第七十七話:信頼できる部下
部下たちが有能すぎる。
有能すぎて、書記官の「実は何も考えていなかった」時間がどんどん削られていく。
夕暮れの残光が窓の隙間から斜めに差し込んで、床に長い橙色の帯を引いていた。
ウリエルは書き机の前に座って、広げたままのノートを見ていた。
途中まで描いた行動フロー図は、書き直しと塗り潰しで滅茶苦茶になっていた。
ペンを置いて、顎に手を当てた。
情報を流す必要がある。
セラフィーナの居場所が分かったという事実を、自分たちだけで抱えていてはいけない。
騎士団にも知らせる。エステラにも知らせる。
そうでもしないと、状況をかき乱せない。
旅団だけで動いて、教団の拠点を叩いた後に全ての視線が集まってくる。
「どうやって見つけたんだ?」「なぜ騎士団より、王国最強の冒険者より先に動けた?」
そういう質問の処理を誤れば、教団そのものより厄介なことになる。
ただ、どの経路で流すか、どこまで流すか、いつ流すか。
全部タイミングが要る。
ルミナかキラが連絡に来たときに一緒に段取りをつけよう、と決めた。
ペンが指の間でくるくると二回転して、床に落ちた。
同時に、玄関のドアノブが回る音がした。
ティアンが入ってきた。
手に、濃い油紙で包まれた細長い包みを提げていた。
長さはおよそ一メートル二十センチ。外側に麻縄が二重に巻かれていて、持ち手の部分に柔らかい布が当ててあった。
外出する時は、家で二人きりの時の「ママの装い」から着替えていた。
学生制服に、薄い色の軽い上着を羽織っていた。
「受け取ってきたよ」
包みを机の上に置いて、麻縄をほどいて油紙を剥いた。
西洋剣が一本、濃い油紙の中に静かに収まっていた。
細身の刀身で、銀色の刃が室内の灯りの下で冷たい薄青みを帯びていた。
鍔は十字型とバスケット型の奇妙な合わせ技で、片方ずつ組み合わさっていた。
柄には濃い色の革が巻かれ、柄頭に親指ほどの透明な魔晶が嵌まっていた。
正直に言えば、実戦用というより工芸品に近かった。
ティアンの指が刀身の上でしばらく止まって、触れなかった。
「鍛冶屋さんが言ってたよ。図面と注文通りに、寸分違わず仕上げたって」
顔を上げてウリエルを見た。
目がきらきらしていた。
「今年一番の出来だって、すごく嬉しそうだった」
ウリエルは立ち上がって机まで歩いた。
手は伸ばさずに、じっくり眺めた。
(ビューティフル)
「君に渡す」
口を開いた。
ティアンが瞬きした。
「魔女の佩剣だ」
ウリエルは油紙を彼女の方へ軽く押した。
「受け取れ」
ティアンは柄に手を伸ばして握った。
革と掌がしっくり馴染んだ。
剣を持ち上げると、切っ先が自然に下がった。
刀身を見つめて、手首を傾けて、光が刃に沿って流れるようにした。
それから彼女の表情が溶け始めた。
普段の笑みより深かった。
口角が抑えきれなくて、目尻まで喜びが滲んでいた。
内側から何か温かいものに火を点けられたみたいだった。
母親である彼女にとって、子供からもらった贈り物ほど嬉しいものはなかった。
「きれいだねぇ」
剣を目の高さまで平らに持ち上げた。
語尾がとろとろに伸びた。
「この鍔の模様、銀糸で編んであるの? ウリちゃんが図面に描いたの? こんなに細かい線、すごく時間かかったでしょ。柄の色も綺麗で、魔女の制服と同じ配色なんだね。ウリちゃんは本当に気が利くなぁ」
彼女はそっと慎重に剣を裏返した。
「刀身にも暗紋がある。この紋様って、もしかして聖剣の符文を簡略化したもの? そこまで考えてたんだ。ママ、感動しちゃう」
また表を向けた。
「魔晶の大きさもちょうどいい。大きすぎず小さすぎず。腕のいい鍛冶屋さんだけど、デザインしたのはウリちゃんだもんね。ウリちゃんはママのこと、全部分かってくれてるんだね」
ウリエルはその場に立ったまま、次から次へと降り注ぐ絶賛の嵐に晒され、耳の先が赤くなっていった。
正直なところ、細かい部分はほとんど鍛冶屋に任せていた。
ちょっと言及しただけで、あとは職人が仕上げたものだった。
ノートの上に手を置いて、軽く咳払いした。
「そんなに褒め続けられたらシナリオが書けない」
ティアンは剣を胸に抱えて、首を傾けた。
「じゃあ——」
「飯を作ってこい」
ティアンは剣を丁寧に油紙の中に戻して、振り返ってキッチン兼用のベランダの方へ歩いた。
途中で振り返って一度だけウリエルを見た。
「うん、ウリちゃんに美味しいもの作るね」
それから包丁とまな板のリズミカルな音が始まり、鍋の油が弾ける音が続いた。
ドアの隙間から漂ってくる匂いが、肉の香りから徐々に甘い醤油の焦げ香へと変わっていった。
ウリエルは書き机に戻って、フロー図の最後の行に一筆加えた。それでも意識は少し引っ張られていた。
(母さんは毎日どうやって宿のビュッフェから食材をくすねてきて、自分で調理してるんだ?)
