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失踪した母が、十六歳の平成ギャルになって転校してきたんだけど  作者: kaka


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第2話 母を呼び捨てにした日

「……ねえ、みのり」


「なに?」


「これから、あたしどうすればいいの?」


 廊下の隅でしゃがみ込んだ千夏が、私を見上げた。


「私に聞かれても分からないよ」


「だよね」


「うん」


「じゃあ、一緒に困ろう」


「なんでそうなるの」


 千夏は笑った。


 昨日まで1999年にいた十六歳。


 そして二十七年後には、私の母親になる人。


 そんな人が、今は私の前で困っている。


 どう考えても現実感がない。


「……お腹すいた」


「え?」


「昨日から何も食べてない」


「それはお腹空くよ」


 私は鞄を開けて、カロリーメイトを取り出した。


「これ食べる?」


「カロリーメイト?」


「うん」


「まだあるんだ」


「あるよ」


「二十七年後も?」


「ある」


「すご……」


 千夏は本気で感心した。


 そして箱を開けると、夢中で食べ始める。


「そんなに急いで食べなくても」


「だってお腹空いてるし」


「ちゃんと食べなよ」


「食べてるじゃん」


「そういう意味じゃなくて」


 私は思わず言った。


「朝ごはん抜くと、あとで倒れるよ」


 千夏の手が止まった。


「……みのりってさ」


「なに?」


「うちのお母さんみたい」


「…………」


「毎朝、『ちゃんと食べなさい』ってうるさいんだよね」


 千夏は頬を膨らませる。


「あたし、将来ぜったいああいうお母さんにならないから」


「……そう」


「もっと自由に生きるし」


 私は返事ができなかった。


 だって。


 その「うるさいお母さん」は。


 二十七年後の千夏だから。


 冷蔵庫に付箋を貼って。


 雨の日には傘を持ったか聞いて。


 夜更かしをすれば怒る。


 私が知っている母親は、そういう人だった。


 でも、目の前にいる千夏は知らない。


 自分がどんな大人になるのか。


 私を産むことも。


 そして、昨日。


 私の前からいなくなることも。


「……みのり?」


「ん?」


「なんで笑ってるの?」


「笑ってないよ」


「笑ってるじゃん」


「気のせい」


 千夏は首を傾げた。


 その仕草まで、少しだけ母に似ていた。


「ねえ」


 千夏が言った。


「敬語やめない?」


「え?」


「同い年じゃん」


「……そうだけど」


「ずっと『です』『ます』って変」


「でも……」


「友達なんだから、普通に話そうよ」


 友達。


 その言葉が、少しだけ胸に引っかかった。


 私にとって千夏は母親だ。


 でも。


 千夏にとって私は、ただの同級生。


 今は、それでいいのかもしれない。


「……分かった」


「ほんと?」


「うん」


「じゃあ、名前で呼んで」


 私は少し迷った。


 そして。


「……千夏」


「うん」


 千夏が笑った。


「それでいい」


 変な感じがした。


 私は今まで、この人を名前で呼んだことがない。


 ずっと「お母さん」だったから。


「みのり」


「なに?」


「なんか、友達できたみたいで嬉しい」


「……そう」


「うん」


 私は小さく笑った。


 母親を、初めて名前で呼んだ。


 それだけなのに。


 今まで知らなかった母親の顔を見た気がした。


「そろそろ教室行かないと」


 時計を見る。


 始業時間が近づいていた。


「二年三組だよね?」


「うん」


「本当にあたし、今日からここに通うんだ……」


「昨日、先生から説明されたでしょ」


「うん。でも、まだ信じられない」


「私も」


 二人で歩き出す。


 廊下を歩いていると、千夏が何度も周りを見ていた。


「どうしたの?」


「いや、なんか全部新しいなって」


「そりゃそうでしょ」


「スマホもすごいし」


「それ昨日からずっと言ってる」


