第四十話:再会
屋上でティアンが黒装束をポンポン落とす隣で、ウリエルは膝の上に広げたメモ帳と格闘していた。
そこへ、屋上に飛び上がってきた三つの影。
「……書記官?」
屋上を、無音の光の筋がいくつも横切っていった。
マナが燃えた後の焦げた甘い匂いが残ったが、すぐに風に散った。
ティアンは屋上の縁の低い壁の端にしゃがんでいた。
指先からぼんやりマナ弾をぽんぽん飛ばしながら、どこか気の抜けた表情をしている。
しゃがむのが疲れたのか、ついにそのまま腰を下ろして座り込んだ。
一発撃つたびに、下の方からくぐもった音が響いてくる。
校道の上にいた黒装束が、一人また一人と崩れ落ちていく。
ティアンは手を引っ込めて、また壁にもたれかかった。
姿勢はすっかりくつろいでいて、虫を何気なく何匹か払い落とした、そんな感じの気楽さだった。
それから、首を少し傾げて、二歩ほど離れたところに座っているウリエルの方を、ちらりと見た。
ウリエルは膝の上にメモ帳を広げ、鉛筆を宙に止めたまま、眉間に深くシワを刻んでいた。
紙面を見つめているが、紙にはそれほど何も書かれていない。
走り書きの線がいくつか。
つばの広い帽子の輪郭。
その横に、細かくびっしりと書き込んだ注釈が何行かあって、その大半は消されていた。
消しゴムのカスが膝いっぱいに落ちているが、本人はまったく気にしていない。
(この魔女のビジュアル……どうする。やばい、最初どんなのにしようとしてたっけ)
座り直して、固い石畳の上でずりずりと移動した。
(確か……軍姫と、閃光と、魔法少女、この三パターンだったかな)
メモ帳のラフを、素直に言うと……あまりピンとこない。
つばの広い帽子、大きなマント、魔法の杖、きらびやかな星の飾り。
王道。
正統派すぎて、参考書の挿絵に使えるレベルだ。
手帳を少し遠ざけて、目を細め、いろんな角度から自分の絵を眺めた。
結論。
どこかのゲームで量産されている魔法少女のノーマルスキンとあまり変わらない。
モブNPCの初期スキンみたいなものだ。
(……服、まだ仕立ててない)
まず案を固めて、後で仕立て屋に頼めばいい。その問題はいったん棚上げにした。
鉛筆が再び動き出す。
さらさらと音を立てる。
新しいページ。新しいラフ――赤白のカラーリングの制服に、細身の剣を一本。
輪郭を描き終えて、一度ペンが止まる。
(……待て、そのまま丸パクリはまずい。アレンジが必要だ)
腰のラインを消した。
非対称のスリット入りデザインに変える。
うん、少しはよくなった。
あの妙なデジャヴ感が薄れた。
鉛筆の末端を軽く噛む。
木の感触が、歯の間でかちかちと鳴った。
(カラーリング、赤か? 派手すぎる。白か? 地味すぎる)
頭の中で赤と緑を合わせてみた。
脳内に完成予想図が浮かんだ瞬間、鉛筆に歯形がつきそうになった。
(最悪だ赤緑は。ないない)
(じゃあ赤黒か? 殺気があって悪くない、むしろかっこいい――)
「ウリエル」
ティアンの声が横から来た。
ウリエルの鉛筆は止まらなかった。
別のイメージが浮かんでいた。
軍服に銀髪、これはどうだろう。
確か母さんも昔このパターンを選んだ気がする。
「ん?」
「ちょっと変なんだけど、見てくれないかな」
ティアンの声色がいつもと少し違った。
だがウリエルは軍服の鉄十字の細部を書き込んでいた。
「一人、当てたんだけど」
「うん」
鉛筆が走り続ける。
「その子、なんともなかった」
鉛筆の先が紙の上でかすかに止まった。
眉をわずかにひそめる。
内容のせいではなく、長い脚のスリットの角度の付け方が難しくて、しかも足がどう見ても大根足になっていることの方が問題だった。
「もう一発当てれば済む話だろ」
「他の人とちょっと違う感じがする」
ティアンの話すペースが半拍遅くなった。
「それと……女の子だった」
「うん」
(軍服はやっぱり白黒かな……銀縁か、金縁か。銀縁の方が落ち着いてて品がある)
「花壇の後ろに隠れてる。こっちに近づいてきてる」
「……うん」
「上に来てる」
「うんうん、もうちょいで終わるから――」
短い沈黙。
屋上を吹く風が、やけに冷たく感じた。
ウリエルの鉛筆が宙で止まった。
何かがつながった。
さっきから返ってきた言葉が、頭の中で一本のテープとして再生され始めた。
「えっ!?」
ウリエルは勢いよく顔を上げた。
「早く弾き落とせ――!」
言い終わる前に。
ざっ。
左側の縁の壁から、一つの影が飛び上がった。