窓の外が暗くなっていた。
向かいの家の窓にぽつぽつと灯りが点き始めた。
古い木の輪郭が、青みがかった夕暮れの霞の中に溶けていった。
窓から微かな音がした。
外側から窓枠がそっと押し開けられた。
キラが窓を乗り越えて飛び込んできた。
窓枠に着地して、濃い青の髪がまだ外の夜の冷気を帯びていた。
前髪が眉の半分まで垂れていて、見えている片方の目の奥に、高度に集中しているときだけ浮かぶ微かな光があった。
着地した瞬間、彼女はまるで誰かに一時停止ボタンを押されたかのようにピタリと固まった。なぜなら、窓の真正面に一脚の椅子が置かれていたからだ。大衆食堂から持ち出してきたような、生活感あふれるプラスチック椅子である。
白っぽい座面に古い傷が何本かついていた。
魔女がその椅子に座っていた。
背を窓に向けて、姿勢は静かに整っていた。
膝の上に取ってきたばかりの西洋剣を横たえていた。
刀身が灯りの暖色を反射していた。
キラの視線がその椅子に落ちた。
眼差しがわずかに鋭くなった。
(こんなにも安っぽい市井の椅子なのに、魔女様が座ればまるで玉座のような威厳が漂う……これが真の実力者の境地というものか……!)
キラの視線が魔女の背中から離れ、限界化して悲鳴を上げるよりも先に。
ウリエルが壁の陰から歩み出てきた。
今日は部屋着ではなかった。
濃い色の衣装に着替えていた。
書記官らしい、引き締まった印象だった。
横から光が当たって、顔の輪郭を鮮明に切り取っていた。
魔女の椅子のすぐ傍まで来て、首を少し傾けてキラを見た。
「今夜は、魔女の夜宴だ」
声のトーンが半段落ちていた。
話す速度が少し遅かった。
語尾が澄んでいた。
普段の言葉に滲んでいる気の抜け感が、どこにもなかった。
キラの体は脳より先に反応し、膝をわずかに寄せ、無意識にふくらはぎを擦り合わせると、重心を前へぐっと傾けた。
唇が二度ほど動いたが、漏れたのは吐息だけだった。
口の形は「かっこいい」に見えたが、声帯はまったくついてきていなかった。
目が点った。
瞳の中に小さな炎が二つ灯ったみたいだった。
体全体が見えない糸に引っ張られるように前へ流れ始めた。
気づいたときにはウリエルの目の前まで来ていた。
顔が少し上を向いて、唇がまた動きかけて、また止まった。
右手が意思とは無関係に持ち上がって、指が開いて、ウリエルの袖口の方へ伸びた。
ウリエルの目が一瞬、細くなった。
このモーションは知っていた。
発症寸前のサインだった。
「キラ」
声を抑えたまま言った。
それでも威圧感は十分だった。
「任務が先だ」
宙で指を止めたキラは、少し間を置いてから体を起こし、手を体側に下ろすと、深く息を吸い込んで口を開いた。
「はい。旅団を三隊に分けました一隊は騎士団本部を張り込み中現時点で異常な兵力の動きはなし一隊は冒険者ギルドを張り込み中エステラはまだ人手を集めていますが捜索方向は第一学院から外れています一隊は教団拠点の外周に留守番中夜間の交代周期と守衛の人数を確認しました八から十人です別途予備隊を一ユニット待機させていますどちらの方向にも即時支援可能です以上です」
ウリエルは聞き終えて、耳に引っかかったキーワードをいくつか拾った。
騎士団、冒険者ギルド、エステラ、交代周期。
残りの言葉は頭の上から一斉に降り注いできたバケツの水みたいで、ぜんぶ床に散らばって拾えなかった。
しばらく黙っていた。
「もう少しゆっくり。もう一回」
キラがぽかんとした。
それから前髪をちょっと横にはらった。
「すみません。少し取り乱しました」
今度は人間の話す速度に収まっていた。
