第五十八話:サンドバッグ考察
セラフィーナの動きは、あまりにも「基礎に忠実」すぎる。まるで、余計な技を一切見せまいとしているかのように。
彼女もまた、何かを隠している。
「大丈夫ですか?」
ウリエルは自分のつま先の前の砂地を見つめながら、声が自然と低くなった。
「大丈夫ですよ」
セラフィーナの声が背後から届いた。
いつもの丁寧な営業トーンとは少し違う。
作ったような甘さが一枚剥がれて、落ち着いた、実直な響きがあった。
彼女が背負う番になっても、まあ、できなくはなかった。
ただ、体格の差はどうしようもない。
ウリエルがどれだけ細身でも、普通体格の男子は男子だ。
セラフィーナが前傾して二度試み、なんとかつま先を砂から数センチ浮かせた。
しばらく頑張って、また戻った。
(今まで伸展の相手はずっと母さんのティアンだったからな……)
ウリエルにとって、こういうスキンシップは、正直かなり新鮮な体験だった。
準備運動が終わり、格闘の本練習が始まった。
教官が上級生を模範組として前に出し、残りは自由練習。
二人一組で、一人がミットを構えて的になり、もう一人が打撃を練習する。
ウリエルは防具をつけ、両手でパッドを構えて、セラフィーナの正面に立った。
最初の一発がパッドの中心に入った。
力加減は可もなく不可もなく、打点は正確、ただそれだけ。
変則的な動きは一切ない。
分厚いミットのクッション越しに、くぐもった振動が掌に伝わってくる。
次の一発も、同じだった。
そこで教官が号令を変えた。
ストレートからニーキックへ。
セラフィーナが両手をウリエルの肩に乗せて下に押し込み、膝をパッドに叩き込んだ。
ミット越しに衝撃が走った。
(おいおい、さっきのストレートよりずっと強烈じゃないか!)
続いて、背負い投げに移った。
彼女が腕を掴み、足払いでウリエルの足下を払った。
その細い肩から、ウリエルの体が豪快にひっくり返った。
背中が砂地に叩きつけられ、鈍い音がした。
痛くはない。砂が衝撃をほとんど吸収してくれた。
重心の移し方が巧みで、力ではなく理屈で投げていた。
(さっきのストレッチじゃ俺を背負うのすら苦労してたのに、なんだこの流れるようなコンボと爆発力は。純度100%の「借力」ってやつか?)
ウリエルは密かに考察した。
砂地から体を起こしかけたとき、彼女の顔がもう近くに来ていた。
膝に手をついて前かがみ、髪が垂れて、眉がかすかに寄っている。
「大丈夫ですか? 痛かったですか?」
その目に、余計なものが何もなかった。
純粋な心配だけが、そこにあった。
ウリエルの心の壁が少しだけ緩んだ。そして心の中で密かに評価を一つ追加する。
(いい子だな。母さんに似すぎてる)
次はタックルになった。
さっきの練習でかろうじて築いた穏やかな空気が、一瞬で吹き飛んだ。
セラフィーナが横から腰に飛び込んできた。
肩が脇腹に当たり、足払いが入り、二人一緒に倒れた。
宙を舞い、倒れ込むその一瞬の間に、ウリエルの脳内では少なくとも三パターンのカウンター手段が点滅した。
でも彼にできるのは脳内でシミュレートすることだけで、本物の初心者のように砂地に叩きつけられるしかなかった。
砂埃が舞い上がった。
彼女の腕がまだ腰を抱いていた。
距離が、近すぎた。
呼吸が聞こえるくらい近かった。
彼女が手を離し、上半身を起こして、真っ先に出た言葉はやはりこれだった。
「痛かったですか?」
痛いというわけではない。
ただ、この程度の接触が少し落ち着かない。
女子に免疫がないのは大した問題ではないが、伯爵令嬢に四、五回連続で投げ飛ばされて、そのたびに顔を覗き込まれて「痛かったですか」と聞かれ続けるというこの精神的プレッシャーが、投げそのものより数倍キツかった。
ウリエルは立ち上がり、パッドを構え直し、意識をパッドに集中させようとした。
練習の後半に差し掛かった頃、ウリエルの頭が余計なことを考え始めた。
(なんで彼女の技術はこんなに平凡に見えるんだ? 手を抜いてるのか? それとも何か探ってる? 彼女も確か銀級のはずだぞ、本気を出せばワンパンで壁に風穴を開けられるレベルだろ!)
