第二十話:魔法少女のせい
巨竜を追い払い、山を揺るがした大騒動のあと——
当の本人たちは、のんきに串焼きを焼いていた。
一方その頃、学院上層部は緊迫の情報を掴む。
「赤龍を縄張りから追い出したのは、たった三人」
「……名前は?」
「魔法少女、と」
さて、その魔法少女とは誰なのか? 皆さんはもうお察しだろう。
先生たちが彼らを見つけた頃、空気の中には食欲をそそる何かの焼ける匂いが漂っていた。
テントはそのまま張られ、脇では小さな火が起こされていた。
ティナが持参した食材を細い枝に刺して焼き、一本をウリエルに渡してから自分も腰を下ろし、ふたりでただ静かに座っていた。ときおり、何かをひとつまみ振りかけながら。
山の下の騒ぎはまだ完全には収まっていなかった。
遠くから誰かの叫び声が、ときおり届いてくる。
しかしこちらには緩い斜面が風を防いでいて、火の通りは均一で、焼ける匂いも最高だった。
ウリエルはひとかじりして、今日は前より焼き加減が上手いと思った。
そう言おうとした、その矢先だった。
坂を登る足音が聞こえた。
荒い息継ぎと一緒に。
ティナと目が合った。
坂の頂に、引率の先生が飛び込んできた。
髪は嵐に巻き込まれたかのようにぼさぼさで、長衣は木の枝に引っ掛かったらしく数ヶ所が裂けていた。
手には「いざとなればこれで戦う」と言わんばかりに杖を力いっぱい握り締めている。
その先生が、無傷の二人を目にした瞬間、足がぴたりと止まった。
まるで一時停止ボタンを押されたように、固まった。
「君たちは——」
息を整えて、息を切らしながら聞いた。
「怪、怪我は……ないか?」
「ないですよ。先生こそどうしたんですか、そんなに走って」
ウリエルが先に答えた。
先生は膝に手をついて、大きく息を吐いた。
「どうしたって? さっきの巨龍を見ていないのか? 山全体がどうなったか分かるか? なんでまだここにいる、なぜ逃げなかった——」
怒鳴りかけたまま、先生は突然口をつぐんだ。視線が、小さな焚き火の焼き台に落ちたのだ。
「……焼いてるのか?」
「はい、先生もいかがですか。まだありますよ」
ティナが手に持っていた一本をすっと差し出した。
先生の口の端が、無言で引きつった。
ウリエルはその隙を突いて話題をさらった。
「あの龍なら、もう飛んでいきましたよ」
彼は顔色一つ変えず、至極当然といった口調でとんでもない大嘘をつき通した。
「こっちには気づかなかったみたいで、そのままいなくなりました」
「飛んで行った? それだけで?」
先生が目を白黒させた。
「それだけで、自分たちはテントの中に隠れて、外に出なかったんです。物音がしなくなったから、出てきて焼き始めました」
ウリエルは頷いた。
隣のティナは、焼けた串をウリエルに差し替えるところだった。
顔は、ウリエルとまったく同じだった——何も知らない、何も見ていない、という顔。
先生はその二つの顔を見比べ、何か言おうと口を開き、また閉じ。を数回繰り返した。結局、何も言わなかった。
顔に浮かんでいたのは「何かがおかしい気はするが、今それを追いかける気力が自分にはない」という種類の、純度の高い疲労だった。
「……無事ならいい、早く来なさい。隊が戻る」
深く息を吐いた。
「はい」
ウリエルは立ち上がって、ティナの方を見た。
ティナはすでに片付けを始めていた。
焼き終わっていないものを包んで、テントを数手で畳んで、鞄に収めた。
来た時よりも綺麗になった。
前後、それほど時間はかからなかった。
先生はその一部始終を脇で見ていた。
何も言わなかった。
(先生の頭の中では今頃、二つの思考プロセスが並行処理されているはずだ))
ウリエルは心の中でそう読んだ。
(「この二人はどうやって何事もなく生き延びたのか」という処理と、「特待生に何かあったら自分はどう報告するのか」という処理が、同時に回っている)
二本の思考回路が頭の中で絡まり合った結果、結局何も聞かず、ただ二人を連れて山を下りることにしたのだろう。まあ、ちょうどいい。
合流した大集団は、来た山道を逆向きに下り始めた。
雰囲気は来た時と正反対だった。
来る時は、みんなしゃべりながら長い列を作っていた。
前では走る人がいて、後ろでは引きずる人がいて、沸騰した鍋のようにざわめいていた。
今はその鍋が半分冷えていた。
大半はまだ先ほどの衝撃から戻り切っていないらしく、三々五々に肩を寄せながら歩いていた。
足音が軽くなっていた。
話すにしても声を抑えた囁き声で、時おり頭を上げたり振り返ったりして、山の上はまだ静かなままだと確かめていた。
ウリエルとティナは、いつも通り列の一番後ろだった。
ふたりの間には、遠くも近くもない、一歩分の距離がある。