動きが洗練されていて、着地の時に足の裏が石畳に触れる音が、ほとんどしなかった。
コートの裾が空中で広がって、また収まる。
それだけで、すでに屋上にしっかり立っていた。
ほぼ同時に――
右側からも軽い音がした。
ブーツの底が石畳を引っかくわずかな摩擦音。
もふもふした尻尾が空中に弧を描いて、体のバランスを整えていた。
二人。
左と右。
黒いコート、フードを深く被っていて、その下の顔はよく見えない。
両者が同時に体を緊張させた。
肩が落ち、重心がわずかに移り、手の中の武器がそれぞれ相手の方向を向いた。
そして――同時に固まった。
ウリエルは左から右へ、また右から左へと視線を動かした。
あのコートの下の顔に、見覚えがあった。
ずいぶん大きくなってはいる。
でも、見間違えない。
三秒間、脳が止まった。
「……書記官?」
先に口を開いたのは左側の一人だった。
その呼び方、危うくウリエルを昇天させるところだった。
声はどこかクールで、感情が薄い。
エメラルドグリーンのあご下まである短めの髪が、フードの縁からほつれて、風に揺れていた。
表情に大きな変化はない。
だが瞳の奥に、かすかな動揺があった。
氷の湖面にひびが入ったような、ほんのわずかな動揺。
ルミナだ。
右側は声を出さなかった。
耳が、ぴんと立った。
獣の耳。フードごとそちらへ持ち上がった。
尻尾の毛が、根元から逆立った。
大きな鼻腔がかすかに動いて、空気を連続して嗅ぎ取り、目を細めて、まるで匂いの成分を解析している大型犬のようだった。
フェンリアだ。
ウリエルは片眉を上げた。
頭の中が高速回転を始める。
(二人とも来てる)
(さっきティアンが言ってた……マナ弾を当てたけど、何ともなかった、花壇に隠れてた、上に来た……)
反射的に屋上の後方へ振り返った。
どすん。
頭一個分が、壁の縁からぬっと飛び出してきた。
正確に言うと、まず頭頂部が見えた。
頭頂のど真ん中に、目立つこぶが一つあった。
新しいやつだ。まだ赤い。
続いて、顔が現れた。
般若のような表情だった。
眉が寄って、唇の端が下がって、歯をむいて、完全に臨戦態勢のような顔だったが、頭頂部のこぶのせいで、その迫力が半減していた。
壁をよじ登る動作も、明らかにどこかぎこちない。
手が縁をつかんだ瞬間に滑り、膝が壁面を半分ほど削りながら、やっとのことで縁を越えた。
立ち上がりかけて、横によろけた。
キラだ。
屋上に、しばらく沈黙が落ちた。
四人の間を風が通り抜けて、誰かのコートの裾を静かにめくった。
この場の空気を一言で言うなら。
まるで刃物を抜いて殺し合おうとしたら、相手が全員、同じ食卓を囲む親戚だったみたいな気まずさだ。
ティアンが指先に残っていたマナを、そっと散らした。
手を後ろに回す。
表情は穏やかで、無実そのものだった。
「今何もしてませんよ」とでも言いたげな顔だった。
だが目の中には、しばらく会えていなかった子どもを見る時の、じんわりとした温かさがあった。
三人を抱きしめに行きたいのを、「ティアン」という自分の身分が引き止めているように見えた。
三対の目が、ほぼ同時にティアンへと向いた。
敵意も警戒もない。
ただ、分析していた。
「こいつは誰だ?」
「関係は?」
「脅威レベルは?」
その瞳の中に、そういう文字が浮かんでいるのが見えるようだった。
そして――
「ま――」
キラが先に爆発した。
頭のこぶはまだ鈍く痛んでいるはずだが、そんなことはどこかへ吹っ飛んでいた。
まるで何かのスイッチを押されたかのように、前へ猛然と二歩踏み出した。靴底がレンガの面をトントンと急かすように叩き。
目に星が宿っていた。
「魔女様ーーっ!!」
声は限界まで低く絞ってあったが、気持ちは全然絞れていなかった。
口元がぴくぴくと震えていた。
漏れそうになる何かを、全力で押さえ込んで失敗している時の顔だった。
「短髪の魔女様……っ!!」
大きく息を吸い込んで、ティアンを頭から足の先まで高速スキャンする。
短髪、顔立ち、立ち姿。
見終わった瞬間に、全身が一瞬ぐらついた。
「凛々しい……本当に凛々しい……この雰囲気、この輪郭、この――っ!!」
また息を吸い込んだ。
語彙が底をついた。
口が開いて、また閉じた。
唇がもごもごと動いたが、脳の中で衝突した形容詞たちが全部花火になって砕け散り、最後に出てきたのは、意味とも感嘆ともつかない、語尾だけが宙に浮いていくような、糸の切れた凧みたいな一声だけだった。
