表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
47/68

第四十六話・絶命の双刃、散る

秘銀級の幹部クラインは、自らの「領域」に絶対の自信を持っていた。半径二メートル以内に侵入するあらゆる物体を捕捉する、鉄壁の守り。この結界の中では、誰も彼の背後は取れない。そう、確信していたのに。

講義棟の中、呪縛教団の幹部であるクラインは、足元に転がる二人の金級冒険者を見下ろした。


男は地に伏し、盾は無惨にも三つに割れていた。


女は壁に寄りかかってへたり込み、手にした短剣は半ばから砕け散っている。


魔力が制限された結界内で、純粋な体術と戦闘経験だけで五分も持ち堪えたのだ。


賞賛に値する。


だが、無意味だ。




王女アンジェリカは、結局捕らえられた。


廊下の向こうから、四人の黒ずくめが彼女を連行してくる。


アンジェリカは後ろ手に縛られ、長い髪は乱れていた。


唇は白くなるほど噛み締められていたが、その背筋はピンと伸びている。


倒れた二人の護衛を一瞥し、彼女は無言で目を閉じた。


クラインは彼女にさして興味はなかった。


任務は生け捕りであり、殺戮ではない。


本命のターゲットはセラフィーナという伯爵令嬢だったが、今日は欠席らしい。


アンジェリカはあくまで予備の駒だ。


だが、身分も高く、人質としての価値も十分だ、王国を牽制するには事足りる。


「お前たち二人」


クラインは黒ずくめを指差した。


「その女を講堂へ連行し、連絡員に引き渡せ」


二人は短く応じ、アンジェリカを階段の方へ連れて行く。


その背中が角に消えるのを見送ると、クラインは廊下の壁に背を持たせかけた。




遡ること三十分前。


彼は講堂の二階の暗がりに立っていた。


腕を組み、沈黙を保つその姿は、まるで置物のようだった。


演壇に立つ、マントと仮面を身につけた長髪の男。


そいつは激しく苛立っていた。


「セラフィーナが欠席だと!?」


仮面の男は歯を食いしばり、怒声を絞り出した。


「なぜよりによって今日なんだ!」


壇下の黒ずくめたちは、水を打ったように静まり返っている。


男は講堂の中を二周ほど歩き回り、目下の状況をしっかりと吟味した末に、ある不穏な結論に行き着いた。


だが、莫大なコストをかけ、結界を展開し、人員を配置したのだ。


このまま手ぶらで帰れば、教団の上層部への言い訳が立たない。


彼は再び群衆を見渡した。


「……いいだろう。標的を変更する」


「王女もこの学院にいるはずだ。アンジェリカは——」


男は尋ねたが、部下の返答は彼の苛立ちをさらに加速させた。


「講堂にはいないだと?」


王女も不在、セラフィーナも不在。


他の標的候補も見当たらない。


おまけに二組の部隊が連絡を絶っている。


まだ学院内に、制圧されていない生徒が残っている可能性があった。


仮面の男は足を止め、暗がりに立つクラインを睨みつけた。


異名は『絶命の双刃』。


ミスリル級に足を踏み入れたばかりの幹部だ。


クラインはトレードマークの茶色いハイネックのコートを着て、両手をだらりと緩く腰の双剣に添えたまま、まるで言葉を持たないかのように、始終無言を貫いていた。


「クライン、学院内に潜伏しているネズミをすべてあぶり出せ」


「王女はもちろん、価値のある生徒は一人残らずだ」


クラインは何も答えず、背中を壁から離した。


そして無言のまま側面の扉へと歩き出す。


彼が率いる七人の精鋭たちも、幽霊のように音もなく後へ続いた。




アンジェリカを見つけるのには少し手間取った。


護衛に時間を稼がれたが、結果は同じだ。


今、廊下に残っているのはクラインと五人の黒ずくめだけ。


残りの部下たちはクラインの後ろで、次の指示を待っている。


