第四十一話:番外構成員
三年越しの再会がもたらしたのは、勝手に成長した組織と、勝手に深読みされた計画と、三対の輝く信頼の眼差し。
ルミナはその場で固まった。
ウリエルは瞬きをして、視線をそっと彼女の顔から外した。
ティアンは、キラとフェンリアのあいだに立っている。
それでも二人より、半頭分は背が高い。
姿勢はゆるいが、どっしりと安定している。
片方の手はフェンリアの頭を撫でていた。
その子は額ごとティアンの胸に突っ込んで、ぐりぐりと擦りつけている。
耳の先が指の隙間からひょっこり飛び出して、ときおりぴんと弾けた。
もう一方の手はキラの頭上に浮かんでいた。
掌から、神聖で柔らかい淡金色の光がにじみ出ている。
光は頭皮の表面に広がって、ぷくりと盛り上がっていた箇所が、目に見えて少しずつ平らになっていく。
やがて皮膚は完全に元に戻り、周囲の赤みも引いて、すっかり通常の肌色に戻った。
鮮やかな手際だ。
かかった時間は、せいぜい数秒。
治癒魔法の練度と強度、一見して勇者レベルのそれだ、たぶん。
(……そのコブ、自分でぶつけて作ったやつだけどな)
ウリエルはその不穏なツッコミをそっと喉の奥に押し込んで、こくりと喉を鳴らした。
それから視線を引き戻し、呆然状態からようやく復帰しつつあるルミナに向けた。
「あの……」
声のトーンを整える。
さっきまで意識が飛んでいたことが、なるべくバレないように。
「みんな、どうしてここに?」
そう言いながら、視線をさりげなく下の方へ流した。
校舎の通路に、黒衣の人間がわりとたくさん倒れている。
(まさか、グルじゃないよな)
(ないよな?)
(……たぶん)
ルミナはすぐさま背筋を伸ばした。
さっきまでのフリーズ状態から、一秒で直立に戻る。
肩を引いて、顎を引いて、表情を引き締める。
「はい、ご報告が遅れました」
その語気は、本当に重大なミスを詫びているようだった。
それも「書記官にタイムリーな状況報告ができなかった」という事実そのものが、職務怠慢だと心の底から思っている、そういう声だった。
ウリエルは頷いて、なるべく落ち着いた顔を維持した。
(ご報告……)
ルミナは深く息を吸った。
胸の起伏がいつもより少し大きい。
声もいつもより、はっきりしている。
ウリエルは一瞬、ああ本当に大きくなったな、と思った。
「魔女様と書記官のもとを離れてから、私たちは旅団の信条に従い、各地を巡りながら研鑽を積んで参りました」
(……待って)
眉間がかすかにひきつった。
(そんな昔から始まるの?)
途中で話を遮って、手短にまとめるよう促すべきか迷った。だが……「現在のイベントシーンはスキップできません」というシステム警告が出そうな気がした。
それに、彼女は本当に、あのノリで言った中二設定を一言一句、三年間覚えていたのか?
それとも、単純にガラティーナ様の手前、彼の「書記官」というキャラを立ててくれているだけ?
