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第四十九話:火の始末

証拠を燃やし、すべてを闇に葬る。

学院長オズワルドは、火を見つめながらほくそ笑んだ。これで自分の正体は誰にも暴かれない。だが、窓枠の上から、あまりにも静かな声が降ってくる。

ウリエルは、ガラティーナをちらりと見やった。


母さんのさっきの「みんな、お疲れさま」が、まだ耳の奥で反響している。


三人の少女の表情は、まだ完全には元に戻っていない。


乗っかるには完璧なタイミングだった。


彼は咳払いを一つして、この話の流れに乗ることに決めた。


口調は、さっきよりずいぶん自然になっている。


「休息を取ったら、引き続き調査を頼む。あの、なんだ……」


少し、間を置いた。


タイミングを見計らって、この間を「真剣に言葉を思い出している」ように見せる。


その場で台本を組み立てている、とは悟らせないように。


「教団の件だ。何かあれば、いつでも私に報告を」


最後に、一言を添える。


「私はしばらく、生徒としてこの学院に潜伏する。中の動きを見張るのに、そのほうが都合がいい」


ルミナは聞き終えると、ウリエルの視線を受け止め、こくりと頷いた。


フェンリアはまず耳がぴんと立ち、それから全身がしゃきっとした。


さっきの困惑は、新しい任務にあらかた洗い流されている。


犬耳がぴくぴくと揺れ、今にも飛び出していきそうな勢いだ。


キラもこれを聞いて張り切った。


表情はいたって真剣だが、頭の中では制服姿の書記官と制服姿の魔女のことでも考えていそうな顔をしている。


「了解」


三人は、まるでリハーサル済みのように声を揃えた。


それから彼女たちは身を翻し、危うく隊列を組んで行進しそうな勢いで、廊下の反対側へと歩き去っていった。


ウリエルは、三人の後ろ姿が旧校舎の角に消えていくのを見送った。


最後に視界から消えたのは、フェンリアのあの大きな尻尾だった。


尻尾の先が、空中で興奮ぎみに円を描いている。


まるで、はためく勝利の小旗みたいに、上機嫌に。




彼は振り返り、傍らの魔女を見た。


魔女はまだ手を振っていた。


仮面の下で、金色の瞳が三日月に細まっている。


三人が去った方向へ、そっと囁いた。


「道中、気をつけてね」


ウリエルは彼女たちが遠ざかるのを見届けて、思考を手元に引き戻した。


さて、本題だ。


学院長は、どこにいる?


彼は観測者の能力を起動した。


視界に、エーテルの流れが浮かび上がる。


学院の魔力の脈絡が、半透明の血管網のように目の前に広がった。


大半の節点の魔力の流れは、すでに正常に戻っている。


結界の残留干渉も、いままさに霧散しつつあった。


彼は雑波を濾し取ろうと試みた。


感知の範囲を絞り込み、学院長の実力に見合う魔力の特徴だけを探る。


白い、月光のような、青紫がかった、秘銀級の光。


見つけた。


教学棟の方向に残留する魔力の痕跡が、上へと昇っていく。


院長室だ。


ウリエルはその方向を見据えたまま、この観察モードを解除し、目頭を揉んだ。


(名探偵モード、再起動)


そして、結論を導き出した。


(証拠を消して、ずらかる気だ)


