第六十六話:マーフィーの法則
高級住宅街まで送り届け、帰りの切符まで用意され、これで完璧。ウリエルはそう思っていた。
ウリエルは落ち着いて、メンチカツを口に押し込んだ。
まだ噛んでいないうちに、ティアンの声が横から飛んできた。
「ウリちゃん、今デートから帰ってきたんだよね? 何もなかった?」
ウリエルの顎がその場で止まった。
ティアンを見て、ルミナを見た。
二対の目が自分を見ていた。
一つは温かい金色で、純粋な心配が宿っていた。
もう一つは冷たいアイスブルーで、すでに分析が始まっていた。
「駅まで送ったから、大丈夫だと思う」
口の中のものをごくりと飲み込み、箸を碗の縁に置いた。
声はできるだけ平静を保ち、全部掌握しているふうに聞こえるよう気をつけた。
「十分くらいの距離って言ってたし」
言いながら、自分でも少し心もとない気がした。
(十分で何が起きる? まさかそんなに間が悪いことにはならないだろ)
高級住宅街だ。
学院近辺よりずっと治安がいい。
私兵の巡回が野良猫より多い地区だ。
(大丈夫だろ)
問題ないと考えた彼は、再び箸を伸ばしてメンチカツを口に運んだ
ルミナが眉をわずかに寄せた。
何か重要な単語を拾ったような間があった。
唇が少し動き、言葉を選ぶように一拍置いてから、ティアンの方を見た。
「デート、ですか」
ティアンは両手を合わせ、首をかしげた。
睫毛がふわりと弧を描いた。
その顔には今、ママにしか出せない「あ、そういうことか」の笑顔が咲いていた。
「きっとウリちゃんは最初から気づいてたんだよ。ピンチに駆けつけて距離を縮めようとしてたんでしょ?」
ウリエルはあわや、箸を鼻の穴に突っ込みそうになった。
「ちょっと待って待って」
顔を上げた。
口にはまだマッシュポテトの残りがあった。
「どこから英雄登場の話になったの——」
言い終わる前に、ルミナが口を開いた。
さっきの言葉を受け取り、自分の中で展開し始めた。
まるで作戦計画を検討しているような真剣な顔だった。
「なるほど。書記官はすでにこの状況を把握しておられたのですね。標的をお守りするため、自ら捨て石となり盤面に身を投じられた、と」
瞳がかすかに輝いた。
あの輝きには見覚えがある。
魔法少女旅団が数十人規模に達したと報告してきたときと、同じ目だった。
ウリエルは口を動かしかけて、やめた。
ルミナを見て、ティアンを見た。
一人は推論を積み上げていた。
もう一人はうんうんと頷いていた。
どちらも自分の顔を見ていなかった。
(まさか「ヒロイン救出劇なんかじゃない、ただの月五百ゴールドのレンタル彼氏代だ」とは言えない)
黙って飯を食い続けた。
「第一高等学院をお選びになったのも、尋常ではありませんでした。すべてはこのためでございましたか。魔女様を標的に接触させて、最初の信頼関係を構築するため。デートは直接護衛のため」
ルミナは話しながら加速していた。
次々と積み上がっていく推論は、ウリエルが口を挟む隙も与えず、数秒で一本の論理の鎖としてがっちりと組み上がった。
ティアンはその話を聞きながら、「ああ、そういうことだったのか」という顔になっていた。
人差し指を唇に当てて、少し仰向き加減で考え込んでいる。
その頭上に「ピコーン!」と閃きの電球が点灯したのが見えるようだった。
「だからウリちゃんは王都の学院を選んだんだね」
そのまま何かを思い出した。
「あの時、ママにセラフィーナちゃんへ声をかけさせたのもぉ、学院長が怪しいって気づいたからだけじゃなくて、彼女が標的だってわかってたからなのねぇ? だからママに告白させて、最初の護衛役にしようとしてたんでしょぉ?」
「え、あのとき既に——」
ルミナが振り向いた。
普段ほとんど表情を動かさないその顔が、今は驚きを隠せていなかった。
「学院長を処理した後もこの地に留まられたのは、根本から潰せていないとお見通しだったからでございますね?」
ティアンが追加した。
ルミナの驚きはいつの間にか崇拝と熱に変わっていた。
ウリエルが訂正を挟める余地は完全に消えていた。
心の中で激しくツッコミを入れた。
(いや待って全部違う)
(ティアンとしての男子学生のキャラ設定を定着させて、告白でノルマ達成するためだし)
(俺のスタートは五百ゴールドだし)
しかし言えない。
絶対に言えない。
正直に話したところで、ルミナはフリーズするだろうが、ママは「ウリちゃん、お金の管理がちゃんとできて偉いねぇ」と褒めるだけだ。
箸でメンチカツに何度か穴を開けながら、黙って飯を食い続けた。
下を向いて何も言わないその態度が、向かいの二人には「認めているが手柄にしたくない」という奥ゆかしい姿勢に見えたらしかった。
ルミナとティアンが目を合わせた。
「書記官は言いにくい立場ですから」
ルミナは声を少し落として、最後の作戦会議のように言いまとめた。
自分自身に言い聞かせるような、静かな確信だった。
「私たちは合わせるだけでいいです」
ティアンが真剣にうなずいた。