半信半疑、というより、疑が七割くらい。
ウリエルは動かないことにした。
とりあえず聞く。
「離れた直後は、まず実力試しとして、一頭の飛龍を追い払う任務に臨みました」
「……?」
ウリエルの目が丸くなった。
次の瞬間には表情管理が追いついて、元に戻る。
唇の端から、かすかな息が漏れた。
「当該個体は縄張りを急速に拡大しており、冒険者ギルドから関連依頼が発令されていました。総合的に判断した結果、討伐ではなく、無人地帯への追い払いを選択しました」
「あの飛龍が火を吐いたときめちゃくちゃ強くて——」
フェンリアがティアンの胸から顔を上げた。
耳がぴんと立っている。
「アタシが首の後ろに噛み付いたら尻尾を振り回し始めて、その尻尾が山の壁に直撃して岩が盛大に砕けたっス!欠けた石がバラバラ降ってきて、もう最高だったッスよ!」
興奮してこぶしを振り上げながら実況する。
「アタシは背中に乗ってたんだけど」キラがさらりと続けた。
普段より目が三割増しで輝いている。
口角も普段の三倍は上がっている。
「鱗がこんなに大きくてさ——いや、もっと大きかったかな」
指が空中で何かを描く。
「私は正面から注意を引きつけて」ルミナが表情ひとつ変えずに締めくくった。
キラの空中でまだ動いている手を、さらりと押し下げながら。
「四時間かけて追い払いました」
三人は言い終えてから、そろってティアンの方を向いた。
揃い方が、まるでリハーサル済みのようだった。
ティアンは顔を上げて、花が咲くように微笑んで、こくりと頷いた。
「えらいえらい、よく頑張ったわねぇ」
聞いた瞬間、キラとフェンリアはほぼ同時に背筋を伸ばした。
フェンリアの尻尾が半段ほど跳ね上がる。耳の先もまっすぐ立つ。
キラは表情を抑えようとしているらしいが、追いついていない。口角が制御不能になっている。
ルミナでさえ、すでに十分まっすぐ立っていたはずなのに、肩のあたりがほんの少しだけ緩んだ。長いあいだ背負っていた何かを、ようやく下ろしていいと言われたかのように。
ウリエルはその様子を最後まで眺めた。
(飛龍)
(あの三人で)
(……まあ)
(そういえば俺もお母さんと飛龍に遭遇したことがあったな。お母さんが一発殴ったら逃げたけど)
中学のときのことを思い出したが、同じ個体だとは微塵も思わなかった。
ウリエルは頷いて、聞き終えた、了解した、という意思を示した。
ルミナは軽く咳払いをして、先を続けた。
「その後、各地を巡るなかで、助けを必要としている方々とも数多く出会いました。中には同行を希望される方もおりまして——」
そこで言葉が途切れた。
コートのポケットの中で、指がそっと布地をつかんだ。
「しかし、書記官と魔女様のご承認なく、勝手に魔女旅団に加えることは憚られました」
「そこで——」
「別途、旅団を設立いたしました」
「魔法少女旅団、という名称で。現在は数十名ほど在籍しております」
遠くで、窓が風に押されて壁に軽く当たる音がした。
それからまた静かになった。
ウリエルは鼻の頭をこすった。
人差し指の腹が鼻梁をゆっくり二往復して、鼻先がうっすら赤くなった。
何も言わなかった。
(数十名)
(俺が冗談で言ったあの中二設定を、本当に……?)
(ルミナさん、実はからかってる?)