「だってPHSしか知らないんだよ?」


「はいはい」


「あと、コンビニの品数も多すぎる」


「学校の話して」


「未来の話じゃん」


「そうだけど」


 思わず笑ってしまった。


 千夏も笑った。


 その瞬間だけは。


 母親と娘ではなく、普通の同級生みたいだった。


「お、来たな」


 教室に入ると、村瀬先生が声をかけてきた。


「おはようございます」


「おはよう。小野寺さん、今日からよろしくな」


「はい」


 千夏が頭を下げる。


「席は日野の隣だから」


「……え?」


 千夏が私を見る。


「隣?」


「みたい」


「やった」


「そんなに?」


「だって知ってる人、みのりしかいないし」


「……そっか」


 私は席に座った。


 隣の席に千夏が座る。


 それだけのことなのに、変な気分だった。


 私の隣にいるのは、母親。


 でも学校では、ただの転校生。


 しかも同い年。


 この状況を知っているのは、私だけだ。


 休み時間。


 千夏はあっという間にクラスの女子に囲まれた。


「どこから来たの?」


「前の学校は?」


「その髪かわいい!」


「そのキーホルダー、どこで買ったの?」


「えっとね――」


 千夏は楽しそうに答えている。


 人見知りするタイプではないらしい。


 むしろ、私が知っている母よりずっと明るい。


 こんな母親が。


 二十七年後には、あんなに真面目になるのか。


 人間って分からない。


「みのり!」


「なに?」


「お昼、一緒に食べよ!」


「うん」


 千夏が笑う。


「友達だからね」


「……うん」


 また、その言葉。


 でも今度は、少しだけ嬉しかった。


 昼休みが終わる頃。


 村瀬先生が教室に入ってきた。


「小野寺、そういえばこれ」


「はい?」


 先生が一枚の封筒を渡す。


「転入関係の書類。昨日渡し忘れてた」


「……私、これ知らないんですけど」


「え?」


「こんなの書いた覚えないです」


 千夏が封筒をひっくり返す。


 私は何気なく封筒を見た。


 そして。


 手が止まった。


 右上に日付が印刷されている。


2026年4月17日。


「……四月?」


「どうした?」


 先生が聞く。


「これ、四月に届いたんですか?」


「ああ」


「いつですか?」


「四月十七日。学校に届いたのはその日だな」


 私は千夏を見る。


 千夏は困った顔をしていた。


「私、本当に知りません」


「でも、書類はちゃんとあるぞ」


「だから知らないって!」


 千夏が抗議する。


 先生は苦笑した。


「まあ、緊張してるんだろ」


「違います!」


 千夏がむっとする。


 私は笑えなかった。


 四月十七日。


 その日、母はまだ家にいた。


 いつも通り朝起きて。


 いつも通り仕事に行って。


 いつも通り夜には帰ってきた。


 少なくとも。


 私の記憶では。


 なのに。


 学校には半年前から。


 小野寺千夏が、この学校へ転校してくるための書類が存在していた。


「……お母さん」


 思わず呟いた。


「ん?」


 隣の千夏が振り向く。


「今、なんて言った?」


「……なんでもない」


 私は封筒を見る。


 母は何を知っていた?


 どうして、この日を知っていた?


 そして。


 どうして昨日、いなくなった?


 答えはまだ分からない。


 ただ一つだけ。


 私の母は、昨日突然いなくなったわけじゃない。


 もしかすると。


 もっと前から、この日を待っていたのかもしれない。


「みのり」


「なに?」


「今日、一緒に帰ろ」


「……うん」


 千夏が笑う。


「じゃあ決まりね」


 私はその笑顔を見つめた。


 母親なのに。


 まだ十六歳。


 何も知らない。


 何も分からない。


 そんな千夏を見ていると。


 なぜか、守らなきゃいけないような気がした。


 ……おかしい。


 本当なら。


 守ってもらうのは、私のほうだったはずなのに。

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