少し歩いてから、ウリエルは声を落とした。
「母さん」
「うん」
「さっきのって、教科書に書いてあったの?」
ティナが少し考えた。
「どれのこと?」
「あの一連のやつ。大きな声を出してはいけない、みんなに迷惑をかけた、ちゃんと反省しなさい、三つ数える——あのシリーズ」
「うん、ママが自分で考えたの」
ティナは当然というように答えた。
「……自分で」
彼女は少し首を傾けた。
顎に指を当てた。
「昔ね、あるママが子どもをそうやって諭しているのを見て、いいなって思って。覚えておいたの」
ウリエルは足を止めずに、頭の中が一瞬フリーズした。
「……覚えておいたんだ」
「うん、今日、使えた」
ティナの目元に笑みが浮かんだ。
「……俺にも、そうやって教育するつもり?」
ティナが振り向いた。
ひと呼吸おいて、真剣な顔で答えた。
「しないよ。ウリちゃんはいい子だもの」
「……」
彼女は続けた。声は柔らかく、揺るぎなかった。
「何をしても、きっと正しいことをしてるんだもの」
ウリエルは歩きながら、その言葉を最後まで聞いた。
ずっしりとした重みを感じた。
(何をしても、きっと正しい)
頭を下げて、自分の爪先を見ながら数歩歩いた。
(母さん、溺愛はよくないってば)
(それ、いつの間に覚えてたんだよ、母さん。誰に使うつもりで……)
深く息を吸い込んだ。
その一息で、残っていたツッコミをぜんぶ飲み込んだ。
前方の山道を見据えて、黙った。
枯れ葉を踏む音が、細かく、規則正しく続いていた。
列はゆっくりと山を下りていく。
風が梢を揺らしていた。
何もなかったかのように、すべてが元の流れに戻っていった。
一方、列の先頭では、学院長と副学院長が並んで歩いていた。
しばらく無言が続いた後、副学院長が学院長の方へ少し近づいた。
声を抑えた。
「学院長、あの龍の件なんですが、お耳に入っていますか」
副学院長が言った。
「何が」
「えっと、あの龍が、なぜここに現れたのかということです。冒険者ギルドに人を走らせて、少し聞いてきたんですが」
副学院長は言葉を選んだ。
学院長が横目で見た。
「どう言っていた」
「ギルドの話では」
副学院長が言った。
「あの龍は、元々の縄張りから追い出されて、この方向へ飛んできたらしいんです」
「追い出された?」
「はい、もともと別の山を根城にしていたのが、そこを追われたと」
学院長が眉をひそめた。
「別の龍にか? あの規模の龍の縄張りを奪えるとなれば、もっと大きな龍でもいるのか?」
「龍じゃないんです、ギルドの情報では——人間が三人、だそうです」
「三人!?」
学院長は声を抑えながらも、明らかに動揺した。
「あの等級の龍を縄張りから追い出したのか?」
「ええ」
副学院長は頷いた。
「ギルドの記録によると、あれは成体の赤龍で、依頼等級で言えば少なくともAランク相当だそうです」
「……どこのギルドの、何というチームだ? 秘銀級ミスリルとなれば、それなりに名の知れた者たちのはずだが、この辺りにそんな者たちがいるとは聞いたことがないぞ」
「それが、ギルド所属じゃないんです」
副学院長は苛立たしそうに、薄くなりかけた頭頂部を掻いた。
「記録に残っていた名前が——」
一拍、置いた。
「——魔法少女、と」
学院長の足が、ぴたりと止まった。
間があった。
「……魔法……少女」
「三人組です」
学院長は手を後ろで組んで、また歩き始めた。
思いつく限りの可能性を頭の中で洗い出した。
考えれば考えるほど筋が通らず、顔色が少しずつ悪くなっていった。
「……どういう素性だ」
「不明です」
副学院長が答えた。
「ギルドにもそれ以上の情報はなく、名前だけが残っていると」
学院長は数歩進んで、さらに考えを巡らせた。
「魔界からか?」
副学院長も少し考えた。
「……あり得ます。この名前、人界側の流儀とは少し違う感じがしますし」
「魔界の者が」
学院長は声をさらに低くした。
「また動き始めたのか?」
「なんとも言えませんが」
副学院長が首を振った。
「名前がこれだけ奇妙で、たった三人で、ギルドの記録もない。確かに、判断しかねます」
学院長はそれ以上返答しなかった。
数歩進んで、最後に深く息を吐き出した。
「先が思いやられるな」
「まったくです」
副学院長もため息をついた。
「本当に」
ふたりは並んで歩き続けた。
前方の山道はまだ長く、列は下り続けていた。
秋風が山道の両脇から葉を一枚ずつ払い落とした。
空中でひと回りして、静かに泥の中へ落ちていった。
【第二十話・終】
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