第六十三話:価値観の交わり
毒舌と打算の隙間から、ふと覗く本音。
それを“人間味”と呼んでいいのかは、まだわからない。
セラフィーナは空になったカップアイスの容器にスプーンを置き、こちらへ顔を向けた。
街灯の光を受けた目が、不思議と落ち着いていた。
冗談を言っているような顔ではなかった。
でも口調は、あくまでも事務的だった。
「私たちって今、あなたが五百ゴールドの報酬をもらって成立している交際関係じゃないですか」
「風邪で移るのが心配だったんですか。それともひどい潔癖症で、一度人が食べたものには口をつけられない、とか?」
ウリエルは固まったまま、しばらく彼女を見ていた。
(この女、手ごわすぎる)
どの言葉も、こちらの逃げ道をふさぐように置かれている。
しかも言い方が、なぜかすごく自然なのだ。
ウリエルは手の中の一口かじったアイスを見下ろし、セラフィーナの落ち着き払った顔を見上げた。
食べればいい。
まさか毒でも盛って夫殺し——いや、レンタル彼氏殺しをするつもりはないだろう。
腹を決めて、コーンを口に突っ込んだ。
思いきり齧り、冷たさが歯に染みた。
セラフィーナはウリエルが食べ続けるのを確認してから、視線を前へ戻し、静かに自分のミルクティーを飲み始めた。
コーンの縁をかみながら、ウリエルは頭をフル回転させた。
スポンサー様がそこまで言うなら、こっちも少しは仕事をしないとな。
カップルらしく振る舞うのが契約の内容なのに、全部彼女に演じさせているわけにもいかない。
残りのコーンをまとめて口に押し込み、手をはたいて立ち上がった。
「ちょっと待って」
道沿いのお菓子の屋台へ走り、棚をざっと眺めてすぐに目的のものを見つけた。
細長いプレッツェルスティックで、表面に薄くチョコレートがコーティングされているやつだ。
セラフィーナのそばに戻ってから袋を破き、一本を口にくわえた。そのまま彼女の顔の前に近づけ、もごもごと口を動かしながら言った。
「ポッキーゲームしよ」
スティックのもう一方の端は、セラフィーナの唇まで指の半分ほどの距離に迫っていた。チョコが少し溶け、甘ったるい香りが漂っている。
セラフィーナはひとつ視線を上げてウリエルを見た。
スティックの真ん中あたりをつまみ、パキッと音を立てて折った。自分の手元に残った半分をそのまま口に放り込み、ボリボリと噛み砕。
視線を前に向けたまま、咀嚼しながら言った。
「大通りで二人してお菓子の両端から齧り合うやつ?あれ、通行人から見たら頭おかしい人にしか見えませんよ。それに食べるとき絶対クズが落ちるし」
ウリエルは口に残った半分をくわえたまま、その場で固まった。
嚙み砕いて飲み込み、ベンチに腰を下ろしながら、この上なく複雑な溜め息をついた。
(なんて面倒な女だ)
セラフィーナはそれには応じず、ミルクティーを飲み続けた。
しばらく休んで、足も休まり、空は完全に暗くなっていた。
商店街の灯りが全部ともり、石畳の上で光の点が一本の線に繋がっている。
ウリエルはベンチの背もたれに体を預け、ふと思い出したことがあった。
最初から聞いておくべきだった問いだ。
あのとき「いい人カード」を渡してその場を終わらせるつもりが、逆に銀行カードを押しつけられてしまい、リズムが完全に狂った。
いつまで続くのかすら聞き損ねていた。
「そういえば。このレンタルって、いつまで続く予定なんですか?」
セラフィーナは紙袋から新しいミルクティーを出した。
「ポンチャ」という飾り文字が入ったカップで、さっき別の屋台で一人だけ買っていたやつだ。
ストローでフィルムに穴を開け、ひと口飲んでから、のんびりと答えた。
「必要に応じて。とりあえず卒業まで、ですかね」
ウリエルはベンチからずり落ちそうになった。
「そんなに長くですか? 好きな人ができた時とかじゃないんですか?」
セラフィーナはまたひと口飲んだ。
頬が少しふくらんでいる。何かトッピングを嚙んでいるようだった。
向かいの街灯から視線を外し、ウリエルへ向けた。
