ。軍隊なんか寄越したら、開き直ったって思わるわ」
アイリーンが指摘すると、ハロルドは目をぱちくりさせた。
「それは考えなかった」
考えてほしかった。そして、もし彼の目論見通りに事が進んだとしても、王国内に内戦と言う重大事を引き起こすことになりかねないので、その点にも留意してほしかった。
「あのね、ハロルド。私がカノーラへ来たのは、まさに弁明のためなの。当然、軍隊なんか連れてきてないし、そもそもお父様はそこまで短気じゃないわ」
「ええっ。でも、ナバ伯爵は前の戦争で敵将を何人も倒して一番の戦功をあげた荒武者だって、父上から聞いたぞ。なんか、味方には戦神、敵からは人喰い鬼なんてあだ名で呼ばれてたらしい」
「聞いたことないわ」
アイリーンは驚いた。彼女が知る父は、戦働きよりも机に向かっている方がしっくりくる。剣を振っている姿すら見たことがない。
「人殺しで有名になるつもりはないって言って、その時はまだ王子だった父上に、手柄とご褒美を全部譲ったんだってさ」
節制を好み不正を厭うなる陛下の評価は、どうやらその逸話が由来のようだ。
「まあ、これを知ってるのはおれと父上と叔父上と、あとは従兄弟のエドワードだけだし、アイリーンが知らなくても当然だな」
「ひょっとして、内緒の話?」
「そうだよ。誰にも言うなよ?」
ハロルドは釘を刺す。
「あなたもエドワードも、ずいぶん簡単に秘密をばらすのね」
アイリーンはあきれて言った。
「あいつと一緒にするなよ」
ハロルドはしかめっ面をする。
「おしゃべりエディは見境なしにしゃべるけど、おれは相手を選ぶんだ。アイリーンは娘なんだから、むしろ知っておくべきだろ?」
「そうね。うん、教えてくれてありがとう」
確かに、これは良いことを聞いた。帰ったら、父に手合わせをお願いしてみよう。
「けど、そっか。軍隊はなしかあ」
ハロルドは床に座り込み、腕を組んでうーんとうなった。
「あの、殿下……」
聞きたいことがあったので、アイリーンは身を屈めた。
ハロルドが右手を突き出し、言葉をさえぎる。
「ハロルドだ。お行儀よくやってたんじゃ、言わなきゃいけないことを言いそびれるぞ」
なにやら、グレンみたいなことを言う。
確かに不敬は今さらであるから、アイリーンも床に座り込んで問い直す。
「ねえ、ハロルド。いくつか聞かせてくれる?」
「いいよ」
ハロルドは頷く。
「カノーラ伯爵が、あなたを人質に取って陛下を脅迫してるって本当なの?」
「叔父上が、おれをどうしようとしてるのかはわからない。でも、ここへおれたちを閉じ込めたのは間違いないし、何度か兵士を送って寄越したりもしたから、まあ……何か企んでるのは間違いないんだろうな」
ハロルドの口元がへの字にゆがむ。身内から命を脅かされて、少なからず心を痛めているのだろう。
「どうやって刺客をおっぱらったの。ここには二人しかいないみたいだし、どう見てもあなたたちは武装しているように見えないわ?」
とは言えアラリコの方は、腕を一振りするだけで、大の男でも簡単に吹っ飛ばせそうではある。
「この塔には、武器を持つと小さい雷が起きる魔術を掛けてるんだ。まあ、ビリッとするだけで怪我したり死んだりはしないけど、とても武器は持っていられなくなる」
アイリーンは、試しにナイフを抜いてみた。途端にパチッと音が鳴って、手の平に鋭い痛みが走り、思わずナイフを取り落とす。雷と言うから、どこかから稲妻でも飛んでくるのかと思ったが、それらしいものは見えなかった。
「いい術だろ?」
ハロルドはにっと白い歯を見せてから、短く呪文を唱えた。床に落ちたナイフは空中に浮かび、ふわふわと飛んでアイリーンの腰の鞘に戻った。
「あなた、魔法使いなの?」
「正しくは魔術師だな」
ハロルドは訂正する。
アイリーンに、その二つの違いはわからなかったが、ともかく我が王国の王太子が、特殊な技能の持ち主で、かつなかなかの手練れであることはわかった。
「で、アラリコはおれの師匠」
そのアラリコは、再び机に戻り本を読みふけっていた。
「けど、魔術なら何でもできるなんて考えないでくれよ。本当に万能なら、さっさとここから逃げ出してる」
その通りだ。となれば脱出には、知恵と筋肉と鋼が必要になる。そして、それはアイリーンの領分だった。




