第七十四話:誘拐犯と人質
人質は、ただの令嬢ではなかった。
トランプで看守のポケットを空にし、厨房を借りて料理を振る舞い、勝ち分を酒に変えて奢る。
気づけば監視役たちは、彼女の手のひらの上で「臨時炊事員」兼「非公式の精神支柱」になっていた。
鉄格子越しに、セラフィーナは当番看守三人のポケットを底まで空にした。
銀貨が鉄格子の外側に一列に並んでいた。
内側でセラフィーナは胡座をかいて座り、端の折れた数枚のカードを手に持っていた。
「もう一局ですわ」
格子の向こうの看守がカードを床に伏せた。
「もう終わりだ。イカサマだろ?」
「そちらが切って、そちらが配ったカードですわ」
セラフィーナはカードを整えて、格子の隙間から差し出した。
「ただ運が良かっただけですの」
これは建前だった。
彼女は山から出たすべてのカードを記憶していた。順番の誤差は二枚以内だった。
看守たちは午後いっぱい彼女と勝負して、勝ったのは片手で数えられるほどだった。
負けた二回も、彼女が話を引き出しながらカードを打っていたせいで注意が散漫になったからだった。
それでも最後、今にも泣きそうな顔の見張りたちを前にして、セラフィーナはあっさり勝ち分の銀貨を全部押し返した。
「おごりということにしましょう。いいお酒を飲んできて。上司の方々にも一杯どうぞ。こういう地下での仕事はプレッシャーが大きいですから、職場の人間関係は大切ですよ」
名家の令嬢らしい穏やかな口調で、彼女は真顔のまま職場関係について説いていた。
看守たちは顔を見合わせて、やはり言葉が出てこなかった。
翌朝、研究員がいつも通り採血に来た。
セラフィーナが袖をまくる動作はもう最初の日より手慣れていた。
握る、緩める、ガーゼを押さえる、一連の流れが一息でできた。
研究員の手つきも初日より半テンポ遅くなっていた。
帰り際にはセラフィーナに向かって軽く頷いた。
同僚間の引継ぎをするときのような頷きだった。
研究員が出た後しばらくして、今度は看守長が来た。
四十代そこそこの男で、肩幅があって腕が太く、背が広かった。
若い頃に冒険者ギルドで体を鍛えた下地があるとのことだった。
鉄格子の外に立って、セラフィーナをしばらく眺めた。
「全員の金を全部巻き上げて、その全部を酒に変えてやった」
彼は言った。
「つまり、皆様は自腹で飲みに行かれたのと同じですわね」
セラフィーナが返した。
看守長はしばらく黙っていた。
それから鍵を取り出して、鉄格子の錠を外した。
蝶つがいが長くきしんで、鉄扉が外に向かって揺れ開いた。
「外に出ていい」
看守長は鍵を腰に戻しながら、ぶっきらぼうに付け加えた。
「うろうろするな。変なところを見るな。人をつける」
セラフィーナは立ち上がって、スカートに付いた干し草のくずを払った。
急いで飛び出すことはせず、まず出入口に立って外の廊下を一周見渡した。
廊下の両端にそれぞれ曲がり角があって、その先は見えなかった。
「ありがとうございます」
格子の外に出た。
案の定、後ろから若い看守がついてきた。
背は低く、顔にまだ少年の名残があった。
三歩後ろを歩いて、腰の短棍に手を当て、できるだけ険しく見せようと表情を張っていた。
セラフィーナが振り返ると、彼はすぐに目を逸らして壁のひびを凝視した。
まるでそのひびが突然、非常に興味深いものになったかのように。
セラフィーナに許された「外出」ルートは単純だった。
牢から出て廊下をまっすぐ歩き、右に曲がり、鍵の掛かっていない鉄格子の扉を通り、二十歩ほど歩くと粗末なトイレがあった。
用を足して、元の道を戻る。
全行程五分以内だった。
次の日、彼女はこのルートに新しい項目を加えた。
「厨房はどこですか?」
若い看守が瞬きした。
「……は?」
「調理をする場所」
セラフィーナは袖を少しまくって、学校の食堂の勝手口を聞くような口調で言った。
「毎日乾いたパンとマッシュポテトしか出てこないので、自分で何か作りたい」
「ちょっと待ってください」
若い看守の表情管理が完全に崩れた。
「お嬢様、ですよね? 貴族のお嬢様が料理できるんですか?」
セラフィーナは彼を見て、「答えが明らかすぎてどこから説明すればいいか分からない」という顔をした。
「できますわ」
厨房は看守たちが普段使いにしている場所で、広くはなかった。
竈口が二つ、鍋釜はひと通り揃っていた。
壁際に袋入りのじゃがいも、玉ねぎ数個、小さな燻製肉の塊が積んであった。
