11.カノーラの秘密
「ところで、レディ。本来であれば、お連れの方ともども、早々にくつろげる部屋へご案内するところですが、まずは今日おいでになられた目的を、お聞かせいただけますか?」
そら来たぞ、とアイリーンは身構える。
「殿下、もしよろしければ私のことは、ただのアイリーンとお呼びください」
「ええっ、いいなあ。父上ばかりずるいですよ!」
エドワードが割り込む。
「私も、アイリーンって呼んでいいですか。代わりに私のことは、エディと呼んでくれても?」
アイリーンは、背後からドロシーが放つ殺気をひしひしと感じ、浮かべた笑みをひきつらせた。侍女が王弟殿下の息子を殴り倒しでもしたら、厄介ごとでは済まなくなる。
「エドワード、邪魔をするな」
「はい、父上」
まったく、落ち着かない男である。
「申し訳ありません、アイリーン」
本当に申し訳なさそうに、カノーラ伯爵は謝罪した。
「それはともかく、先だっていただいたお父君からの手紙には、娘を挨拶に寄越すとしか書かれていませんでした。しかし私は、他にも何か目的があるように思えるのです」
カノーラ伯爵が言うように、ナバ伯爵は娘を自分の名代としてカノーラ城へ送るとの手紙を事前に出している。もちろん、件の無礼な手紙については触れていない。あくまでナバ伯爵が、自発的に王弟殿下へ表敬訪問を行うと言う体が取られている。そもそも謀反の噂を立てられること自体が不名誉なことだから、記録として残される恐れのある手紙に、それを記すわけにはいかなかった。
「ご賢察、恐れ入ります」
アイリーンは身振りでウィル先生を呼んだ。
ウィル先生はカノーラ伯爵の前までやってくると、一巻の巻物を差し出す。それは、荷車に積んで運んできた品々の目録である。先生の仕事はこれで終わりだ。カノーラ伯爵にアイリーンを軽んじる様子があれば、会談は彼に任せる手はずになっていたが、いまのところ相手は、アイリーンを名代にふさわしく丁重に扱ってくれている。
「こちらが、表向きのご用です」
と、アイリーン。
カノーラ伯爵は巻物を受け取り、それに目を通す。
「父は、国境を接しながら長らくご挨拶もない無礼を詫び、今後は殿下と懇意になりたいと望んでおります。どうか、友情の証としてナバ伯爵からの贈り物をお納めください」
「ありがたく頂戴しましょう。陸と海、それぞれの交易で王国の経済を支える我々ですから、私もナバ伯爵と親交を結ぶことは、王国にとっても互いにとっても、大いに利益になると考えています。どうかお父君にも、そのように伝えてください」
「承知しました」
アイリーンはいよいよ本題を切り出す。
「ただ、父はいささか政治について無頓着なところがございます。そして、その無頓着さは時に無用の誤解を招くものです」
「ナバ伯爵が困りごとを抱えているのであれば、私も彼の友情に応えるため、力になりましょう」
カノーラ伯爵は熱心に言った。
アイリーンは慎重に相手の表情を探った。なんと言うべきか、目の前にいる王の弟は、ただただ素朴で善良な男に見えた。「友だちになって」と言えば「いいよ」と答え、「これあげる」と言えば「ありがとう」と疑いもなく受け取る。もし「これちょうだい」と言ったら、「どうぞ」と喜んで応じてくれそうである。
やはり、あの手紙はカノーラ伯爵の手によるものではないのか。あるいは、こちらの立場を慮って、あくまでナバ伯爵側が自主的に弁明に訪れた、と言う体を守ってくれているのか。
いずれにせよ、手紙の件はふせて話を進めるべきだろう。
「父は今、不名誉な噂を立てられ、ひどく心を痛めております。それは、父がより多くの利益を得るために、王国を裏切りプロゼンに通じているなどと言う、根も葉もないものです。もちろん、ナバにはプロゼンの商人も多く訪れます。しかしながら、父は相手がいかなる国のものであろうと等しく関税を課し、また多額の費用を掛け彼らの身元を調査しております。もちろんそれは、万が一にも間諜を引き入れないためです」
王弟殿下はアイリーンの話を聞きながら、こくりこくりと頷く。
「それでも口さがない連中は、やっかみも含めてあることないことを言い立てるのです。しかし、もし国王陛下の弟君であらせられる殿下と、親交があることを世間に知らしめれば、そのような噂も立ち消えになろう、と言うのが父の考えです」
「これまでお父君とは、王宮で二、三度顔を合わせた程度で人柄を知る機会にに恵まれませんでした。しかし、節制を好み不正を厭う高潔な方だと兄から聞いています」
「陛下がそのようなことを。光栄にございます」
概ね正しい評価だが、財布のひもが固く、ルールは守っても裏をかくことを忘れない人間である。
「なにより、あなたのようなレディを育てたお父君なのだから、そのような風聞がまったくのでたらめであることは自明と言うものです。すぐに手紙をしたため、私がナバ伯爵のような忠臣と友人であることを、陛下にお伝えすることにしましょう」
「過分なご配慮、感謝いたします」
ひとまず、厄介ごとは片付いた。
ところが、
「ねえ、父上。それなら、王太子殿下にもお願いしたらどうですか?」
エドワードは軽い口調で言った。
カノーラ伯爵は素早く息子を向いて、険しい顔をする。
「息子と弟がそろって推薦状を寄越したら、きっと陛下も……あ、そうでしたね。殿下が滞在中なのは秘密でした」
エドワードは「いやあ」と苦笑いを浮かべて頭をかく。
「ハロルド殿下が、いらっしゃるのですか?」
アイリーンは耳を疑った。ナバを旅立つ前に、カノーラの情勢について調べたが、そんな情報は一切無かった。公的には、王太子殿下は王都の宮殿にいるはずである。それがどうしてカノーラに?