それから二人同時にウリエルを向いた。
温かく溶けるような金色の目と、冷たいのに燃えているアイスブルーの目が、同じ方向から同じ期待を向けてきた。
「次はどうするの?」
ウリエルは飯を吹き出しそうになった。
胸を二回叩き、水を一口で半分飲んで、喉に詰まりかけたものをどうにか流し込んだ。
顔を上げた。
二つの真剣な顔がまだこちらを見ていた。
(知らん)
(俺が聞きたいわ)
最後の一口を飲み込み、紙ナプキンで口を拭いた。
その間ずっと下を向いていたのは、顔を上げると答えを待つ二対の目と合うからだ。
ナプキンを置いたとき、表情は整っていた。
箸を碗の縁に置く、小さな音がした。
背中に少し汗をかいていた。
「臨機応変で」
ルミナは表情を動かさなかった。
片手を握って胸に当て、軽く礼をした。
それから向き直り、窓を押し開けた。
緑の短髪が夜風に一度だけ揺れた。
軽やかに窓枠を越えて、夜の闇の中に消えた。
ウリエルは見送ってから立ち上がり、窓を閉めた。
窓枠が合わさる小さな音がして、旅館の部屋が再び暖かい空気に満たされた。
気づけば、ティアンがいつの間にか立ち上がり、食べ終わった皿を片付けていた。
口元にはいつもと変わらない、柔らかい弧があった。
何も言わなかった。ただ静かに皿を重ねた。
ウリエルはカーテンを引いた。
頭の中に残っているのは、一つの問いだけだった。
(まさか、本当に何かあったりしないよな)
翌朝、空はまだうっすら灰色だった。
ウリエルとティアンが宿を出ると、レオとカイが入口の前で待っていた。
この悪友コンビは、一人が階段にしゃがんで欠伸をし、もう一人が袖で目をこすっていた。
レオがウリエルを見て、気遣わしげに声をかけてきた。
「今日は屋外実習だけど、防具持ってきた?」
「持ってきた」
答えた直後、カイが突如、奇声を発した。
「やっべ、俺忘れた」
カイが取りに戻って、また戻ってくるまで、数分かかった。
朝の通りは本来なら学生が連れ立って第四学院へ向かう賑やかな時間帯だ。
でも今日の空気が違った。
街角の掲示板の前に人だかりができていた。
騎士団の制服を着た兵士が数人、十字路を早足で横切っていった。
遠くから蹄の音が聞こえてきた。
拍子が速い。
巡回の音じゃない。
「何があったんだろ」
レオが十字路の方向へつま先立ちになった。
「第四学院も爆発?」
「第四学院は別の方向だから違うと思うけど」
カイが眉を寄せた。
ウリエルは会話に加わらなかった。
道の向かいで公告を貼り付けている騎士団の文官を目で追いながら、嫌な予感が胸の奥をざわつかせるのを感じていた。
(嘘だろ。たった十分だぞ。何か起きるか? 駅までちゃんと送ったし、あの路面電車は主幹道路を走る公開エリアで、沿線の各駅には駅員も巡回隊もいる。しかもたった十分の距離で、行き先は高級住宅街だぞ。何が起きるっていうんだ)
第四学院の正門に着いた。
普段は門衛が二人いるだけの入口に、今日は騎士団の兵士が一列並んでいた。
鉄格子が半分まで引かれ、一人分の幅だけ開いていた。
兵士が二人、前の学生たちを一人ずつ止めて確認を取っていた。
空気の圧が高かった。
四人の番が来たとき、隊長の徽章をつけた騎士が進み出た。
四人の顔を順番に見てから、口を開いた。
ウリエルのところで視線が一瞬止まった。
声は落ち着いていたが、少し速かった。
「セラフィーナ・ヴァルドリッチさんをご存知ですか。昨夜、行方不明になりました。最後に目撃されたのはいつですか。誰と一緒にいて、何をしていたか、知っていることがあれば教えてください」
レオとカイが同時に目を見開いた。
ティアンの睫毛がそっと動いて、視線が無言でウリエルの方へ流れた。
ウリエルは朝の光の中に立ったまま、足の裏がひんやりする感覚があった。
表には出さなかった。
頭が静かに、素早く動いた。
全部話すか?
昨夜のミルクティー屋台から、電車から、高級住宅街の停留所まで、全部洗いざらい話すのか?
そうすれば自分が最後に一緒にいた人間だと認めることになる。
騎士団は何と思うか。
普通の男子学生が、夜の商業街に伯爵家の令嬢を連れ出していた。
これは目撃証言者か、それとも第一容疑者か。
かといって黙っているわけにもいかない。
カイとレオは昨日二人が一緒にいたのを知っている。
騎士団が第四学院の学生を何人か当たれば、二人で学校を出たことはすぐにわかる。
案の定、二人がこちらを見ていた。
ウリエルは後頭部をかいて、声が自然に聞こえるよう気をつけながら話した。
「知ってます。昨日の午後、授業が終わってから一緒に出かけました。商業街に行って、それから彼女は電車で帰って、俺は宿に戻りました」
一拍置いて、付け加えた。
「停留所で別れました。十分くらいの距離だって言ってたので」
臨機応変で。
昨日、軽く言ったその言葉が、こんなに早く本当のことになるとは思っていなかった。
【第六十六話・終】
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