第七十一話:居座り
釈放だ。そう告げられた瞬間、普通の男なら安堵して扉をくぐる。
だがウリエルは、廊下の向こうで見てしまった。
長い髪の女がまとう、煮えたぎる黄金の光を。
だから彼は、留置室の椅子にどかりと座り直した。
「足が痛い」「お腹が空いた」と、もっともらしい言い訳を並べて。
ウリエルが口を開いた後、気まずそうな二人の主任審問官、愛想よく彼を取調室に送り戻した。
「もう一度確認する」
向かいに座った主任審問官が調書をめくった。最初の頃の緊迫感はもうなく、どこか形式的な空気だった。
「セラフィーナ・ヴァルドリッチが失踪した当日、彼女と一緒にいたのか?」
ウリエルは頷いた。
「何をしていた?」
「デート」
「具体的に」
「買い物をして、広場の方で食事をした」
ウリエルは真面目な顔で、わずかに演技じみた照れを乗せて答えた。
「アイスクリームです。僕が靴紐を結んでいる間、彼女に持っていてもらったんですが、返されたときには一口かじられていたのに気づきまして……間接キス、ってやつですね」
記録係が止まった。
ペンが止まった。
自分が書き記した砂糖を吐きそうな一文を見下ろして、それからウリエルを見上げた。
困惑と、何とも言いようのない微妙な表情が混ざっていた。
隣で腕を組んでいた衛兵が小さく咳払いして、視線を天井に逃がした。
主任審問官が呆気に取られた。
「……それだけか?」
「家のことも話した。家庭の事情とか」
ウリエルは少し考えてから付け加えた。
「彼女が家庭の事情について話してくれました」
記録係が最後の一文字を書いて、ペンを置いた。
それを主任審問官に渡した。
主任審問官は受け取って、頭から末尾まで走り査して、目を上げた。
「これだけか?」
ウリエルは視線を受け止めて、一点の隙もない誠実な顔で答えた。
「もっと詳しく必要ですか? アイスクリームのフレーバーとか、ミルクティーのブランドとか。アイスはたしかミルク味だったと思います。バニラだったかもしれない。セラフィーナのリップクリームの問題かもしれないけど」
主任審問官は甘々な調書をテーブルの上に置いて、二本指で脇へ押しやった。
ウリエルを数秒じっと見て、言葉にならない葛藤が顔に滲み出て、口を開いては閉じるを繰り返した。
ウリエルは目を逸らさなかった。
これが上に上がったときの反応は目に見えていた——こんなことのために、大げさに?騎士団が正式な審問手続きを動かして出てきたのが、高校生のデート日記だ。
「分かった」
主任審問官が立ち上がった。
椅子の脚が石の床を短く引っ掻いた。
「待ってろ」
扉を押して出ていった。
錠が一回転する音がウリエルの耳に届いた。
廊下にヒールの音が響いて、遠ざかっていった。
ウリエルは座り直して、椅子の背もたれに体を預けた。
調書の逐次報告は標準手続きだ。騎士団という組織は階層が厳密で、各段階ごとに署名と捺印が求められる。主任審問官から分隊長へ、分隊長から副団長へ、そして最終的には団長の机へと届けられる仕組みだった。
それまでの時間、ウリエルには待つ余裕があった。
同じ頃、騎士団本部、団長執務室。
取調室の三倍以上の広さがあった。
壁には歴代団長の肖像画が並んでいた。どの顔も、判で押したように実直な表情をしていた。
紅木の執務机の後ろに、五十がらみの男が座っていた。
肩幅が扉一枚分ほどあった。
目の前に調書が広げられていた。
隣には冷めた紅茶のカップが置かれていた。
その向かいのソファに、一人の女が座っていた。
騎士団長の執務室の来客用ソファに、これほど当然のように座った人間は、過去にいただろうか。
足を組んで、つま先を少し上げて、肘を肘掛けに乗せて、指先で頬を支えていた。
長い髪が肩から流れ落ちて、毛先が腰まで届いていた。
執務室の灯りの中で、髪が冷たい銀の光を帯びていた。
表情は薄かった。
礼儀と値踏みの間、どちらとも取れる表情だった。
エステラ・ヴァルドリッチ。
王国最強の冒険者。
勇者候補。
セラフィーナの従姉。
冒険者の制式装備ではなく、普段着姿だった。腰に剣はなかった。
だが団長には分かっていた。
この女は剣がなくても建物を半分潰せる。
王都を半分、騎士団が総出で当たっても。
「それで」
エステラが口を開いた。
急いでいる様子はなかった。
「審問で何が出た?」
団長が調書を押し出した。
エステラは立ち上がって取りに行かなかった。
少し頭を傾けて、紙面を視線が滑った。
目の動きは速かった。
十行を一息で読んで——止まった。
「アイスクリーム」
声に出して読んだ。
視線が下に続いた。
「間接キス」
肘掛けに乗せていた指が、一度だけ叩いた。
「実家のことについて話した」
エステラの組んでいた脚が、揺れなくなった。
団長はその細部を見逃さなかった。
冒険者の世界で三十年を過ごしてきた男だった。
