電話の向こうの沈黙
顧客対応を担当する尾高千佳は、問い合わせ記録の共有範囲を見直していた。事故の技術的な内容は共有する必要がある。しかし顧客の担当者が電話口で漏らした私的な事情まで、社内で広く読める場所へ残す理由はない。古い記録には「担当者、家族の都合で休み」といったメモも混じっていた。
尾高は相談を持ちかけた日下部に、共有すべき情報の基準を尋ねた。日下部は対応期限と連絡先の変更だけ残し、私事の詳しい内容は削るよう助言した。ただ、なぜ折り返し先が変わったか分からなくなると困る例もある。二人は必要な業務上の情報だけを言葉にし直していった。
良助が古いメモを見て「これ、知らなくても対応できますね」と言う。尾高は「そうね。でも書いた人は親切のつもりだったんだと思う」と答えた。忙しい時ほど、事情を全部書いておけば次の人が困らないと考える。善意が広げてしまった情報にも、後から閉じる仕事が必要だった。
午後、顧客から折り返しの電話が入った。相手はしばらく無言で、それから「説明がうまくできなくて」と言った。尾高は急がせず、今分かっていることから一つずつ聞いた。相手の声音を気遣いながら、必要以上のことは尋ねない。電話の目的は技術的な確認で、人生相談ではなかった。 尾高は古いメモを消去する前に、保存義務のあるやり取りと照合した。不要な情報を減らす作業でも、記録を勝手に破棄してよいわけではない。
終業時、更新された記録の入力欄は少し短くなった。尾高はこれなら大事なことが見つけやすいと感じた。伝えるべきことを残し、知らなくてよいことを持たない。狭くなった一行に、以前よりはっきりと仕事の責任が収まっていた。