ルミナの顔を見た。
「してやったり」という顔を期待した。
なかった。
ルミナは何も気づいていない様子で、続けた。
「その後、山麓の旧い家に戻りました」
「書記官も、魔女様も、いらっしゃいませんでした」
ウリエルはさらに気まずくなって、そっと視線を逸らした。
(……それは俺たちが学校に入学したからで)
「お二方を探すべく調査を開始しましたが、手がかりは少なく——」
ルミナは小さく唇を噛んだ。
「最終的に掴めた情報は、王都の学院にいらっしゃる、という漠然とした方角のみでした」
遠くの鐘楼が、くぐもった音を半分だけ鳴らして、また黙った。
次の瞬間、ルミナの表情が変わった。
報告のあいだ保っていた落ち着きが、すとんと外れた。
目が明らかに輝いた。
声のトーンが、つい、と上がった。
「王都に来てから、呪縛教団がここで活動している痕跡を発見しました!」
「これはきっと書記官が私たちを呼び寄せるために仕掛けてくださった伏線ですよね!」
「今ここで起きていることも、すべて書記官の計画の内側にあるんですよね!!」
ウリエルは鼻をこするのをやめていた。
手は口元に移っていた。
視線が勝手にあちこちに飛んだ。
左側の屋根の縁。ひとつ、浮いた瓦がある。それをしばらく眺めた。
右側に広がる空。ちぎれた雲が地平線のあたりをゆっくり流れていく。それも眺めた。
遠くにぼんやりと浮かぶ屋根の稜線。遠すぎてよく見えない。視線がそこに二秒ほど止まった。
(……計画)
(計画なんかないよ。母さんの正体を隠すために、あえて「灯台下暗し」を狙っただけだよ)
(呪縛教団ってなに。聞いたことすらない)
最終的に視線はルミナに戻った。
彼女は待っていた。
静かに、揺るぎなく、そこに立っていた。
その目の中に、人を窒息させかねない種類の「信頼」があった。
ウリエルはゆっくり頷いた。
「……そうだよ」
口元から手を下ろして、声がぶれないよう、どこかに飛ばないよう、気をつけながら。
「全部、計画通りだ」
ルミナの肩から、はっきりわかるほど力が抜けた。
さっきの昂りがゆっくり解けていくように、表情が和らいだ。
隣でフェンリアの尻尾がまた動き出した。
今度は先ほどより大きい。尾の先が空中で連続した円を描く。
キラが小さく、何かを呟いた。
唇が動いたのはわかったが、内容は聞き取れなかった。
視線はまたティアンの方へ引き寄せられて、まるで釘が磁石を見つけたみたいにそこで止まった。
ティアンだけは、よくわからないけど小ウリがすごい、という顔をしていた。
ウリエルは口元から手を完全に下ろして、鉛筆の端をこっそり握った。
少し冷たい。
掌がうっすら汗ばんでいた。
そのとき。
「ところで、書記官」
ルミナが、ほんの少し首を傾けた。
「ずっとお聞きしたいことがございまして」
ウリエルは彼女を見た。
表情は、静かで真剣だった。
罠を仕掛けているような顔ではない。
それがむしろ——ウリエルの神経の隅っこをちりちりさせた。
「書記官は以前、〈危険なものを鎮めるために離れられない〉とおっしゃっていました」
「では——」
「書記官と魔女様は、なぜ旧い家を離れたのですか?」
その瞬間、風の音まで止まったような気がした。
フェンリアの耳がまっすぐ前を向いた。
顔はまだティアンの服に頬をつけたままだったが、視線だけが、するりとこちらに向いた。
キラの目もゆっくりこちらへ動いた。
さっきまでティアンを見ていた熱のある表情はまだ完全に消えていない。
でも今、その下に、別の何かが加わっていた。
三対の視線が、同時にウリエルに集まった。
その重さが、実際に感じられた。
肩に乗っている圧力が、首の後ろの冷えが、ただの感覚じゃなかった。
(……)
(まずい、そこまだ覚えてたの?)
(あの「危険なもの」って、母さん本人のことだろ。歴史上では死んだことになってる前の勇者様が、おいそれと動き回れるわけないじゃないですか)
(なんであの天然ボケが「ウリちゃんの学校生活を見守りたい」って言い出して、ついてきちゃったんだよ……)
ウリエルは助けを求める視線をティアンの方へ飛ばした。
ちょうどティアンもこちらを見ていた。
一秒間、目が合った。
その一秒のあいだ、ウリエルはありったけの念を込めて、目だけで訴えた。
「打つ手なし、お母さん、どうする?」
ティアンはその視線を受け取った。
そして——目をきらきらさせながら、力強く頷いた。
「ウリちゃんならきっとなんとかできるよ」という顔だった。
(……)
(支援、なし)
(はい、詰んだ)
ウリエルは正面に向き直った。
三対の視線はまだそこにあった。
彼は表情を崩さなかった。
頭の中にはただ一つの言葉が、反響していた。
(どう答える)
【第四十一話・終】
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