小さな黒字の夜
月次の数字が揃ったのは、雨の降る金曜日だった。田倉澄子は収支表を閉じずに、もう一度合計を確かめた。事業の売上から通常の費用を差し引いた結果は、ほんのわずかに黒字だった。臨時の借入を利益へ混ぜてはいない。大きな契約の条件変更と、各部署が積み重ねた改善がようやく同じ月に反映された。
銀利樹一は報告を受けると、まず未払費用と請求の遅れが残っていないか尋ねた。田倉は確認済みの項目と、翌月に発生する支出の予定を説明した。社長はしばらく資料を眺め、それから「ありがとう」と言った。誰か一人を褒める言葉ではなかった。
昼の短い集まりで、銀利は全員へ結果を伝えた。「今月は、事業として小さな黒字になりました。ただし、これで安心できるわけではありません」。真壁は少し涙ぐみ、飯塚は机に置いた手を握った。野江は夜間の記録を見直し、久世は交換予定の部品を確認した。必要な仕事を後回しにして作った数字ではないと、皆が知っていた。
良助は最後列で「赤い数字じゃなくなったんですね」と言った。田倉がうなずくと、「それなら良かったです」と微笑んだ。会社を救った人のような顔はしない。自分が担当した表の整理も、ほかの誰かが進めた仕事の一部だと思っている。銀利はその顔を見て、何も言わずに次の会議の準備を始めた。
夕方、社内に大きな祝賀会はなかった。尾高は顧客の電話に出て、広瀬は研修資料を直し、日下部は監査の期限を確かめた。田倉が帰ろうとすると、良助が壁際の椅子を整えていた。最初は厚紙を挟まなければ安定しなかった椅子だ。外へ出ると雨は細くなり、通りの灯りが濡れた歩道へ映っていた。十一人の会社に、ようやく一か月分の小さな余裕が生まれた。




