12.深夜の訪問者
扉をノックする音を耳にして、アイリーンはベッドのわきに立て掛けておいた剣を掴んだ。
今は深夜。誰かが訪ねてくるにせよ、まともな理由ではあるまい。
ロウソクが一本だけ灯る薄暗い部屋の中、ドロシーが足音も立てず扉の前に向かう。侍女は夜着ではなく簡素なドレスを着ている。そしてアイリーンも、この事態を想定し、イアン少年の格好をしていた。
「どなた?」
ドロシーの誰何に、扉の向こうから答えが返ってくる。
「コンスタンスです。お嬢様にお伝えしたいことがございます」
「こんな夜中に、無礼ですよ」
ドロシーは咎めた。
「申し訳ございません。しかし、王太子殿下について、とある陰謀が家中に巡らされているのです。人目を避けるためにも、このような夜更けに訪ねるしかありませんでした」
アイリーンとドロシーは目を合わせた。
なんとも剣呑な話ではないか。
アイリーンは声に出さず、口の形だけで「なんにん?」とたずねた。
ドロシーは指を一本立てる。
どうやら扉の外には、コンスタンスしかいないようである。誰かに脅されて、扉を開けさせようとしている可能性も考えたが、とりこし苦労だった。
アイリーンは、身振りで扉を開けるよう合図した。
ドロシーが扉を開けると、手燭を持った女中が立っていた。彼女はこの期に及んでなお、畏まった様子で目を伏せている。
「とりあえず、入って」
アイリーンは、剣をベッドの上掛けの中に隠しながら言った。
コンスタンスは言われるがまま部屋に入り、ドロシーはその背後で扉を閉める。
「ハロルド殿下が、どうされたの?」
アイリーンは尋ねた。
「殿下は今、塔に幽閉されております。旦那様は王太子殿下を人質に取り、国王陛下を脅迫して王位を簒奪するつもりなのです」
どうやら心配していた陰謀が、まさに進行中のようだ。すると講和会議とやらは、王太子殿下をおびき寄せる偽の口実と言うわけか。
「あなたは、それをどうやって知ったの?」
アイリーンは重ねて問う。
「王太子殿下がカノーラを訪れてすぐ、旦那様は彼を西の塔へ閉じ込めてしまいました。その上で旦那様は、国王陛下から預かった殿下の身柄に、万が一にも危険が及ばないようにするためだと私たち使用人に説明し、許しが無い限り塔には決して近づくなと厳命したのです。しかし昨日エドワード様が、もうすぐ父上が王になり、自分が王太子になるのだと、私の仲間の女中に話しているところを目にしました。さらにエドワード様は、ご自分の地位が約束されたものである根拠についても口にされたのです。その内容は、先ほど私が話した通りのものでした」
陰謀を企むのであれば、カノーラ伯爵はまず息子を幽閉すべきだった。
「それで、私たちにどうしてほしいの?」
と、アイリーン。
「塔の見張りの兵を、私の部屋に呼びつけておきました。私が彼らを朝まで引き留めておきますので、皆様は夜が明ける前に殿下を塔から連れ出し、カノーラを出ていただきたいのです」
「彼ら、ね。それは大変そう」
薄暗いロウソク明かりの下で、ドロシーが苦笑いを浮かべる。
「どうかしたの?」
アイリーンはドロシーの様子をいぶかしんだ。
「いえ、なんでもありません」
ドロシーは明らかに何かをごまかしていたが、アイリーンは追及しないことにした。
「わかったわ。私が殿下を連れてくるから、ドロシーはその間にウィル先生とグレンに事態を伝えて、馬車を用意してちょうだい」
「お嬢様が、お一人で向かわれるのですか?」
女中は驚いた様子で一瞬顔を上げ、すぐにまた伏せた。
「全員でぞろぞろ向かっても時間の無駄だもの。ドロシー?」
アイリーンは侍女に目を向けた。