一人の黒ずくめが小声で尋ねた。


「ボス、講堂へは戻らないんですか?」


クラインは首を横に振った。


「あのジジイがもう一度見回れと言っていた。連絡の途絶えた奴らがいるらしい」


クラインはあの男が嫌いだった。


禿げ上がった中年が、教団の秘薬で人生逆転を狙っている姿など、見苦しいだけだ。


だが、上司であることには変わりない。


「行くぞ。上階を確認する」


彼は階段を上り始めた。


前方に二人、後方に三人、自分は中央だ。




上階に到着した。


長い廊下の両側には、固く閉ざされた教室のドアが並ぶ。


暗く、重苦しい空気が漂っている。


クラインは足を止めた。


静かすぎる。異様なほどの静寂だ。


この階に配置されていたはずの味方が、一人も見当たらない。


彼の指が、腰の刀柄にふわりと添えられた。


「警戒しろ」


部下たちの肩がビクッと強張る。


十歩も歩かないうちだった。


背後で「ドサッ」という鈍い音が三つ。


間隔はほぼゼロ。同時だった。


咄嗟に振り返った。


後ろを歩いていた三人の部下が、すでに床に転がっていた。


続いて、さらに二つの音。


視線を戻すと、前方を歩いていた二人もまた、地に伏していた。


刹那、双剣が鞘から弾け飛ぶ。


暗がりの中で、刃が冷たい光の尾を引いた。


手の中で微かに共鳴音が鳴る。


彼の『領域』が展開された。


自身を中心とした半径二メートルの空間。


これこそが彼の絶対的な切り札だ。


この空間に侵入するあらゆる物体を、彼は捕捉できる。


ハエ一匹の羽ばたきが生む気流すら、彼の感知からは逃れられない。


だが、反応はない。


廊下は空っぽだ。何もいない。


彼の視線が天井、壁、窓を猛スピードで走る。


隅から隅まで確認したが、やはり何も存在しない。


毒か?それとも光学迷彩系のスキルか?


念のため片手を空け、襟を引っ張り上げて口と鼻を覆い、呼吸を浅くする。


「あなたも、この人たちの仲間?」


幽鬼のような声が、後頭部に張り付くように響いた。


まるで、世間話でもするかのように。


クラインの双剣が、限界速度で背後を薙ぎ払う。


空気を引き裂き、銀色の弧を描いた刃は、廊下の壁に深い傷跡を刻み込んだ。


領域に反応はない。


その声が壁の中から湧いて出たかのようだった。


彼は息を呑み、掌に冷や汗を握った。


何の手応えもない。


彼はそんなオカルトじみた事態を信じようとしなかった。

領域は展開されている。絶対に間違えるはずがない。


「あなたも、仲間なのね?」


またしても、あの声だ。


クラインは驚愕した。


今度は振り返らず、領域を極限まで圧縮する。


そして、双剣による乱れ斬りを放った。


半径二メートルの空間に、無数の死角なき斬撃の網を張る。


領域内のあらゆる空間が刃で埋め尽くされ、壁、床、天井に数百の無残な刀痕が刻まれた。


廊下は再び静寂に包まれた。


クラインは前方を睨み据えながら、必死に思考を整理する。


これはきっと『背後霊』タイプの遠隔魔法だ。


術者本人はどこか安全な場所に隠れ、この不気味な魔法で脅かしているに違いない。


術者さえ引きずり出せば、恐れるに足らない。


彼は力任せに後ろへ下がり、壁に背中を打ち付けた。


壁を背にする。これこそが最も強固な防御姿勢だ。


術者が奇襲をかけるなら、正面から来るしかない。


実体と実体が密着していれば、背後に回り込む隙はない。


背後霊も顔を出せないはずだ。


このまま一歩ずつ階段へ向かい、この階を脱出して部下と合流すれば……。


クラインの口角がゆっくりと吊り上がる。


胸の奥から湧き上がる九死に一生を得た歓喜に、危うく声を上げて笑いそうになった。


(ハッ。なんだ。こんなもんか。俺を殺す?100年早いぜ)


