返さなくていい借り
梶原が昼食を忘れた日、尾高は近所の弁当店の場所を教えた。彼は研修資料の読み込みに夢中で、昼休みを半分過ぎても席を立っていなかった。尾高は「続きは午後で大丈夫」と声を掛け、先に食事を取るよう勧めた。
食堂で梶原は、良助に前職の話を少しした。夜間作業が続き、帰宅しても頭が仕事から離れなかったこと。良助は祖母の通院予定を毎日確かめていた時期を思い出したが、細かい事情は語らなかった。「休めるときに休まないと、次の日が困りますよね」とだけ言った。
食堂の店員は良助の顔を覚えていて、いつもより一人多いことに気づいた。「同僚が増えたんですか」と尋ねられ、良助は嬉しそうにうなずいた。梶原は名前を紹介され、少し照れた。職場の先輩だからといって、良助が何でも知っているわけではない。食後、二人は事務所へ戻る途中で信号待ちをし、近所の工事がいつ終わるか話した。仕事の話をしない時間も、同じ会社で働く関係の一部なのだと梶原は感じた。
梶原は「何かお返しをしないと」と笑った。良助は不思議そうに首をかしげた。「教えてもらったこと、次の人に教えればいいんじゃないですか」。重い教訓としてではなく、食堂の席で出た何気ない言葉だった。
梶原は自分が休憩を取った時刻を手帳へ記した。前職では食事を飛ばすことが習慣になっていた。新しい会社でも自分から直さなければ、また同じことを繰り返してしまう。
午後、尾高は自分の電話対応へ戻り、梶原も演習へ戻った。良助はコピー用紙を補充した後、報告書の誤字を一つ直した。誰か一人を中心に会社が回っているのではない。食事を取り、分からないことを聞き、渡せる仕事を渡して、午後の業務が続いていた。




