↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
92/118

第九十一話:ビジネスプランから別れプランへ

気づけば母さんは、果物屋の前で一粒一粒を覗き込んでいた。

商業帝国の計画も、別れのシミュレーションも、その横顔の前では霧のように消えていく。



二人は並んで帰り道を歩いた。


夕暮れどきの行商人たちが、連れ立つように同じ方向へ帰っていく。


傾いた日差しが石畳の上に二人の影を引き伸ばした。


長く伸びた影と短い影が、どこまでも二人に寄り添っていた。


ウリエルの頭の中では、再び高速で電卓が叩かれ始めていた。


(年間七百二十万かあ)


(王都の中心地に商業通りを一本まるごと買い取っても、まだおつりが来る計算だ)


あるいは。


あの余剰分をそのまままた残高ペイ箱に突っ込んで、複利で回し続ける。


毎日利息だけ受け取って一生寝そべって暮らす。


もう一生お金の心配をしなくていい生涯収入、完成。


(……やっぱり商業通りを一本丸ごと買い取るべきだな)


思わず声に出た。


さっきの広告塔の兄ちゃんのことが頭に浮かんで、そこからまた考えが転がっていった。


(まあ、もしちゃんとした店主になるなら、従業員には最低でも福利厚生を完備して、週休二日・一日八時間労働は守る。絶対に)


「賢いねぇ、ウリちゃん」


ガラティーナが隣からそっと手を伸ばして、ウリエルの頭をぽんぽんと軽く撫でた。


手首にぶら下がっている袋がちょうど当たらない位置を本能的に取っていた。


「こんなに小さいのに、もう資産運用を考えてるんだ。商業通りを一本買って家賃で食べていく、お金でお金を生む仕組み——ママがウリちゃんくらいの歳のとき、帳簿ってものを見たことさえなかったよぉ。複利のこともちゃんと分かってるんだね。正直ね、ママ今もよく分かってないんだ、あの計算」


ウリエルは半歩つんのめって前に出た。


耳の先が微妙に熱くなっていた。


手のひらを頭の上から外した。


「でも、ダメなんだよね」


ガラティーナは手を引っ込めて、抱えていたクラフト紙の包みを抱え直した。


「あの箱ね、八百万が保管の上限なんですぅ。これ以上は入らないの」


ウリエルはしばらく考えた。


「……あ、そうなんだ」


頷いた。


なるほど、上限があるのか。


頭の中で建設中だった豪華商業通りの看板が、開業前からすっと撤去された。


(八百万金貨が上限。毎日二万の利息が出る)


(溢れた分はどうせ増えない)


(複利でねじ込んでも意味がない)


でも考えてみれば、利息だけで王都のほぼ全家庭の年収を上回る収益が入ってくる。


それはそれで、充分すぎる話だ。


ウリエルは歩調を変えずに考えを転がした。


(……もし昔やってた節約生活のことをママに話したら、どういう顔をするだろう)


笑われることはないだろうな、と思った。


たぶんキラキラした目でこっちを見てきて「ウリちゃんって倹約家なんだね」「偉いねぇ」とか言ってくる。


しかも一ミリも嫌みや揶揄が混じっていない。


純度百パーセントの褒め言葉。


(それが、一番タチが悪い)


だからこそ破壊力が段違いになる。


今世でも前世でも、自分が情けなかった時期の話は、この人に限っては永久に封印する。


そう、静かに心の中で決めた。




「あの箱、どうやって手に入れたの」


包みを持ち直して、もう一方の腕に掛け直した。


歩きながら聞いた。


語調はいつも通りの気軽さに戻っていた。


「ついでに聞くけど、あのお金も勇者やってた頃に稼いだやつ?」


ガラティーナが半歩だけ足を緩めた。


「箱ねえ」


いつもより少し間を置いてから、口を開いた。


「魔界にいた残高ペイ箱モンスターだよ」


「……うん」


「ママの聖剣を丸ごと食べちゃってね」


「……うん」


「ちょっとコンコンって叩いたら、ペッて吐き出したの」


ウリエルは三秒、黙った。


(残高ペイ箱モンスター)


(聖剣を飲み込む)


(ちょっと叩く)


(ペッと吐き出す)


一語一語の意味は全部理解できる。


繋げた途端に、常識の回路が音を立ててショートした。


(これ、トムとジェリーの世界観か?)