そんな考えが頭の中を巡り、我に返ったときには、ちょうどセラフィーナのストレートが飛んできた。
体が、頭より先に動いた。
左手のパッドを外に弾いて彼女の拳の軌道を逸らし、右肩を沈め、右肘を前に出した。
極めて凶悪で標準的なマンバ・エルボーだ。
肘先が空気を裂き、まだ引き戻されていない彼女の内腕を掠め、腹部まであと拳一つ分のところで、ピタリと止まった。
砂地の影が二人のシルエットを切り取った。
半身を落として肘打ちを止めたウリエルと、踏み込んだ体重がまだ前にある、セラフィーナ。
静止。
彼は最後の一瞬でピタリと動きを止めた。ウリエルの心臓が一拍抜けた。
バレた。
しかしセラフィーナは瞬きをして、止まった肘の先を見て、それからウリエルの顔を見た。
驚愕も、怒りも、意外さも、なかった。
凪いでいた。
彼女はゆっくりと拳を引いて、立ち上がり、手を差し出した。
「反応が速いですね」
食堂の定食が今日は美味しかった、とでも言うような口ぶりだった。
ウリエルは彼女の手を握って立ち上がった。
心臓がまだ完全に落ち着いていない。自分で自分に驚いていた。
あの一撃をそのまま入れていたら、肘打ちの威力で肋骨が一、二本は折れていた。
なのに彼女は「反応が速いですね」と言った。
二択しかない。
本当に気性が穏やかすぎるか。
あるいは、最初から怖くなかったか。
格闘授業の後、魔力の授業と剣術の授業も一緒に受けた。
結果として、ウリエルは一つのことを確認した。
塑形陣にせよ基礎剣技にせよ、セラフィーナはまるで精密機器のように、最も基礎的な技を寸分違わず反復し続けた。
余計な魔力は一滴も漏らさず、変化をつけるフェイント動作も一切ない。堅実かつ保守的で、付け入る隙がまったくなかった。
ウリエルは手の中のコップを握り、少し離れたところで訓練用の剣を静かに拭いている少女を見た。
視線が、かすかに沈んだ。
最初は手加減していると思った。
でも何周か観察して、分かった。
違う。
手加減ではない。
最も基礎的な技術を、繰り返し磨いて、非常に堅固な水準に仕上げているだけだ。
どの基礎剣技も精確で、誤差がない。
でもそこで止まっている。
飾り気がない。
そこで、ウリエルは唐突に、全部が繋がった。
なぜセラフィーナは告白を受け入れたのか。
なぜ彼女は自分から授業に誘ってきたのか。
なぜ彼女の戦闘スタイルはこうなのか。
基礎だけを極限まで磨いて、余計なことを何もしない。
それは、自分が学院の中で普通の学生を演じている方法と、根っこの部分では同じだった。
彼女も、隠している。
彼女は彼女なりのやり方で、こう言っている。
あなたのことは分かっているわ、と。
もしかすると探りかもしれない。
なぜあなたも隠しているのかを問いかけている。
もう気づいているから、説明しなさい、という暗示かもしれない。
まさかお母さんのことが、バレた?
いや、あり得ない。
ティアンの学院内での偽装はほぼ完璧だ。金髪を銀に変えて、瞳の金光を抑えて、魔力の特徴を最低限まで圧縮している。
でも、ティアンが彼女に学院長を警戒するよう伝えに行ったあのとき、何か言い方を間違えたかもしれない。
あるいは、セラフィーナが独自に調べた可能性もある。
伯爵令嬢のリソースがあれば、一人の学生の素性を調べることは不可能ではない。
そこまで考えたとき、ウリエルの背中にうっすらと汗が滲んだ。
「大丈夫ですか? 疲れましたか? 休憩しますか?」
セラフィーナの顔が急に視野に入ってきた。距離が近かった。
傍らの水差しから水を注いで、ウリエルの手の側に差し出してきた。
目が静かだった。
彼を見るとき、貴族特有の査定するような目でも、恋人のように纏わりつくような目でもなかった。
格闘授業でそのたびに投げて「痛かったですか」と聞いてきたときと同じ、平静な気遣いだった。
ウリエルはコップを受け取った。
指先が、彼女の指に少し触れた。
冷たかった。
午後の陽光の中でも、あまり温まっていない。
ウリエルはその目を見て、自分の推測は間違っていないと感じた。
水を一口飲み、杯を返した。
この互いに腹を探り合う謎かけは、もう少し続きそうだった。
【第五十八話・終】
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