「母さん、行くよ」


ウリエルは魔女の手首を、ぽんと叩いた。


「教学棟、院長室。まだ上にいる」


続けて、ウリエルはこの後の台本を魔女に伝えた。


魔女はこくりと頷き、その姿がふっと揺らいだかと思うと、次の瞬間には消えていた。


屋根の上から、ごく軽い物音が一つ。


それきり、音は絶えた。




仮面長髪の男が院長室の扉を押し開けたとき、手袋はもう嵌め終えていた。


彼はまず長髪のかつらを外し、机の上に置いた。


続けて仮面を外す。


その下から現れたのは——学院長オズワルドのあの顔だった。


部屋は、前に来たときと変わらない様子だった。


彼はまっすぐ執務机の裏へ回り、身をかがめて引き出しから、暗紅色の表紙で綴じた資料の束を取り出す。


さらに書架の隠し棚に手を差し入れ、平たい金属の箱を探り当てた。


すべて机の上に積み上げていく。


動作は無駄がなく、一片の迷いもない。


金属の箱を開けて、ざっと目を走らせる。


中には、小さなガラス管が二本、整然と並んでいた。


管の中身は、深紫の液体。


薄暗がりの中で、不吉な燐光を放っている。


秘薬の半完成品——言うなれば、下位互換だ。


残りは、これで全部だ。


箱をぱちんと閉じて、あの資料の束もろとも、執務机のど真ん中に積み上げた。


「クラインのやつ、いったいどこへ行った……」


火をつけながら、彼は独りごちた。


口調には不機嫌さがにじむが、そこまで気にしている風でもない。


「ちっ。仕事を終わらせて、とっととずらかってたならまだいいがな」


今日の計画が、次から次へと狂っていく。


そのせいで、潜在意識のどこかに、かすかな不安が引っかかっていた。


指を鳴らして火を起こす魔法、立て続けに二度も失敗する始末だった。


ようやく、紙の端から炎が這い上がってきた。


橙色の光が、執務室を明滅させる。

部屋の中だけではない。


学院じゅうにも、火が上がり始めていた。


彼が仕込んだ魔法陣が、効力を発揮したのだ。


彼は机のそばに立ち、あの束が燃えていくのを眺めた。


顔に浮かぶのは、複雑な、そして平静な色。


セラフィーナは休みを取り、まだ捕まっていない生徒がいて、クラインからも何の音沙汰もない——


眉をひそめ、思わずまたクラインのことを考えた。


あの茶色いコートの男。


『絶命の双刃』。


彼はあの男が手を下すのを見たことがある。


綺麗で、速く、正確で、容赦がない。


並の厄介事程度では、あの男を仕留めることなどできはしない。


だというのに、音沙汰がない。


口数こそ少ないが、仕事は存外きっちりしている。


よほど不満がない限り、一言もなく戻ってサボるような男でもない。


「ちっ」


低く、息を一つ吐き出した。


火かき棒で、燃えかけの紙束を引っくり返し、火の回りを均す。


外の火も勢いを増していた。


彼は講堂だけは、わざと避けておいた。


なにせ狙いは、騎士団の目を引くこと。


本気で大虐殺の汚名を着る気は、さらさらないのだ。


「これだけの火なら、注目を引くには十分だろう。あの信者どもも目標になる。目くらましには、これで足りる」


彼はくすりと笑った。


「完璧だ」


窓の外から風が吹き込み、炎がぐっと一段高く跳ね上がった。


火明かりが彼の影を壁に投げつけ、影が、ぐにゃりと歪む。


今いちばん大事なのは、ここを綺麗に片づけること。


そして騎士団が到着する前に、裏口から抜けること。


講堂のあの信者どもは、捕まるなら捕まればいい。


彼を直接指す証拠はない。


彼はまだ学院長であり、まだ体面という一枚を保っている。


仮に将来調べられたとしても、それは将来の話だ。


彼は火を見つめた。


火明かりが、その端正な顔に映り込み、あの厳めしい輪郭を、いくぶんぼやけさせている。




突然、窓辺から、声がした。


「院長、何をなさってるんですか」


オズワルドは、勢いよく振り向いた。


窓枠の上に、一人の少年が腰かけていた。


短い髪、栗色の瞳、整った顔立ち。


片手で窓枠を支え、片脚を曲げて窓台に乗せ、もう片方の脚を無造作に垂らしている。


その存在感は、驚くほど希薄だった。


通りすがりのようでもあり、ずっとそこで待っていたようでもある。


現にそこに座っているのに、口を開かなければ、オズワルドはおそらく彼の存在にまるで気づかなかっただろう。


名前が、とっさに出てこない。


生徒。


毎年、何百人という生徒を見る。


この顔は……。


「お前は——」


この生徒を、見たことがあったか、なかったか。


彼自身にも、確信がなかった。


見たことはあるのかもしれない。


だが、名前などまるで見当もつかない。


あまりにも平凡すぎる。


思い出そうとするたびに、記憶がすっぽり抜け落ちる、そういう平凡さだった。


だがいま、この極めつけに平凡な生徒が、窓枠の上に腰かけている。


背後には火明かりと、あけっぴろげな空の光。


うつむいて、自分の手の中の火打ち石と、燃えさかる文書の山を、見下ろしている。


「お前……」


オズワルドの指が、外套の下で音もなく握り込まれた。


いつでも術を放てるように。


「名は、なんという?」


ウリエルは、答えなかった。


(いや、ただの逃げ遅れた生徒か)


オズワルドは素早く思案を巡らせた。


大方、講堂のほうで騒ぎが起きたときに逃げ出したのだろう。


慌てて、あてもなく、教学棟に逃げ込んで隠れていた。


そこへ運悪く、荷物を片づけている自分と鉢合わせた。


彼は頭の中で素早くそろばんを弾いた。


(手を下すか。だがここは院長室だ。ここに人がいるということは、クラインは仕事をしくじったに違いない。上の階も下の階も、まだ隠れている生徒がいるかもしれん。派手にやっては、収拾がつかん。ここは先に落ち着かせて、火がもう少し回ったところで、混乱に乗じて脱け出すついでに始末するのがいい)


むろん彼は知らない。


そのクラインなら彼の頭上で、他の黒ずくめ共と一緒に死体の山にされている真っ最中だ。


そこまで考えて、彼の指は術を放つ構えから元に戻った。


顔の筋肉を高速で再配列し、いかにも教師らしい模範的な微笑みを絞り出した。


口角の角度は精確、目尻の皺の寄り具合も、ちょうどいい塩梅。


入学式で新入生を迎えるときの表情と、寸分違わない。


「きみ、大丈夫かい?」


名前が出てこない以上、呼び方はいっそ切り替えた。


声も、慈愛に満ちた口調へと切り替わる。


彼は半歩前へ出た。


片手を背に回し、もう片方の手で、窓の外にちらちらと揺れる火明かりを指し示す。


「外は火事でね、ひどく混乱している。きみはここに隠れていなさい。ここなら、安全だ」




院長の温和な問いかけを前に、ウリエルは頷きもせず、動きもしなかった。


実のところ彼はいま、軽度の思考停止状態に陥っていた。


(しまった。さっき、その場しのぎに、いかにもモブっぽい偽名でもでっち上げて、はぐらかしとくべきだったか?)


彼は窓枠の上に座り、片脚を曲げて窓枠を踏み、垂らしたもう片方の脚を、ぶらりと軽く揺らした。


瞳が、火明かりの照り返しの中で、異常なほど輝いている。


無表情のまま、ただ静かに、オズワルドを見つめていた。


(この院長の目つき、何か腹黒い計算が透けて見える。笑顔は作りもので、薄っぺらい。目が動いてる。距離を測って、角度を計算してる)


ウリエルは、自分はたぶん母さんに色々と仕込まれすぎたのだと思った。


人の敵意を嗅ぎ取る感覚は、もう本能の域に達していた。


(この人、まずい。それにこの姿勢——手を背中に回してる。近づいて不意打ちする気か?)


彼は小首をかしげ、視線を、机の上でまだ燃えている資料の束へと走らせた。


そして、承知の上で問うた。


「あの資料、どうしたんですか?」




【第四十九話・終】

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