第五十四話:新しい学院
学院は燃え、学院長は死に、授業は旅館で続行——
王都第一学院の生徒たちは、たくましくも第四学院への「間借り生活」に順応しつつあった。
翌朝、ウリエルとティアンは制服に袖を通し、王都の石畳を踏みしめながら学院へと向かった。
半ブロック先から、すでに学院の正門の外に規制線が張られているのが見えた。
冒険者公会の徽章を付けた衛兵が両脇に立ち、表情は険しいが、どこか切迫感には欠けている。
正門の鉄柵には大判の公告が貼り出されていて、文字がびっしりと詰め込まれていた。
その脇には、質問を受け付けるらしい若い文官が一人、直立している。
ウリエルは文官と二言三言交わし、その後、役人臭い公告を頭から読み返した。
冷たい風に吹かれながら、しばらく。
(学院が爆発し、学院長が死亡。……で、学校側の第一声が「旅館を仮校舎にして、授業は続ける」?)
ウリエルは公告の文字を、もう一度読んだ。
(この上層部、生徒に息がある限り、天が落ちてきても授業を続けるつもりか)
旅館へ向かう道すがら、ウリエルはぼそりと呟いた。
「さすが金持ちのやり口は違うな……」
本気で十日か二週間は休みになると思っていたのに、話を聞けば休みどころか授業が続くという。
旅館は王都の中堅どころの老舗宿で、すでに多くの学生が集まっていた。
包帯を巻いている生徒もいれば、私服のまま荷物の上に腰を下ろしてあくびをしている生徒もいる。
三々五々で固まって、昨夜のことをひそひそと話し合っていた。
手続きを済ませて部屋に入ると、学院と同じ、二人部屋だった。
鍵を差し込む手が、一瞬止まった。
(……まあ、いいか。中学の頃からお母さんと一緒に住んで、大学でも同じ部屋とか、べつに大騒ぎすることでもないよな)
部屋は狭いが清潔で、大体は縮小版の宿舎といった感じだ。
ウリエルはベッドに倒れ込むと、そのまま二度寝に突入した。
うとうとしていたところへ、ドアが開く音がした。
片目を開けると、ティアンがお盆を持って入ってきた。
お盆の上には小さな土鍋と、二人分の器と箸が乗っている。
いつの間に出かけていたのか、しかも本当に調理道具まで持ち帰ってきた。
旅館の部屋にキッチンなどあるわけがない。あの土鍋がどこから調達されたのか、ウリエルはまったく追究する気になれなかった。
「ここ、キッチンないけど。わざわざ食器まで持ってきたの……」
ベッドから半身を起こし、思わず口から出た言葉は、諦めを多分に含んだ一言だった。
「しかも本当に貸してくれるんだ……」
ティアンはお盆をテーブルに置き、振り返って、何でもないことのように言った。
「お腹を空かせてたら可哀想じゃないですか。食堂に好きなものが無かったり、食べたいものが無かったりしたら、ママが作ってあげられますしぃ」
語尾がふわりと伸びて、一語一語に当たり前感がにじんでいる。
ウリエルは口を開きかけて、喉の途中でツッコミが詰まった。
灼金色の瞳を見て、それからテーブルの上でまだ湯気を立てている土鍋を見て、喉が上下に動いた。
何も言えなかった。
夜、通知が届いた。
一階の食堂に全学生集合。代理学院長が訓示を行うとのことだった。
内容はおおむね今後の段取りで、王都第四学院で授業を行うこと、それから今回の襲撃についての説明――学院長が殉職したこと、などが告げられた。
(呪縛教団と魔女旅団に関する話は出なかった。ちょっと惜しいな)
ウリエルにとっては大して重要な情報でもなかった。
第四学院での最初の一週間。
ウリエルは妙な満足感を覚えながら。
(別の学院に間借りして、一ヶ月は青空授業。これが名門校の「格」ってやつか)
隣の女生徒が小声で「まじかよ」と呟いた。
斜め向かいの男生徒が首を傾けて「意識高すぎだろ」と漏らした。
ウリエルは心の底から共感したが、声には出さず、ただ机を見つめたまま、真顔でこの現実を淡々と受け入れた。