無意識の動作が突然止まるとき、それはどんな言葉より正直だった。
団長は素知らぬ顔で調書を引き戻して、ティーカップを口に運んだ。
「以上だ」
団長は言った。
「一日かけて審問して、全部これだった。本当に何も知らないのか、しらを切っているのか」
エステラに目をやった。
「どう見る? もっと厳しく問い詰めるか?」
この一言の使い方は巧みだった。
当人の従姉の前で、従妹の交際相手をどう処遇するか相談する——それ自体が探りだった。
庇いたいなら、放せばいい。頷くなら、規則通りに。
団長は無闇に火の粉をかぶるような真似はしなかった。
エステラはしばらく考えた。
それから立ち上がった。
「放してあげて」
団長が片眉を上げた。
「もし彼がやったのなら」
エステラは執務室の扉に向かって歩き、振り返らなかった。
「放せば必ず戻るか、仲間と接触する。見張りをつければいい。やっていないなら、引き留めても意味がない」
扉を引いた。
「私はセラフィーナを探しに行く」
扉が閉まった。
足音が廊下を遠ざかっていった。
団長はその扉をしばらく見てから、卓上の小さな魔導器を取り上げた。
「ウリエルという少年を解放しろ」
留置室。
ウリエルは取調が終わってからここに移されていた。
鉄扉がようやく外から引かれた。
担当の騎士団員が欠伸をしながら手招きした。
「出てきていいぞ。上が解放しろと言った」
ウリエルは立ち上がって、固まった肩をほぐした。
留置室の鉄扉を出て、廊下を出口の方向へ歩いた。
廊下は長かった。
両側に閉じた扉が並んで、数歩おきに魔光灯が一つずつあった。
光が床に、明暗の縞模様を延々と作っていた。
角を曲がったとき、ウリエルは目にした。
廊下の反対側の端から、一人の女が団長執務室の方向から出てきて、大広間へ続く通路に折れていくところだった。
速くなかった。
背中が廊下の奥の光の中で、すらりとした輪郭を作っていた。
一瞬だった。
五秒、あるいはそれより短かった。
だがウリエルの瞳孔が、急激に収縮した。
等級が見えた。
エーテル解析を意識的に開いていない状態で、受動的な観測能力が発動した。
等級が十分に高い相手からは、溢れ出る魔力の光沢だけで大まかな判断ができた。
それが長年染みついた視覚の癖だった。
その一瞬に見えたものが、ウリエルの喉を締め上げた。
輝くような金色だった。
しかも満ちて溢れる金色で、液体黄金が沸点に達したように縁から零れ落ちそうな金色で、その縁に赤紫の光輪が混じっていた。
その赤紫は柔らかいグラデーションではなかった。
高温の金属を水で急冷したときに散る冷たい炎のような、点々と金の光暈の縁に飛沫のように散っていた。
数値に換算すると、七十に近い。
金の底光に赤紫の外溢——この視覚的な印象が対応するのは星辰級の手前、星辰級まであと一歩の位置だった。
星辰級の敷居を踏んでいる。
ウリエルは足を止めなかった。
角を曲がって、冷たい壁に背中を預けて、一度深く息を吸った。
セラフィーナが言っていた言葉が字幕のように脳裏に流れた。
「従姉は私との距離感がない」
「あの人に見られるとき、何か居心地が悪い」
「ああいうタイプは苦手」
セラフィーナの言葉が脳裏を過ぎった。
エステラは女性が好きだ。
エステラはセラフィーナに対して、踏み越えた独占欲がある。
エステラはさっき執務室で調書を目にしたはずだ——買い物、アイスクリーム、間接キス。
なのに自分は今、解放されようとしている。
彼女が「放してあげて」と言ったのか?
「違う」
ウリエルは声を極限まで落とした。
唇はほとんど動いていなかった。
頭の中に、よくある四択クイズが浮かんだ。
A:そのまま飛びかかってミンチにする
B:私怨で騎士団に拷問させる
C:全く気にせず、器量よく解放
D:外で待ち伏せて、密かに始末する
ウリエルは廊下の先、出口に通じる扉を眺めた。
扉の外に陽光が燦々と石畳に降り注いで、騎士団員が何人か扉のそばで雑談していた。
自由は手を伸ばせば届くところにあった。
だがウリエルは向きを変えて、留置室の方向へ戻り始めた。
留置室の騎士団員二人がまだ片付けをしていた。
鉄扉は開いたままだった。
一人が顔を上げて、戻ってきたウリエルを見て、止まった。
「どうした? 忘れ物か?」
「そうです」
ウリエルは平然と頷いて、室内をあちこち見回し、時々手探りした。
そのまま立っていて、出ていく気配がなかった。
二人が目を見合わせた。
「見つかったか? もう行っていいぞ」
一人が扉口を指差した。
「ああ、そうだ」
ウリエルが何か思い出したような顔をした。
「さっき廊下で長い髪の背の高い女性を見かけましたが、エステラ様ですか?」
「そうだ、さっき団長に会っていたぞ」
確認が取れた。
C——あり得ない。
従妹を【レズPTSD】に追い込んだほどの【シスコン痴女姉】、従妹が別の男と間接キスをしたと知って、「放してあげて」?