セラフィーナは壁に掛かっていた古いエプロンを締めて、髪を首の後ろで低くまとめて、手を洗い、玉ねぎを切り始めた。
まな板の上に落ちる包丁の音は、速く均一だった。
玉ねぎを薄切りにして、じゃがいもの皮を剥いて角切りにして、燻製肉を親指大に細かく刻んだ。
調理台の前で四十分ほど立って、玉ねぎとじゃがいもと燻製肉の炒め物を作り、残った端切れで薄切りとせん切りのじゃがいも炒めを一皿作った。
料理の匂いが厨房の扉の隙間から抜け出して、廊下を伝って広がっていった。
その日の昼、看守たちの食卓に二品が増えた。
「本当に貴族なのか?」
一人の看守が椀を持って、小声で隣に聞いた。
「間違いなく」
隣の看守は柔らかく崩れたじゃがいもをくわえながら、くぐもった声で返した。
「身体検査のときに学生証を見た。王都第一学院、ヴァルドリッチ伯爵家の令嬢だ」
「なんで料理ができるんだ?」
セラフィーナが厨房の扉から半身を出した。
エプロンはまだ外していなかった。
布巾で手を拭きながら、静かに言った。
「興味があって、おもしろそうだったから、自分で覚えました」
料理が生み出した効果は、セラフィーナの予想をはるかに超えていた。
その夜、付き添い担当の若い看守は彼女の作った料理を二杯おかわりして、食べ終わった後、彼女を見る目がすっかり変わっていた。
「姉ちゃんだったらよかったのに」という、素直な憧れが滲んでいた。
他の当番看守たちの態度も軟化していた。
以前は「この変な囚人を監視して余計なことをさせるな」という構えだったのが、「料理のできるお嬢さんを見ていて、手を火傷させたり遠くへ行かせたりしないようにしよう」という構えに変わっていた。
セラフィーナはその変化を全部、目の端に収めていた。
竈の前で炒め物をしながら、調味料を取りに振り返る動作に紛れて、厨房の天井の隅にある換気口に視線を流した。
油煙が鍋から立ち上って、換気口の近くまで上がり、ほんの少しが吸い込まれて、残りのほとんどは厨房の中をぐるぐるしていた。
換気が悪い。
非常に悪い。
ここは地下だ。
単純な半地下の窓井設計なら、換気が悪い。
ただの地下室ではない。
半地下なら、ここまで空気は淀まない。
もっと深い場所。
廃坑か、古い地下施設。
房の油煙が排気しきれないせいで、壁の苔が地上の何倍もの速さで繁殖している
セラフィーナは頭の中に、少しずつ地図を描き足していった。
牢の位置、トイレの位置、厨房の位置、廊下の走り方、床面の傾斜。
外出のたびに、料理に来るたびに、その地図に一本ずつ線が引き足されていった。
四日目、セラフィーナはもはや囚人ではなかった。
この拠点の臨時炊事員、看守たちの一番のカード相手、兼、非公式の精神支柱だった。
当番の看守たちがカードで負けた分は、彼女がチップに換算して酒を奢るという形で彼らに還元された。
現ナマで酒を買うのではなく、勝ち分をツケにして飲ませるのだ。
――『お前らから巻き上げた金で、お前らに酒を奢る』というわけだ。おまけに、この下働きたちと看守長との関係まで良好になっていた。
この仕組みのせいで、看守たちは全財産を失った後でも腹を立てるどころか、この娘は気前がいいと感じていた。
少し年長の看守は麦酒を半壷飲んだ後、卓を叩いて隣に言った。
「あの方は貴族だぞ。この器量を見ろ」
若い看守は杯を持ったまま、深く頷いた。
セラフィーナはカード卓の反対側に座って、水を少しずつ飲んでいた。
手元のカードはもう伏せてあった。
この局は意図的に負けた。
連勝が続くと人は警戒する。
ときどき負けることが人間関係の潤滑油になる。
社交界で何年も揉まれて積み上げた経験則だったが、誘拐犯相手でも同じように機能した。
翌日には、以前は一歩も離れなかった若い看守が、今では牢の扉から出るセラフィーナを見ると、遠くから軽く頷くだけになっていた。
厨房に行くのに報告は要らなかった。
トイレに向かえば誰かがちらりと方向を確認して、またカードに戻った。
一度、分かれ道を間違えて廊下の突き当たりで十数秒立ち止まったときも、通りかかった看守が声をかけるだけだった。
「そっちは倉庫です。厨房は左ですよ」
疑いの気配は微塵もなかった。
そろそろ潮時だ、とセラフィーナは感じた。
五日目の午後、その日最後の情報を引き出した後、セラフィーナは廊下を奥に向かって歩いた。
今回は厨房の方向でも、トイレの方向でもなかった。