「今夜の布陣です。旅団を三隊に分けました。一隊が騎士団を監視、一隊が冒険者ギルドを監視、一隊が教団の拠点外周に待機。予備隊を一ユニット別に残してあり、どこへでも即時支援できます。今のところ騎士団の兵力移動に異常はなし。エステラはまだギルドで人手を集めていますが、捜索方向は第一学院の方を向いていません。拠点の夜間交代周期は確認済み。守衛はだいたい八から十人です。以上です」
ウリエルは頷いた。
今度は全部聞こえた。
キラは少し間を置いてから続けた。
「もう一点あります」
報告のときより目の奥の光が少し強かった。
「教団の潜伏勢力をあぶり出すために、独断でセラフィーナの情報を騎士団と冒険者ギルドに流しました」
ウリエルは片方の眉を少し上げた。
さっき机の前でずっと考えていたことだった。
どうやって情報を流すか。
偽の目撃情報を使うか、別の手を使うか、ルミナかキラに段取りをつけさせようとしていた。
キラがもうやっていた。
(まずい、エステラへの対処がまだ固まっていない)
一瞬、焦った。
でも焦ってはいけない。
書記官が焦ってはいけない。
それに魔女が動けば、たいていのことはどうにかなる。
キラが言った目的は、教団の内通者をあぶり出すことだった。
それに対してウリエルが考えていたのは、単に状況を撹乱することだった。
動機は違う。だが結果は同じだった。
情報が流れれば、騎士団も冒険者ギルドも第一学院の方向へ動く。
今夜の局面はより混乱したものになる。
兵力で劣る側にとって、混乱は常に追い風だった。
しかもわざわざ自分が手を動かす必要がなくなった。
「よくやった」
本心だった。
語気に、うっすらと本物の手応えが乗っていた。
「ちょうど君に任せようと思っていたところだった。先に片づけていたとは」
キラは何も言わなかった。
体の横で、指先を軽く握り込んだ。
耳が首元まで、見事に赤かった。
(書記官様の思惑は、やはり底が見えない……! この一手まで織り込み済みで、しかも私に任せるつもりでいた……!)
キラが粛然と自己脳内補完に入り込んでいた、まさにその瞬間。
例のプラスチック椅子の方向から、手が一本伸びた。
魔女は背を向けたままで、微動だにしなかった。
ただ右手だけが椅子の横からすっと出て、四指を握り、親指を真上に立てた。
完璧なグッドサイン。
振り返らず、声もなかった。
腕を伸ばした弧度だけが、あの安い椅子とまったく釣り合わない、妙な格調を持っていた。
ウリエルはその手をぽんと叩いた。
「魔女様、お出ましの時間です」
魔女は例のプラスチック椅子から立ち上がった。
西洋剣を手に提げて、その背中は湖のように静かで山のように揺らがなかった。
それから、わずかに首だけを傾けた。
声を少し落として。
「ウリちゃん、鍋に豚肉のトロトロ煮込みがまだ入ってるから、お腹空いたら自分で食べてねぇ。熱いから気をつけてよぉ」
キラは硬直した。
動体視力は申し分なかった。
聴覚も問題なかった。
今の言葉は確実に聞こえていた。
ただ、脳が処理を拒んでいた。
……いま、魔女様は……なんと……?
豚の……角煮……?
鍋に……まだ入っている……?
ウリちゃん……???
情報の断片が頭の中で激しく衝突した。
繋がらなかった。
繋げてはいけない気がした。
しかし繋がってしまった。
魔女様が……今夜の出陣前に……鍋の火加減を……書記官に……!
キラの顔が、沸騰する直前の湯みたいな色になった。
両手で自分の口を塞いだ。
尊い……!!!
ウリエルはキラの方を一切見なかった。
「分かった。気をつける」
と言って、ノートのページを一枚めくった。
【第七十七話・終】
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