第八十九話:残高ペイ箱
ママには収納魔法があるの
街角の甘栗の屋台はもう店じまいしており、鉄鍋が炭炉の上に逆さに置かれていた。空気の中には、焦げた甘い香りの最後の残滓だけが漂っていた。
ガラティーナは、顎よりも高く積み上がった三つのクラフト紙の包みを上に揺すって持ち直すと、数歩歩くごとにこちらを振り返った。
「やっぱりママ、ちょっとウリちゃんに渡すね」
ウリエルは二つのクラフト紙の包みを提げて前を歩きながら、振り返らずに答えた。
「いらない」
「でも、あの服すごく高かったでしょ。さっきお金払うとき、ママあの数字見えちゃったもん」
声は相変わらず柔らかかったが、いつもより少しだけ固執した言い回しになっていた。
ウリエルは何も言わなかった。
ガラティーナは荷物を抱えたまま二歩ほど早足になって、横に並んだ。
「帰ったら渡すね。ママお金あるから。使い切れないくらい」
使い切れない。
ウリエルは足取りは変えなかったが、その言葉に思考を引っ張られた。
本当に使い切れないのか、それとも母親の善意の嘘なのか。
幼い頃からの記憶を辿っても、家が金に困ったことはなかった。
旧い家にいた頃、食べ物も服も日用品も不自由はなかった。
母さんが本を買うときも出し惜しみしなかったし、たまには自分が欲しがったバカみたいに高い異世界の図書も買ってくれた。
その後ルミナたち三人が増えて、出費は何倍にも跳ね上がったはずだが、母さんが眉を顰めるところを見たことがない。
今では学院にも通っている。
学費、生活費、日常の雑費——一度も「節約しなさい」と言われたことがない。
ただ母さんは、金の出所を具体的に話したことがない。
かつて魔王を一人でクリアした詳細を話さないのと同じように。
「母さん」
口を開いた。
「ずっと気になってたんだけど、小さい頃からうちの生活ってかなり余裕あったし、ぶっちゃけそこそこ裕福だった。その後ルミナたちが三人も増えて、育ち盛りの子供三人の衣食住にかかる費用は相当なはずなのに、全然問題なかった。今は俺が学院に通ってるけど、学費も生活費も一度も途切れてない。これ全部足したら小さくない額だと思うんだけど——そんなに金あるの? 勇者やってたときの貯金?」
ガラティーナは首をかしげて少し考えてから、とても気軽に答えた。
わざとはぐらかしているのか、本当にそうなのか、判別がつかない軽さだった。
「うん。そうだね。たくさんあるよ。使い切れないくらい」
ウリエルが母の顔をまじまじと見つめると、その表情には一切の誤魔化しも、後ろめたさもなかった。ただ純粋に、事実を確認して答えただけの落ち着きがそこにあった。
本当に使い切れないらしい。
「どういうこと。普通に暮らしてて、どこかにへそくりを隠してるわけでもないし」
ガラティーナの表情がふと変わった。
ウリエルはこの表情をよく知っていた。
前回は「ティアンはどうやって胸を平らにするの?」と訊いたときだ。
眉がわずかに持ち上がり、瞳の奥の金色の光が一瞬輝いた。そこには、少しばかりの得意げな色と、「訊かれちゃった」という小さな喜びが混ざっていた。
その表情が顔に浮かぶと、彼女は一気に何歳か若返って見えた。
こっそり隠していた飴を大人に見つけられた子供みたいだった。
「ウリちゃん、お金の管理を始めてから、お金に敏感になったねぇ」
抱えていたクラフト紙の包みを片側に寄せて、右手を空けた。
「ママには収納魔法があるの」
空中に手を伸ばした。
手首には服の入った紙袋がかかっていて、紐が手首の骨の上で揺れていた。
指先が触れた空気が、水面のように淡い金色の波紋を広げた。
そして彼女の手がその波紋の中に入っていった。
何もない空間が、指を、手の甲を、手首を、そのまま飲み込んだ。
目に見えない引き出しの中をひっくり返すように中で数回探ってから、小さな袋を一つ取り出して、ウリエルの前に差し出した。
ウリエルは受け取った。
袋は小さかった。
布地は粗くて厚ぼったく、口を革紐で結んであった。
手のひらで量ると、ずっしり重い。
おそらく五十枚くらいか。
片手で革紐をほどき、口を開けて中を覗いた。
金貨だった。
小さな袋とはいえ、これだけで五百万相当の買い物ができる。
黄金の輝きが夕暮れの光の中で鈍く落ち着いた光を放っていた。
口を閉じて、革紐を結び直した。
ガラティーナはまだ探っていた。
淡い金色の波紋の中をまた数回探って、今度は包丁を一本引き抜いた。
柄が使い込まれて光沢を帯びていた。
