社長の赤いペン
銀利樹一は午前六時から取引先の監視契約を読んでいた。クラウドの利用料が上がり、従来の検知方式では保存するログも増えた。契約書には二年前の単価が残っている。当時それで顧客を守れたことは確かだ。だが現在の費用を見れば、案件を続けるほど損失が積み上がる。
彼は机の上の見積書に赤い線を引いた。技術部門だけが悪いのではない。営業が獲得してきた案件も、品質を維持したい現場も、依頼に応えたかった自分も、それぞれ合理的に動いていた。その総和が赤字になる。理解してなお、今月の支払いは減らない。扉の向こうで新人がコピー機の使い方を聞いている。
昼、良助が届けた資料の端に、小さな付箋が付いていた。「同じ顧客名の表が二種類ありました。こちらが新しいでしょうか」。銀利は目を止めた。一つは契約上の顧客分類、もう一つは監視システム上の分類だ。異なる目的で作られた表を安易に統合してはいけない。良助も統合を提案していない。ただ、二枚が異なることを確認していた。
「両方必要だ。取り違えないために名前を変える」。銀利が答えると、良助は「じゃあ、僕もそう覚えます」と付箋を外した。社長はその後、資料庫の見出しに「契約」と「監視」を付け足した。難しい判断ではない。だが判断の入口が埋もれていたのだ。
夜、赤いペンのインクが切れた。銀利は替え芯を探して引き出しを開け、未開封のものを三本見つけた。買い置きがあることさえ忘れていた。明日の面談予定には、新人の研修確認が入っている。彼は赤字の数字を伏せずに話すつもりだった。何も知らない若者にまで、見栄だけの会社を見せたくなかった。