「聞かなかったことにいたします」
アイリーンは急いで言った。これは、知る必要のないことだった。むしろ知ってはいけないことだ。王位継承トップの二人が、ひそかに集まっているなど、まったく不穏でしかない。
それなのに、
「実は、このカノーラで、プロゼンとの講和会議が予定されてるんですよ。まだ相手の事務方と話を詰めてるところなので、日程さえ決まってないんですが、ハロルド殿下には事前の打ち合わせやら本会議への出席やらをやってもらわないといけないので、こちらにお越しいただいたと言うわけです。最初は陛下本人がいらっしゃるはずだったんですが、父上はハロルド殿下が外交上の手柄を立てる良い機会だと言って――」
エドワードがぺらぺらと秘密をしゃべる。
カノーラ伯爵とアイリーンは、そろって頭を抱えた。
「今のお話は、この場にいる者の胸の内にとどめておきましょう。決して、誰にも漏らしません。もちろん、父にもです」
アイリーンは約束した。
「感謝します、アイリーン」
カノーラ伯爵は疲れた顔で謝意をのべた。
会談を終え、食堂で夕食を供された後、アイリーンは客間へ通された。その際に世話係としてあてがわれたのは、応接間にいたコンスタンスである。
女中は部屋の設備を簡潔に説明し、ご用があればすぐにまいりますと言いおいて、早々に退室した。終始目を伏せており、少しばかりよそよそしい態度に思えたが、あるいは年の近いご令嬢を前にして、いささか緊張しているのかもしれない。
ともかくアイリーンは、ドロシーと二人っきりになると、遠慮もなくベッドに倒れ込んだ。
「お嬢様、シワになりますよ」
ドロシーがやんわりと注意する。
「ちょっとだけ休ませて」
アイリーンは言って、柔らかな上掛けに顔を押し付けた。エドワードのせいで、十倍は疲れている。
「カノーラ伯爵はあのバカをさっさと廃嫡して、新たらしい息子を作るべきですね」
ドロシーがやって来て、アイリーンの足から靴を引っこ抜きながら言った。
「そうね」
アイリーンは同意した。
食事中、エドワードは始終しょげていて、一言もしゃべろうとしなかった。きっと、アイリーンたちが応接間を去った後で、父親にこっぴどく叱られたのだろう。
「お父様には王族から婿候補を探して来いって言われたけど、あんなのを連れて帰ったら鞭でお尻を叩かれるんじゃないかしら」
「今まで叩かれたことなんてありましたっけ?」
「ないわ」
アイリーンは仰向けになって、自由になったつま先を曲げたり伸ばしたりした。
「それにしても、王太子殿下がいらっしゃると聞いて、ずいぶん慌ててましたね?」
「次の王になるかも知れない二人が、ひとところに集まってたら、なにかよからぬ企てがあるんじゃないかって思うでしょ?」
「企て?」
ドロシーはアイリーンの足の裏を揉み始めた。ちょっとくすぐったいが、おかげで疲労が溶けて行く。
「例えば二人が結託して陛下を追い落とし、自分たちが王国の実権を握るとか。あるいは王弟殿下がハロルド殿下を人質に取って陛下を脅迫し、退位と王太子の廃嫡をせまるなんて筋書きもあるわね。どちらにしても、そんな陰謀に巻き込まれたら、ナバが滅びかねないわ」
「まあでも、おバカなエディのおかげで、その心配がないことはわかりましたね」
「講和会議ね。それはそれで、厄介なんだけど」
「継戦派のリーダーである王弟殿下が、講和のお膳立てをしてるだなんて知られたら、まあ大騒ぎになるでしょうからねえ」
「そう言うこと。だからこそ秘密にして……あっ!」
足の裏のやたら痛い部分にドロシーの指が食い込んだ。アイリーンは起き上がり、慌てて足を引っ込める。
「お嬢様、今の。今の声、もう一回!」
興奮して迫ってくるドロシーの顔を、アイリーンは足で押し返す。
「やめて」
「はい、お嬢様」
ドロシーはおとなしくなったが、足の裏に当たる鼻息はやけに荒かった。