(あのアニメ、海賊版しか見たことないけど)


落ち着け、と自分に言い聞かせた。


聖剣を丸ごと飲み込めるモンスター。


聖剣の加護は武器を選ばないし、剣そのものはあくまで媒介に過ぎない。


それでも聖剣は聖剣だ。


あれを一口で飲み込める生物は——最低でも魔界四天王クラス以上の話だ。


「そのあとね、ぺしゃんこに縮んじゃって」


ガラティーナが両手を空中に広げて、小さな四角形を作った。


「こーんくらいのちっちゃい箱になってね、フタをパカパカさせながらママのかかとにくっついてきたの。どこに行っても離れないしぃ、追い払ってもぴょんぴょん跳ねながらついてくるし、ママも根負けしてそのままにしちゃった」


ウリエルは静かに頷いた。


合ってた。


魔界四天王クラスのモンスターが、聖剣ごと返り討ちにされて、あの箱に自らデチューンして、かかとにくっついてきた。


フェンリアも気づいたら荷物ごとついてきていたし、この人の周りには常にそういうことが起きる。


もう合理性を追うのは諦めた。


「お金の方はね」


ガラティーナは少し上を向いて、空を見るような顔をした。


「冒険者ギルドで、たまに他の人が手を焼いてる依頼を片けてたんだけど、その報酬をもらっても、道中で困ってる人を見るとついあげちゃってね」


「ほとんどない?」


「うん。食べ物は町の人たちが持ってきてくれたし、服は教会が支給してくれたし、仕立屋もタダでやってくれたし、宿もお代はいらないって言ってくれるしぃ。武器はそもそもいらなかったし」


「……それで?」


「冒険者ギルドの依頼を時々こなしてね、報酬をもらうんだけど、道中で困ってる人を見るとついあげちゃって。出ていく方が多すぎてギルドの人に怒られたんだけど、そうしたらギルドの会計士さんが見かねてママ専用の口座を作ってくれたの。勝手に貯めといてくれるやつ。たまに覗くと数字が増えてて、また覗くとさらに増えてて、でも特に欲しいものもなかったから、そのうち箱ができたから全部そっちに移した、っていう感じかな」


ウリエルは聞きながら、勝手に映像が浮かんできた。


若き日の勇者ガラティーナが、ギルドの受付カウンターの前で、もらったばかりの報酬の袋を見ずに道端の難民にそのまま渡している。


後ろでギルドの会計士が頭を抱えて帳簿に訂正を入れている。


(……なんかもう全部分かった気がする)


笑いを堪えて、ウリエルは前を向いた。


「じゃあとりあえず、一応まとまったお金があるってことは分かった。ありがとう」

「ウリちゃん、お小遣い要る?」

「いらない」

「本当に? ママ、あげるよ?」

「本当にいらない。毎日そこにいるから、使う場面がない。万が一持ってたら逆に危ない。スリに目をつけられる」


ガラティーナはぱちぱちと瞬きをして、考え込んだ。



毎日そこにいるから。


「使う場面がない」の中に、さらっと混ざっていた。


本人は特に何も意識せずに言ったらしく、すぐ次の話題に移ろうとしていた。


でもガラティーナはそこだけ切り取って、自分の中でゆっくり噛んだ。


(そうだよね)


(ウリちゃんは毎日ママのそばにいるもんね)


(だからお小遣いもいらないもんね)


わけもなくフフっと笑いたくなって、それを飲み込んで、小さく頷いた。




ウリエルはガラティーナがなぜ急に黙ってちょっと顔が緩んでいるのかよく分からなかった。


まあ頷いたし、この話は終わりでいいだろう。


他に考えることがある。


セラフィーナのことだ。


(ルミナからの報告によれば、本人は無事に家へ帰ったらしい。従姉の……いとこのエステラが直接迎えに来たそうだ。こっちは偽装彼氏ということになっているし、義理としても見舞いには行かないとな。適当に果物でも買って、無難な慰めの言葉をかけて……そしてその後に——別れを切り出す)