侍女は頷き返す。
「前庭で落ち合いましょう。私は少し後から部屋を出ます。くれぐれも気を付けてくださいね、お嬢様」
「わかってるわ」
アイリーンはコンスタンスに目を戻す。
「支度をするから、少し待ってもらえる?」
「かしこまりました」
アイリーンはイアンの衣装を引っ張り出すと、再びそれを身に着けた。さらに、腰に剣帯を巻いてベッドに隠していた剣とナイフを差す。
コンスタンスは何も言わなかった。武装した女性を見慣れているのだろうか。あるいは、貴人のやることにいちいち口出しするなと教育を受けているのかもしれない。
アイリーンの準備が済むと、コンスタンスは扉を開けて用心深く左右を見渡してから廊下に歩み出た。
アイリーンも後に続く。
夜の城は静まり返っていて、壁に掲げられていたロウソクも全て消されていた。明かりはコンスタンスが持つ手燭のみである。
見回りなどはおらず、二人は使用人が使う勝手口からすんなり外に出ることができた。元が砦だったからか庭園のようなものはなく、地面はナバの屋敷にある剣の稽古場のように固く均されていた。
外へ出るなり、コンスタンスは手燭を消した。人工の灯は目立つし、なにより照明は不要だった。
冷たい外気で煙った息が、天頂に出た満月の明かりに反射して、青白く光っていた。
しかし、開けた明るい場所は、こそこそ歩くのに適さない。先導するコンスタンスは足を早め、アイリーンも小走りで後を追った。
ほどなく、コンスタンスは外壁に何基もある塔のうち、一つの前で足を止める。他の塔と外見の違いは無いが、それだけはてっぺんの櫓の窓から明かりが漏れていた。
塔の根元には入口があり、鉄の帯で補強された頑丈そうな扉が取り付けられていた。しかし見たところ、錠前や閂のようなものは見えない。実際、コンスタンスが鉄の輪っかのような取っ手を引っ張ると、それは簡単に開いた。とは言え、それなりに重いのか、女中は人が一人通れるくらいの隙間を作っただけで手を止め、アイリーンに中へ入るよう身振りで示した。
アイリーンは扉の隙間から、そっと体を滑り込ませた。わずかに入り込んだ月光のおかげで、正面にもう一枚扉があるのが分かった。
ふと、背後から差し込む光が弱くなった。振り返ると、コンスタンスが扉を閉じようとしていた。月光に照らされた彼女の目には、ヤギのような横長の瞳孔が空いていた。
*
「どう言うつもりだ?」
アイリーンたちが応接間を去ったあと、カノーラ伯爵は好々爺の仮面を脱ぎ捨て剣呑な声音で言った。
「だって、あまり長いこと話し込んで、ボロが出るとまずいじゃないですか。あれは賢い娘のようですから、聞いたらマズいことを言えば、早々に退散してくれると思ったんです」
実際、その通りになった。
「父上のお芝居も、なかなかのものでしたよ。おかげで彼女は欲しいものを手に入れ、明日にはさっさとナバへ帰ってくれることでしょう。そして、優しいおじいさんとの秘密を、約束通り守ってくれるはずです」
息子の言葉を聞いて、伯爵は内心安堵した。今日の会談で、彼はナバ伯爵の娘を好ましく思い始めていたのだ。口封じなどと言う荒っぽいことは、できれば避けたい。それでも、
「彼女たちに手を出すつもりはないんだな?」
伯爵は念を押した。
「もちろんです」
伯爵は息子の本心を探ろうとするが、軽薄な笑みが見えるばかりで何も見通すことはできなかった。
「さて。それでは父上、次は食堂でお客をもてなす主人役をお願いします。私は父上に怒られて、しょんぼりするバカ息子役です。今回はセリフなしですが、それだけに演技力が問われますね。幕が下りるまで、しっかり頑張りましょう」




