交代できない人
野江蓮は、夜勤の翌朝に自分の机が妙にまぶしく見えることがあった。照明が強いわけではない。集中が切れ、視界の端で細かな文字が揺れる。飯塚が温かい飲み物を置いてくれたが、午後の定例会議には出るつもりでいた。顧客から質問されるのは自分の検知ルールだからだ。
会議直前、銀利が「野江は帰れ」と言った。野江は思わず反発した。「自分がいないと説明できません」。社長は言い返さず、資料を指した。「では、説明できるように残してから帰れ。今日の会議は私が受ける」。その声はいつもの厳しさより、技術者同士の確認に近かった。
資料の作成を手伝ったのは小田切だった。良助は会議用の紙を並べながら、野江が口頭で説明した判断理由を一つずつ書き留めた。内容の正しさは小田切が確認する。作業は三十分で終わった。野江はまだ不安そうだったが、会議室へ向かう銀利の背中を見て、ようやく帰り支度を始めた。
午後の会議では厳しい質問が出た。銀利は野江の記録を読みながら、検知基準を変更した理由を顧客へ説明した。分からない点は持ち帰り、回答期限を約束する。かつて現場を率いた経験がある社長は、専門性と無理な即答を混同しなかった。顧客はその誠実さに納得した。 野江は駅へ向かう途中で、空の色が思っていたより明るいことに気づいた。いつもは始発のホームばかり見ていたから、同じ街が少し違って見えた。
翌日、野江が出社すると、自分の机に会議の記録が置かれていた。良助の文字で「分からなかったこと」と「後で確かめること」が分かれている。野江は笑いながら小田切に礼を言った。休んでいる間に仕事が勝手に片づいたのではない。誰かが責任を引き継いでくれたのだ。




