顧客の言い分
真壁千尋は値上げ交渉の後日談を聞くため、顧客の現場担当へ電話した。相手は管理部門と違い、監視の手間を日々知っている。それでも「予算がありません」と答えた。真壁はその言葉を嘘だと思わない。どの会社にも帳簿があり、守らなければならない枠がある。
電話の先では、去年の障害が話題になった。深夜に不審な通信を見つけ、トラッバが適切に連絡したことで大きな被害を防げたという。現場担当は感謝している。だが感謝だけでは費用を増やす稟議を通せない。数字を示し、必要性を説明する役割は先方にもある。
真壁は帰社後、銀利へその話を伝えた。銀利は事実関係を確かめ、顧客自身が社内説明で使える資料を提案した。「売るための美辞麗句は要らない。実際に守れた範囲を書こう」。日下部が証跡を照合し、尾高が相手に伝わる言葉へ整える。技術と営業をつなぐ仕事は、誰か一人にはできない。
良助は報告書の表紙に「防いだ被害額」と書きかけた資料を見て、真壁に尋ねた。「被害が起きてないから、金額は分からないんですよね」。真壁ははっとして、その見出しを変えた。過大な数字を出せば、わずかな信用も失う。証明できるのは対応時刻と実際に取った措置だった。 顧客側でも、現場担当が資料を上司へ説明する準備を進めていた。電話の向こうにいる人もまた、別の社内で誰かを説得しなければならない。
数日後、先方から追加の質問が届いた。契約更新を断る内容ではない。真壁は答えるための調査を各担当へ依頼し、期日を設定した。すぐ売上に結びつかなくても、話し合いが続いている。彼女はそれを悲観せず、長年築いた関係の一部として受け止めた。




