古い約束
尾高千佳のメールボックスには「前と同じようにお願いします」という文が数え切れないほどあった。顧客にとって前と同じとは安心の意味だが、会社にとっては誰かが黙って補っている作業かもしれない。今回の問い合わせも、五年前から付き合いのある医療機器卸の会社からだった。
相手は監視レポートに新しい集計欄を求めている。通常の契約では追加費用が発生する。しかし先代の担当者が無償で引き受けた記録も残っていた。尾高は断る理由を探して文面を開き、そのまま手を止めた。自分たちが何を無償にしたのか、正確に説明できない。
良助は資料庫の整理を手伝っていた。「古い約束って、相手はまだ覚えてますよね」と言うと、尾高は苦笑した。「こちらが忘れても、向こうは困るもの」。二人で議事録とメールを並べると、約束には期限があった。新システムへ移行するまでの三か月間。移行が延期された後、そのまま運用が続いていたのだ。
尾高は銀利へ相談し、まず契約を変えるのでなく、顧客側の利用実態を確認することにした。電話の向こうの担当者は、集計欄を見ている部署が既に移転したことを教えてくれた。「消していいなら助かります」と尾高が言うと、「こちらも毎回説明が面倒だったんです」と相手も笑った。 報告書の版数も更新した。削ったページが後から必要になれば、変更前へ戻れるようにするためだ。
その日の夕方、二人は報告書の一ページを減らした。費用が劇的に下がるわけではない。ただ、誰にも使われない表を作る時間がなくなった。尾高は削除の理由を共有フォルダに残した。古い約束を雑に破るのではなく、相手と一緒に終わらせる。その手順が、会社に初めて一つできた。




