知らない用語
梶原が最初につまずいたのは、難しい技術ではなく社内の略語だった。飯塚が普通に口にした三文字の言葉を、何となく理解したふりで聞いてしまう。あとで演習表を開くと、何を指しているのか曖昧だった。前職では質問の多い新人は迷惑がられた記憶がある。
広瀬は梶原が手を止めているのに気づいた。「分からない言葉、ありますか」。梶原が恐る恐る聞くと、広瀬は正式名称と使う場面を説明した。日下部はその略語が古い手順書にしか載っていないことを見つけ、現在の資料の表記を直した。
梶原は質問した略語の意味を、覚えたつもりでも夕方には混同していた。広瀬は気まずそうな顔を見て、研修の用語集を開いた。「何度でも見ればいいよ」。日下部が作った表には正式名称だけでなく、使用しないほうがよい古い呼び方も載っていた。梶原は前職の癖で手帳を握りしめ、全部暗記しなければと考えていたことに気づく。分からないとき確かめられる資料を使うのも、専門職に必要な技能だった。
広瀬は梶原が聞き返した言葉を、用語集の改訂予定へ追加した。自分たちには慣れた呼び方でも、初めて聞く人には分からない。分からない人の側へ責任を押し付けず、説明を直す。研修表にはその日の修正理由も残された。
広瀬は梶原の質問から、以前の資料に残る古い社内語をいくつか見つけた。修正作業を一日ですべて終わらせるのは難しい。影響の大きいものから順に直す予定を組んだ。
終業時、梶原は研修用の端末を所定の場所へ戻した。業務権限はまだ限定されている。腕前を見せたい焦りもあるが、先に判断の境界を知ることが必要だった。帰り道で彼は家族へ「今日は定時で帰れる」と短い連絡を送った。




