無いものの証拠
不審な認証試行から二日後、日下部は調査記録の一文を削った。「被害なしと確認」。気持ちは分かるが、調べたログに被害の証拠がないことと、被害が起きなかったことは違う。報告書を作った広瀬は赤字を見つめ、それから原本の記録を読み直した。
久世匠は監視装置の保管期限を確かめ、現時点で追える範囲を示した。過去の古いログは、契約上の保管期間を過ぎている。存在しないデータまで調べたことにはできない。銀利は顧客へ、分析対象と未確認の範囲を明示した暫定報告を先に出すと決めた。
良助は報告書の「成功試行なし」という言葉に首をかしげた。「成功した記録が無い、では駄目ですか」。日下部は少し考え、そのほうが正確だと認めた。ただ、顧客が読みやすい表現も必要だ。二人は「確認できた記録上、成功を示す事象はない」と書き直した。若い人の素朴な問いが、専門家の言い回しを少し透明にした。
先方の三好は修正版を読み、追跡を続ける項目に印を付けた。報告の弱さを指摘されたのではない。会社の上層部に説明する際、どこまで信じられるかが分かる。電話口で彼は「曖昧なところがあるほうが助かるとは思わなかった」と笑った。尾高はその言葉を記録へ残した。 広瀬は報告の末尾に、次に追加資料が届く予定日も書き添えた。暫定報告を受け取る側は、結論だけでなく、いつ続きを読めるかを知りたい。
その夜、広瀬は自宅で洗濯機を回しながら、削られた一文を思い返した。自信を持って言えないことを、立派な言葉で覆いたくなる。仕事に慣れたつもりでも、そうした癖は残る。干したシャツが風に揺れるのを見て、明日は別の資料をもう一度確かめようと思った。