もともと予定表には入っていなかった話だ。


あの告白自体が身分偽装のためだったし、向こうも分かった上で乗ってくれていた。


互いの利用目的が一致していただけで、感情の話は最初からしていない。


今は学院もなくなった。


教派の潜伏ルートも根こそぎ塞がれた。


この名義上の交際関係の必要性は、もうきれいにゼロだ。


あとは、タイミングよく、落ち着いた状況で、二人でちゃんと話せれば——終わる。


はずだ。


たぶん。


問題は、切り出し方だ。


候補その一。


今回の誘拐事件を理由にする。


「君が巻き込まれた。心配した。それを考えると、この関係が原因で君にまた危険が及ぶことが怖い。だから終わりにしよう」


セラフィーナはたぶん「あ、そうですか」って棒読みで返してくる。


(……あの人、何を言っても棒読みだな)


候補その二。


従姉のエステラを盾にする。


「君のお姉さんがあまりにも強い。いつかとばっちりが来そうで怖い」


これも一応筋は通っている。


ただ問題がある。


万が一セラフィーナが「じゃあエステラ姉さんに確認しておきます」と言い出したら——


星辰級の勇者候補にして、あの重度のレズで変態シスコンな従姉。


(あの人だけは、むしろこっちから極力距離を置くべき危険人物だ。絶対に自分から話題に出しちゃダメだ)


「ねえ、セラを見舞いに行きたい。荷物置いてから、一緒に果物でも買いに行かない?」


ウリエルはとりあえず理由探しを中断した。


まず手土産を買うことにする。


「今行ったらダメなの?」


「手が塞がってる」


ガラティーナは一瞬考えた。


それからぱっと顔が明るくなった。


「じゃあここに全部しまえばいいよ!」


言い終わらないうちに、抱えていた包み三つを虚空の波紋に押し込んでいた。


両手が空いた。


きわめて自然な流れで、手のひらをウリエルに向けて差し出した。


ウリエルも特に何も考えずに袋を渡した。


波紋の中に消えた。


……


「……なあ、母さん」


「なあに?」


「俺たち、さっき傘を出した時に、どうしてついでにこの荷物もしまわなかったんだ?」


ガラティーナはちょっと止まった。


二人は顔を見合わせ、そのまま三秒間の完全な沈黙が流れた。


ウリエルはガラティーナのあっけらかんとした瞳を見た。


一切の悪意も、反省も、混じっていない。


ただ純粋に、今初めて気づいた人の目だった。


(……ママ、そのポンコツ具合、俺にもうつったみたいだ)


(最近、俺も同じことやってる気がしてきた)


(じゃあ転移門で帰ればいいし、いっそ一剣で雲ごと斬れる人が隣にいるのに、なんで雨の中軒下で雨宿りしてたんだろう)


(あれは目立たないようにするためだ、うん、多分そう)


答えが出たような出ていないような顔で、ウリエルは前を向いた。


「まあ、いっか。果物屋行こう」


「うんっ」


ガラティーナが隣でまた少し嬉しそうに頷いた。


細かいことは、どうでもよかった。


「ウリちゃん」


「なに」


「セラフィーナちゃんって、ぶどうが好きだったっけ」


ウリエルが顔を上げると、いつの間にか果物屋の前だった。


露台に丸く積まれたりんご、梨、柑橘類。


その端には、薄紙を敷いた小さな竹籠に、みずみずしい大粒のぶどうが盛られていた。


ガラティーナはすでにそっちに屈み込んで、一房持ち上げてそっと香りを嗅いでいた。


鼻先が果皮にほとんど触れていた。


それから一粒一粒を順番に覗き込み始めた。


納品検査でも始めたような目だった。


ウリエルはしばらく彼女を見ていた。


別れ話のシミュレーションも、さっきまで頭の中でこねくり回していた理由も、いつの間にかきれいに霧散していた。


「……買おう。多めに」


ガラティーナはぶどうから顔も上げずに、嬉しそうに小さく頷いた。




【第九十一話・終】

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


もし「面白い!」「続きが気になる!」「笑った!」と少しでも思っていただけましたら、 ページ下部にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、作者のモチベーションが爆上がりします!


ブックマークの登録も、ぜひよろしくお願いいたします! 次回もよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。