器量が広いどころか、これは異常だった。
異常には必ず理由がある。
AとBは?
(団長室の目の前で、直接突っ込んできて俺をミンチにするのは、あまりにも目立ちすぎる)
(拷問すれば噂が広まる恐れがあり、騎士団の面子にも関わる。だから残る答えは一つ)
だから正解はDだ。
外で待ち伏せして、密かに始末する。
目撃者なし、物証なし、証拠なし。
騎士団から解放されたばかりの容疑者が、どこかの路地で死んでいても、「逃亡中の事故」で片付けられる。
彼女が手を下す必要すらない。
誰かに頼めばいい。
人が死んでしまえば、後はどうとでも言える。
「だから出られない」
ウリエルはごく小さな声で言った。
あまりにも小さく、留置室の騎士団員二人が「空耳か」と思うほどだった。
「あ?」
一人が首を傾けた。
ウリエルは説明しなかった。
留置室の中をあちこち物色し始めた。
記録係の筆立てを漁って、キャップのない羽根ペンを一本引き出した。
壁際から正体不明の金属片を拾い上げた。
取調テーブルの上の、冷めた水の入ったカップを手に取って、確かめてから、戻した。
「何をしている?」
騎士団員の表情が困惑から警戒に変わっていた。
「探し物です。まだ何かあった気がして」
ウリエルはさりげなく金属片をポケットに突っ込んで、審問椅子にどかりと腰を下ろした。
座った。
動かなくなった。
二人が顔を見合わせた。
「……もう行っていいんだぞ。上が解放しろと言った」
「分かってます」
ウリエルは背もたれに寄りかかって、両足を前に伸ばした。
自宅のリビングで寛いでいるような姿勢だった。
「なら行けよ」
「足が痛い」
二人がじっとウリエルを見た。
「長時間同じ姿勢で座らせたせいで、血の巡りが悪くなりました。足が痺れて歩けません」
一人が反論しようとした。
審問が長時間に及んだのは事実で、椅子も確かに快適ではなかった。
その事実に言葉が詰まって、後頭部を掻いて、出ていった。
十分ほどして、後方支援担当の医療員を連れて戻ってきた。
医療員がしゃがんでウリエルの足を確認して、立ち上がって、首を傾げた。
「特に問題はないですが」
「波があるんですよ」
ウリエルは言った。
「発作的に来るんです」
医療員はウリエルを見て、それから二人の騎士団員を見て、最終的に一番安い治療薬を一瓶取り出した。
ウリエルは受け取って、真面目な顔で飲み干した。
それから座り続けた。
「まだ何だ?」
「お腹が空きました」
この一言を口にしたとき、ウリエルは自分でも正当な主張だと思った。
騎士団に半日拘束されて、水を二杯もらっただけで、パン一枚も出なかった。
本当に空腹だった。
さらに二十分後、マッシュポテトと堅いパンが数枚、運ばれてきた。
ウリエルはゆっくり食べた。
一口一口よく噛んで、まるで精巧な美食を味わうように。
堅いパンをマッシュポテトに浸して、ふやかして、口に運んだ。
食べ終えて、口の端を拭いた。
それから座り続けた。
窓から差し込む光が橙色に変わっていた。
審問の間、行き来が激しかった廊下の足音が次第に薄れていた。
交代の鐘が一巡した。
日が暮れた。
留置室の内外に、騎士団員が四、五人集まっていた。
他に用事があるわけではなかった。
解放されてもなお居座る男を、専ら見に来ていた。
誰かが扉口から頭を覗かせて、引っ込んで、別の誰かがまた覗かせた。
「出ていくのか、いかないのか?」
「歩けません」
「さっき治療しただろう」
「応急処置です。根本的な解決にはなっていない」
騎士団員の口の端が引き攣った。
廊下に出て、同僚と小声で話した。
ひそひそ話だったが、ウリエルの聴力は人並みではなかった。
「どういうつもりだ。上が解放しろと言ったのに、本人が出ていかない」
「分からん。力ずくで追い出すか?」
「お前がやるか、俺がやるか?」
「いっそ……もう一度上に報告して指示を仰ぐか?」
ウリエルは背もたれに寄りかかって、目を閉じた。
外はもうすっかり暗かった。
まさに暗殺にはうってつけの闇夜だ。おまけに外の路地は入り組んでいる。
出て行きたい人間は出て行けばいい。
自分は行かない。
【第七十一話・終】
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