廊下の反対側の端を進んで、あの看守が「倉庫」と言っていた場所を通り過ぎ、松明のない暗い細道に折れた。
空気に埃の匂いがした。
最近、誰かが動かした埃だった。
ここを歩いた人間がいる。
それほど前ではない。
前に進みながら、指を石壁に当てて、湿度の変化を感じた。
前方に分かれ道があった。
左は上へ続く石段、右は別の廊下だった。
上への石段。
これは重要だった。
頭の中の地図に星印をつけた。
「何をしている?」
声が背後から来た。
セラフィーナの動きがわずかに止まって、それからゆっくりと振り返った。
後ろに立っていたのは、今日は当番ではない顔だった。
三十代、痩せて背が高く、頬骨が張っていた。
他の看守よりも目が冷たく、鋭かった。
武器は抜いていなかった。
ただ腰の短剣の柄に手を置いて、頭を少し傾けていた。
見つかった。
セラフィーナは石壁から手を離して、指先についた埃を払った。
慌てた様子も、後ろめたげな素振りもなく、眉ひとつ動かさなかった。
「散歩です」
彼女は言った。
痩せた背の高い看守はしばらく黙っていた。
それから廊下の来た方向に顎をしゃくって、戻れと示した。
セラフィーナが歩き出して、その横を通り過ぎた瞬間、彼が言った。
「うろうろするな。もう数日で解放される」
セラフィーナの胸が一瞬、ひやりとした。
頭を向けて、痩せた看守と目を合わせた。
嘘をついている顔ではなかった。
脅している顔でもなかった。
「もう少し我慢してくれ、こちらも早く終わりにしたい」という、実直な口調だった。
だからこそ、その「出られる」という言葉が引っかかった。
もう一度見てから、視線を前に戻した。
「……わかりましたわ」
明日から急に授業が変わると告げられた、諦めながらも飲み込める、あの語調だった。
素直に引き返した。
痩せた看守が二歩後ろについてきた。
分かれ道まで来たとき、セラフィーナはふと足を緩めた。
振り返らず、歩きながら言った。
「もし何か突発的なことが起きたら」
「何が起きるんだ?」
後ろから声が来た。
「火事、崩落、内部で何か問題が起きるとか」
口調は揺れていなかった。
「こういう地下施設は換気が悪いから、火はすぐ広がります。構造も古そうですよね、柱のひびは気づいてますか?」
自分がどこのひびを、何本確認したかは言わなかった。
「それがどうした?」
「ですから」
セラフィーナは足を止めて振り返った。
生徒会長が職員室に緊急避難計画の協議に来たような、真剣な顔で言った。
「出口の道を先に教えてもらえませんか。万が一のとき、自分で走れるように」
痩せた看守の口の端が引き攣った。
廊下の両端を見て、それからセラフィーナの顔を見た。
その顔に「話を引き出そうとしている」気配は皆無だった。
あるのはただ、壁を掻き毟りたくなるほどの。
「そんな手は通じない。牢には鍵もかかってないだろう。本当に何かあれば扉を開けて走れる」
彼は言った。
事実だった。
牢の鉄格子は四日目から一度も施錠されていなかった。
廊下の奥の鉄格子も、常に半開きだった。
理屈の上では今すぐ立ち上がって出ていけた。
「それは無責任な答えですわ。どうやって出ればいいか、私には分かりませんもの」
セラフィーナは静かに言った。
「牢を出た後、どちらへ向かえばよろしくて? 分かれ道はいくつありますの? どこが行き止まりで、どこが地上に通じていますの? 煙で主な通路が塞がれたら、別のルートはどこになりますの?」
畳み掛けるように例を挙げた。
「迷子になって、火が道を塞ぐか、地下水が浸水して外へ出られず、死んだとしたら」
最後の一言を付け加えた。
「そうなったら、ただの誘拐事件じゃ済まなくなりますね」
痩せた看守が、足元で少し詰まった。
後頭部をかいて、何度も「この人はどういう頭の作りをしているんだ」と確かめた末にたどり着いた結論が混じった口調で言った。
「……それはそうだな」
息を吐いて、廊下の方向を指した。
「出たら左、突き当たりを右、鉄格子の扉がある。押し開けると上への石段。石段を上りきると木の扉。押し開けると廃坑道の一角に出る。明かりのある方向に歩いて、百歩くらいで出口に着く。出口は、ええと……出れば分かる」
言い終えてから確認した。
「覚えたか?」
セラフィーナは頷いた。
「覚えましたわ」
【第七十四話・終】
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