値札のない親切
営業の真壁は古い顧客から、来月の社員研修へ無料で講師を出してほしいと頼まれた。担当者とは長い付き合いで、以前なら引き受けていただろう。ところが研修資料の更新には数日かかり、運用担当の勤務にも影響する。断る言葉を探しながら、真壁は依頼の目的を聞き直した。
先方が必要としていたのは専門技術の講義ではなく、怪しいメールを受け取った従業員の相談先だった。真壁は有料の研修案を用意しつつ、既存契約に含まれる相談手順の説明で足りる部分を切り分けた。銀利は料金を取らない行為そのものを否定しなかった。「値段がない仕事ほど、終わりを決めておこう」。
顧客の総務担当は、予算が付くのは次の四半期だと教えてくれた。真壁は開催日を急がず、まず社内の掲示物だけを確認することにした。良助が印刷した案内の試作品を見て、「社員さんは勤務中にこの番号へかけられるんですか」と尋ねる。総務担当は夜勤者のことを忘れていたと気づいた。
研修の見積書には夜勤向けの短い説明も加わった。その分の費用は隠さない。担当者は「無料なら助かったけれど、費用を説明できるなら上司にも相談しやすい」と言った。真壁は自分の仕事を押し売りだと思わずに済んだ。
真壁は料金表の隅に、夜勤者向け資料の準備工数を書き込んだ。人数が少なくても、勤務の違う人へ伝える方法を考えるには時間が掛かる。先方も、夜勤者への説明は一日の隙間に押し込めるものではないと理解した。担当者の負担を見える数字にすることが、交渉の始まりだった。
翌朝、彼女はかつて無償で提供した仕事の一覧に、更新日を記入した。感謝された記憶も間違いではない。ただ、続ける約束には人件費も休息も含まれている。窓の外では近くの工事現場が朝礼を始めていた。誰かの親切だけでは、街の仕事は続かない。




