社長が断った条件
新しい顧客候補との商談で、銀利樹一は魅力的な数字を提示された。大きめの契約を結ぶ代わりに、すべての問い合わせへ時間を問わず一時間以内に返事をしてほしいという。条件を受ければ、月の売上はかなり増える。真壁は横で資料をめくり、銀利の返答を待った。
銀利は一度だけ、先方の事情を聞いた。顧客は過去に別の業者へ相談した際、返事が遅れて不安になったことがあるという。欲しいのは常時即答そのものではなく、放置されない確信だった。銀利は重大な警告への対応と、通常の問い合わせへの回答期限を分けて提案した。
先方の担当者は「契約額は同じままで、全部一時間以内にできないか」と重ねた。銀利は静かに首を振った。「私たちが守れない約束は、御社の安全にもなりません」。声は強くない。ただ、技術的な根拠と人員計画が、彼の答えを支えていた。
帰社すると真壁は「惜しかったですね」と言った。銀利は「まだ終わっていない。相手に必要な条件を考えてもらおう」と返した。売上が欲しくないわけではない。赤字の会社だからこそ、赤字を増やす契約は取れない。田倉はその話を聞いて、今月の資金表を黙って閉じた。 真壁は議事録に「未合意」と明記した。金額を示されたからといって、相手の条件を会社が受け入れたわけではない。
良助は商談の資料を整理しながら「できないって伝えるのも仕事なんですね」と言った。真壁は笑って「一番難しい仕事かもしれない」と答えた。その夜、顧客候補から条件を再検討するというメールが届く。銀利は急いで返事をせず、翌朝の打ち合わせで現場と相談する予定を入れた。