この包丁はウリエルもよく知っている。
旧い家でニンニクを叩くときに使っていたやつだ。
彼女はぱちくりと瞬きをして、包丁を空間に戻すと、再び中をガサゴソとあさり始めた。
今度出てきたのは肉まんだった。
皮が真っ白で、ひだがきれいに畳まれていて、ほんのりと湯気が立っていた。
旅館のバイキングのやつだ。
どこかの朝に何気なく入れたらしい。
「ウリちゃん食べる?」
「……いらない」
ウリエルはその肉まんが虚空に戻されるのを見て、深く息を吸った。
「それ、完全にゲームの『アイテムボックス』じゃん。チート級に便利だな」
「習いたい」と言いかけて、飲み込んだ。
前に魔法を教えてほしいと頼んだのは学院襲撃のときだった。
母さんは優先順位がよく分かっていないから、本当に大通りの真ん中で魔法の講義を始めかねない。
「で、その中に全部でいくら入ってるの?」
手に持った金貨の袋も彼女に押し戻した。
ガラティーナはそれを受け取り、子供には必要ないと判断したのか、それとも預かっておくつもりなのか、ためらいなく淡金色の波紋の中に入れた。
顔を上げて空を見た。
三つ編みがその動作で肩の後ろに流れ、毛先が風に軽く揺れた。
目が細い二本の線になった。
まつ毛が夕日の中で金の縁取りを帯びていた。
しばらく考えてから、顔を下げて指を二本立てた。
「毎日——たぶん、二万」
ウリエルの目と口が同時に丸くなった。
総額ではない。
毎日だ。
なぜ一日単位なんだ。
「え? 毎日? なんで一日単位なの?」
「だってママ、前に箱をもらったの。残高ペイ箱って名前」
手を下ろして、両手で大きすぎず小さすぎない四角を作った。
「その中にお金を入れると、毎日少しずつお金が生まれるの。庭にミントを植えて水をやったら次の日に新しい葉が出るみたいに」
ウリエルは石畳の道に立ち尽くした。
手にはまだ二つのクラフト紙の包みを提げたままだった。
残高ペイ箱。
毎日金貨が湧く箱。
一日二万。
心の中で黙々と計算を始めた。
一日二万金貨。
一か月で六十万。
一年で七百二十万。
王都の中心街にある庭付き三階建ての一戸建て物件が、頭の中で「しばらく貯金が必要」から「一か月以内に全額払える」に変わった。
数十枚の金貨を節約するために仕立て屋で細かく計算していた自分は、穀倉の入口で米粒を数えていたようなものだ。
いや、米粒ならまだ食える。
「それってどう区切るの。残高、ペイ箱。それとも残高ペイ、箱」
ガラティーナはその質問を奇妙だとは思わず、真剣に考えた。
「どう区切るんだ。残高、ペイ箱。それとも残高ペイ、箱? 前にあった、資産運用ガイドだっけ、あれも同じ名前だった」
彼女はそう言って、また少し得意そうな笑みを見せた。
「投資とか資産運用とか、ウリちゃん自分でも色々読んでたし」
ウリエルは手を振った。
母さんが本気で答えてくるとは思わなかった。
名前はどうでもいい。
箱の断句は設計者の問題だ。
設計者の苗字が『孫』でもない限りどうでもいい。
本当に訊きたいのはその先だ。
「そこはどうでもいい。適当に訊いただけ。元本いくら入れたら毎日二万になるの」
ガラティーナが数字を答えた。
さっきまでの小さな得意げな様子は消えていたが、その数字はかえってウリエルをさらに震撼させた。
その数字を聞いた瞬間、クラフト紙の包みを提げた指がわずかに強く握りしめられた。
八百万。
「銀貨?」
訊いた。
「金貨」
風が吹いた。
遠くで寒鴉が数声鳴いた。
寒鴉がねぐらにしている古いエンジュの葉が風に揺れてがさがさ音を立て、数枚の枯葉が枝から離れて、くるくると回りながら石畳の上に落ちた。
遠くの酒場の入口では、リュートを抱えた吟遊詩人が調弦していた。
弦がいくつかの散漫な音を鳴らした。
咳払いをして、どこかの時代から伝わる古い歌を歌い始めた。
歌声が風に乗って路地に流れ込み、ウリエルの耳をかすめた。
「天家に迷い込み——この手に余る砂を——」
ウリエルは何も言わなかった。
二つのクラフト紙の包みを提げて、人通りの多い街角に立っていた。
レンタル彼氏で稼いだあの程度の金では、この箱が三十分で生み出す額にも満たない。
さっき数十枚の金貨を惜しんだ気持ち、「無駄に何十枚も使っちゃった」という思い、そして十数年の勤倹節約の認識が全て風に吹き飛ばされた気がした。
(御曹司って、俺のことだったのかよ!)
【第八十九話・終】
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