彼の気持ちを慮ろうという様子は、これっぽっちもなかった。
「お金ももらえて、かわいい子にそばにいてもらえる。得してるのあなたじゃないですか」
「あなたが本当に好きな人を見つけるのなんて、面倒じゃないですか。今の私の人生設計には入っていませんし」
ウリエルは頬を一回かいた。
「でも卒業まで、って……」
セラフィーナはカップを置き、両手を膝の上で重ねた。
背筋はまっすぐで上品だったが、口から出てきた言葉はそうでもなかった。
「あなたみたいに、これといった個性もなくて、お金を渡せば言うことを聞いてくれる人って、そうそう見つからないんですよね。新たなお相手を審査する手間を想像するだけで、疲れちゃいますし」
少し首を傾けた。
浅い茶色の髪が肩から滑った。
「ウリエルさん、困っている人は助けるって言ってたじゃないですか。あれ、そんなに短期間限定だったんですね」
ウリエルは口の端をひきつらせた。
「普段あんなに礼儀正しくて、話の分かる人なのに。そういう一面もあったんですね」
セラフィーナはストローを前歯で軽く挟み、やわらかくかんだ。
かちっ、と細かい音がした。
「あなたは違いますね。欠点は色々ありますけど、いいところも多いですし。少なくとも私、あなたの前では『面倒だな』って言えるし、演技がどうだとか突っ込める。お嬢様のポーズ、少し外していられる」
ウリエルはベンチに深くもたれ、両手を頭の後ろで組み、四十五度の角度で空を見上げた。
街灯の光が横顔の片側だけを照らしていた。
「お褒めいただきありがとうございます、お嬢様」
視線を戻し、セラフィーナをちらと見た。
「ありがとう、って言うのもなんだけど——演技って、どういう意味?」
雑談みたいな調子で聞いた。
でも耳だけはしっかり立っていた。
彼女が言いたいのは、自分が弱さを偽っているということか。それとも別の何かか。
だがセラフィーナはその手には乗らなかった。
口の端がわずかに動いた。
いつもの営業スマイルより薄く、でもよほど本物だった。
ウリエルは彼女がそれ以上を話す気がないと察し、追うのをやめた。
視線を空へ戻して、さっきより少し気が抜けた声で言った。
「完璧な人だと思ってましたけど、今のほうが人間味があっていいですね」
セラフィーナの表情が、一瞬引き締まった。
怒ったのではない。
急に真剣になった、という感じだった。
カップを肘掛けに置き、両手を膝に重ねて、少し前より真面目な声で言った。
「完璧な人間なんていませんよ」
「もしいたとしたら、大嘘つきか、現実感がない頭のおかしい人のどちらかです」
ウリエルはその言葉を聞いて、頭の中にある像が浮かんだ。
銀色の短髪に、永遠に変わらない穏やかな笑顔。片手でドラゴンを追い払うくせに、ジャガイモの煮っ転がしには完璧に味を染み込ませる。
欠点らしい欠点はなく、怒ることもない。ただ、倫理観がちょっとばかりぶっ壊れていて、二十人以上の黒装束を干し肉みたいに吊るし上げるのを完全に『普通』だと思っている。
あと、お嫁さんのスペック審査にかけては……
(欠点がない……頭がおかしいのは欠点じゃないのか。まあ実際、欠点はないな。でも頭はちょっとアレだ。主に価値観が)
ウリエルはその考えをそっと胃の中に沈めた。
そのとき、隣からずずずずっ、という空気を吸う音がした。
気づくと、セラフィーナが下を向いて、ストローをカップに刺したまま吸い続けていた。
どう聞いても、もう中身はなかった。
それでも彼女は吸っていた。
杯底に残ったタピオカ二粒と甘い水数滴を、意地でも回収するつもりらしい。
完全に空気と格闘していることには、まったく気づいていなかった。
ウリエルの視線がカップへ移り、紙袋へ移った。
空だ。二杯とも飲み干している。
「えっ、もう飲み終わってるじゃん……っていうか、俺の分は?」
【第六十三話・終】
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