ティアンが横を向き、彼の顔を見て、少し声を低くした。
「疲れた?学校、嫌になった?」
「……」
「もし嫌なら、数日お休みして、ママとお出かけしようか――」
「母さん」
ウリエルも声を低くして、横を向いた。
「今、俺はあんたのルームメイトだろ」
ティアンは一拍置いて、首を傾げた。
「ルームメイトなんだから、一緒に休んだっていいじゃないですかぁ」
「同じ部屋の男二人が、同時に学校を休む」
ウリエルは一秒、間を置いた。
「それ、どういう関係ですか」
ティアンは三秒、真剣に考えた。
ふさわしい言葉は、出てこなかった。
ウリエルは視線を前に戻し、講壇を見つめ直した。
「いい。行く」
一週間もあれば、ずいぶん多くのことが落ち着いてくる。
第一学院の生徒たちは旅館と第四学院を往復する毎日にすっかり順応して、毎朝列になって朝食を受け取り、三々五々、第四学院の方へ歩いていく。
まるで居候暮らしに妙に慣れてしまった、適応力だけは一流の渡り鳥みたいだと、ウリエルは思った。
第四学院の廊下で、二人の顔見知りと再会した。
レオとカイが向こうの端から人をかき分けて近づいてきた。
どちらも、九死に一生をくぐり抜けてきた人間特有の妙なテンションを顔に貼り付けている。
レオは近づくなり、ウリエルの肩をばんと叩いた。
つんのめりそうになった。
カイはその脇に立って、腕を組みながらじろじろと見回す。
「ウリ、無事かよ? あの夜、どこ行ってたんだ? ずっと探してたぞ!」
レオの声が廊下に響き、通りすがりの学生が数人、振り返った。
「無事。どこかに隠れてたら、人の流れに乗って出た」
ウリエルは適当に誤魔化し、逆に聞いた。
「お前らは?」
これが口火になった。
レオとカイは交互に、あの夜の顛末を語り出した。
高学年の生徒数人と一緒に黒装束の一人に立ちはだかり、足止め術と石弾術を叩き込んで、最後は組みついてどうにか仕留めたらしい。
レオは得意の絶頂で、手を振り回しながら当時の陣形を再現しはじめた。
カイは横からときどき補足を入れる。レオより口は落ち着いているが、目の奥の自慢が隠せていない。
「あ、そうだ」
レオがふいに声を潜め、ウリエルへ顔を寄せた。
「俺たちが見た黒装束、ちょっと普通じゃなかったんだよ」
ウリエルはコップを口に運んだ。
「どう普通じゃなかった?」
「女!しかも三人!」
レオが指を三本立てる。
「一人は緑の髪で、耳が尖ってた。めちゃくちゃ冷たい感じで。もう一人は赤い髪で、頭に耳があって、動いてた、たぶん亜人。もう一人は暗い色の短髪で、全然喋らないのに目がやばい感じで。動きが全員神がかってて、ばって動いたら黒装束が全員倒れてた」
カイが横で頷く。
「見た目が良くて、雰囲気が別格で、しかも強かった。もう一回会えるなら、寿命が十年縮んでも構わない」
ウリエルはコップを置いた。
(やっぱりルミナたちか)
「お前ら……」
ウリエルは少し間を置いて言葉を選んだ。
「顔しか見てなかっただろ。ドン引きだわ」
「英雄は色を好む、何が悪い!」
カイが胸を張る。ツッコミが微塵も効いていない。
レオはさらにひどくて、目を細めてウリエルをじっと見ながら言った。
「ウリエル、あれ見て何も思わないなら、お前マジで『あっち系』か……?」
ウリエルは無表情でレオを見た。
言い返す言葉を探しているうちに、カイがふいに話を変えて、ウリエルの左右をきょろきょろと覗き込んだ。
「あ、そういや室友は?銀髪の。いつも大人しくて、俺らと絡まないよな」
「……人見知りで、ちょっと大人しいんだよ」
こうしてウリエルは、母親に「気弱でおとなしい」というラベルを貼った。
レオは顎に手を当てて、意味ありげにしきりと頷いている。
その顔が何かを暗示しているようで、見ているだけで小突きたくなる。
ちょうどそこへ授業の鐘が鳴り、ウリエルは二人を押しながら教室の方へ歩き出した。