全身がふわふわと浮き上がりそうだった。
つま先が石畳から離れかけていた。
ウリエルには、彼女の胸の中で「ハァハァ」という荒い息遣いや『尊い』という叫び声が脳内で暴走している音が聞こえる気がした。
フェンリアは何も言わなかった。
ただ、飛びついた。
迷いは、ゼロだった。
一日中家で待ち続けていた大型犬が、ようやく玄関の鍵が回る音を聞いた時のように。
「お帰り」の一言より先に、体が動いていた。
頭をそのまま、ティアンの胸に押し込んだ。
額が胸の一番柔らかいところへ当たる。いつもよりずっと平らだったので、不思議そうに一度顔を上げてから、また埋め直した。
尻尾が背後で全力稼働を始めた。
肩から背中を通って腰まで、尻尾の振れに引っ張られるように、全身がぶるぶると揺れていた。
言葉は何もない。
必要がなかった。
ティアンはフェンリアの突進を受けて、半歩後ずさった。
かかとが石畳にこつんと当たった。
それから、頭の上から見下ろして。
手のひらをそっと頭皮に当てて、耳の根元を指の腹で優しく揉んだ。
「大きくなったね、みんな」
声は小さかったが、すみずみまで届いた。
昔と同じだった。
ずっと前から、ずっとそうだったように。
あの三人をあやす時の、穏やかで当たり前な優しさ。
ルミナだけが動かなかった。
その場に立ったまま、キラとフェンリアを順番に一瞥した。
一人につき一秒以内。
「場所をわきまえて」
一つ小さく咳払いをして、それだけ言った。
風より軽い一言だった。
だが効果は即座だった。
フェンリアの尻尾が減速した。
全力から半速へ。
「プロペラモード」から「扇風機モード」への切り替え。
キラの視線がティアンの顔から、ようやく1センチだけ外れた。それだけでも、彼女が必死にこらえているのが伝わってきた。
ルミナは向き直って、ウリエルの方へ歩いてきた。
ウリエルは鉛筆を握ったまま、手帳は膝の上に広げっぱなしだった。
ページが風でぱらぱらと揺れる。
彼はさりげなく手帳を背中側へ移動させ、親指で表紙と最初のページの間を押さえた。
表情が、少し複雑だった。
三年前のことを、思い出した。
あの三人が、ある日突然「遠征に出る」と言い出した。
「旅団の信念を実行するため」と。
あの時ウリエルは内心、思っていた。
たぶん自分が子供の頃に適当に作り上げた中二設定を、いつの間にか見抜いていて、でも気を遣って面と向かって言わなかっただけじゃないか、と。
魔女旅団。
黒き契約。
不屈なる遠征。
今になって思い返すと、社会的に消滅したくなるほどの内容だった。
でもあの服装。
このタイミングで現れたこと。
そして今、ルミナが口にした「書記官」という言葉。
確認が取れた上で、迷いのない敬意が込められた響きだった。
(……まさか、本気だったのか。あの人の作った設定を本気で信じてるってことか?)
(後でこっそり清算に来た、という線はないんだな?)
(本気で台本に乗っかりに来た、ということか?)
手帳をもう少しだけ背中側にずらした。
ルミナが三歩手前で止まった。
ウリエルの全身を流れるように一回見た。
顔から手へ、手帳の端から、ズボンの上に積もった消しゴムのカスへ。
それから隣の三人を見て。
また、ウリエルへ戻った。
何かを考えていた。
ゆっくりと、わずかに頭を下げた。
「書記官……」
口調は丁寧だった。
どこか恐縮しているようでもあったが、その底には揺るぎない、落ち着き払った確信が秘められていた。
一呼吸分の間。
「私たちが来てしまったこと……魔女様と書記官の作戦の、妨げとなってはございませんでしょうか」
ウリエルは表情を保つのに、一瞬だけ全力を使った。
(まだ「書記官」って呼んでる)
(つまりこれは、台本を信じて来た、という方が正解なのか?)
(公開処刑しに来たわけじゃないんだな?)
(どうすれば……)
彼はティアンを横目で見た。
ティアンはフェンリアとキラに左右から囲まれて、帰省した子どもを迎える母親そのものの顔をしていた。
目線だけがウリエルの方を向いていたが、状況はまったく把握していない顔だった。
ウリエルは小さく咳払いをした。
肩をわずかに後ろへ引いて、背筋を伸ばした。
声はできる限り、泰然とした響きを乗せるように心がけた。
「……問題ない」
「計画の範囲内だ、と思っておいてくれ」
【第四十話・終】
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