そう心の中で毒づきながら、壁伝いにジリジリと階段へ向かってカニ歩きをする。


その時——頭上から、あの声が降ってきた。


「何をしてるの?」


クラインが見上げるよりも早く。


天井から、一つの人影がくるりと宙返りをして落ちてきた。


彼の目の前で、百八十度回転しながら。


着地する人影を確認する前に、クラインの刃が条件反射で振り抜かれた。


だが。


彼のこめかみに、何かが不可視の速度で先んじて直撃した。


視界が完全にブラックアウトする。


打撃音を聞くことすらできなかった。


おそらく、音速を超えていたのだろう。


意識が完全に途切れる最後の瞬間。


彼の脳裏には、三途の川の向こうで、とうの昔に亡くなったひいおばあちゃんが両手を広げて手招きする姿が浮かんでいた。


(ひいばあちゃん、今行くよ……)


そう呟こうとしたが、口を動かす間もなく、顔面から床に突っ伏した。




学院長室。


ウリエルは十三ページ目の書類をめくっていた。


内容の大部分は学院の日常的な行政文書だ。


備品の購入申請、カリキュラムの編成、生徒の成績表。


その中にいくつか怪しげな暗号の手紙が混ざっており、じっくり調べようとした矢先のことだった。


窓の外の光の加減が、不自然に変化した。


何かが、陽の光を遮ったのだ。


ウリエルが視線を向けると、窓の外に何かがぶら下がっているのが見えた。


一つではない。


黒ずくめだ。


それも、一束にまとめられた黒ずくめの束。


数人がまとめて縛り上げられ、足と足、肩と肩がぴったりと密着している。


ロープで几帳面に一本の串刺し状態にされており、まるでソーセージか、数珠繋ぎにされたメザシのようだった。


それが窓枠の外側にぶら下がり、風に揺れてゆらゆらと揺らいでいる。


一、二、三、四、五。


見事なまでの吊るしっぷりである。


ウリエルは書類を持ったまま、空中で完全に硬直した。


ゆっくりと書類を置き、窓辺に歩み寄る。


半身を乗り出して、右を見て、左を見て、上を見て、下を見た。


見れば見るほど、ただの拘束とは思えなかった。


「……母さん。あんた、何をやってるんだ」


魔女が入り口に姿を現し、ちょうどウリエルのその呟きを耳にした。


彼女は中に入りつつ、自然な動作でドアを閉める。


そしてウリエルの方へ歩み寄り、窓の外を覗き込んだ。


「『威圧感』?ええ、たぶんそんな感じ。調べ物は終わったかしら?」


魔女はウリエルの質問に答えると、すぐさま逆質問をしてきた。


「……何人吊るしたんだ?」

「この建物にいたのは、全員あそこよ」

「外壁に吊るしたのかよ」

「クモの巣に捕まった獲物みたいで、怖いでしょ?」


魔女は大真面目な顔で言った。


「ちょっと整頓しすぎたかしら?もう少し乱雑に配置した方がいい?」


「いっそ、白い布で全身をぐるぐる巻きにしてあげようか?」


ウリエルの視線が窓の外から戻ってきた。完全に言葉を失っている。


彼はもう一度、あの串刺し人間たちを横目で見た。


(白い布でぐるぐる巻きって……いっそ、『へのへのもへじ』でも描いて、巨大なてるてる坊主にでもする気かよ)


彼はこの狂気のオブジェから目を背け、まずは手元の書類を元の場所に戻すことにした。




【第四十六話・終】

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


もし「面白い!」「続きが気になる!」「笑った!」と少しでも思っていただけましたら、 ページ下部にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、作者のモチベーションが爆上がりします!


ブックマークの登録も、ぜひよろしくお願いいたします! 次回もよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