ひとまず、この話題から逃れた。
ある午後の課外実習の時間。
教師が基礎魔法陣の自由練習を課し、終わり次第解散してよいと告げた。
レオは描きかけの魔法陣を地面に放り出し、カイとウリエルを引っ張って運動場の端の木陰に連れ込んだ。
そして神妙な顔でポケットから紙切れを取り出した。
「聞いたか、今日はでかい話がある」
レオが紙切れを広げると、歪んだ文字でこう書いてあった。
――「第四学院男子代表、課外実習終了後、セラフィーナ・ヴァルドリッチ嬢に正式告白予定」
ウリエルは紙切れを見て、それからレオを見た。
(このやつのゴシップ収集力、情報屋にでもなった方がいいんじゃないか)
「行こう、野次馬しようぜ!」
レオは一人ずつ手首を掴み、ウリエルとカイを運動場の反対側の花壇へと引っ張っていった。
すでに数人の学生がまばらにそこへ集まり、魔法陣の練習を装いながら、耳をぴくぴくと花壇の方へ傾けている。
花壇の脇に二人が立っていた。
第四学院の制服を着た男子生徒で、顔立ちはそれなりに整っている。両手には、丁寧に選ばれた花束。
向かいに立っているのがセラフィーナだった。
浅茶色の髪が陽光の下でやわらかく輝いている。
整いすぎた顔立ちは、絵の中から切り抜いてきたようだ。
背筋を伸ばして立ち、手を身前で重ね、例の礼儀正しい微笑みを顔に貼り付けている。
まるで開店前に完璧にセッティングされたショーウィンドウ。美しくて清潔で、しかしこちらとは何の関係もない、という顔をしている。
「成功しないと思う」
カイが最初に断言した。
「俺も成功しないと思う」
ウリエルが続けた。
レオは左右を見て、手を広げた。
「二人ともダメな方を取るなら、俺はしょうがないから成功する方を取るしかないな」
男子生徒の告白の台詞は準備が行き届いていて、声も十分通る大きさだった。
周りの野次馬全員が聞き取れた。
セラフィーナは最後まで話を聞くと、ぺこりと綺麗に頭を下げて、口を動かした。
声は小さかった。けれど口の形が完璧すぎて、十メートル離れていても読めた。
――「ご好意、誠にありがとうございます。ですが、申し訳ございません」
見事な『いい人止まり』の宣告。
レオが悲鳴を上げ、銀貨二枚をカイの手のひらに叩きつけた。
ウリエルが手を伸ばすと、カイは渋い顔でもう一枚をひねり出した。
「お前ら、ほんと野次馬だな」
ウリエルは銀貨をポケットにしまいながら言った。
口では咎めたが、手は一切遠慮しなかった。
「野次馬の何が悪い」
レオが財布をさすりながら、ふいに声のトーンを変えた。
「でもこれ、何人目か知ってるか?」
「八十九人目だぞ!」
ウリエルは少し黙った。
その数字は、確かに少し非常識だった。
「そんなに?人気があるんだな」
その一言で、両隣が同時にウリエルを見た。
数学の授業で一足す一を聞くような目をしていた。
レオが深く息を吸って、指を折り始めた。
「性格が穏やかで、礼儀正しくて、貴族っぽいところがなくて、顔が良くて、スタイルも良い。一年いて、それが全部わからなかったのか?」
先週まで「ルミナたちに会えるなら寿命が十年縮んでもいい」と言っていた二人が、今は全力で別の人物の株を推している。
完全に忘れていた。
レオはスペックを全部暗唱し終えてから、ウリエルがやはりぴくりとも動じていないのを確認して、盛大にため息をついた。
この男、こいつマジで『あっちの気』があるんじゃないか。
そこでウリエルが口を開いた。
口調は平坦で、今日のランチが鶏カツかハンバーガーか選ぶくらいの温度感だった。
「賭けはお前の負けだ。なら、一つ言うことを聞いてもらうぞ」
「何だよ」
「お前が彼女に告白しろ」
【第五十四話・終】
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