第十八話·遠足
こんにちは!波乱の予感しかしない秋の遠足、スタートです。
クラスから見事に孤立し、結局いつもの二人きりで山へ向かうことになったウリエルとティナ。
「せめて遠足くらいは、目立たず平和に過ごしたい」というウリエルのささやかな願いは、果たして女神様に届くのでしょうか?
出発当日、班決めでいつもの流れが繰り返された。
ティナを誘いにきた人は四、五人いた。
どの誘い方も自然で、本気だった。
そしてティナが、あの一言を放つ。
「ウリエルも、一緒でいい?」
誰も答えなかった。
ウリエルとティナは顔を見合わせた。
結果、二人だけの班になった。
隊列が集合場所から山道へ進んでいく。
ウリエルとティナは列の一番後ろだ。
前の人たちとの間には、ちょうどいい距離が開いていた。
(近いと、変なことを言われる。言われると、また余計なことが起きる。だから後ろでいい)
ティナは文句ひとつ言わず、ウリエルのペースに合わせてついてきた。
山道の両側に木々が増えてくる。
朝の光が葉の隙間から差し込んで、地面に光の破片を散らしていた。
ウリエルはポケットに手を突っ込んで、少し歩いてから口を開いた。
「自由行動の時間は、どこか適当な場所に座ろう。大人数の後ろをついていく必要はない」
「うん」
ティナは頷いた。
「ママ、荷物持ってきたよ」
「何を?」
——学校内では「ママ」も「母さん」も禁止のルールを何度も言い含めたはずだが、周りに誰もいないため、ウリエルはため息をついてそのままにした。
「食べ物」
彼女は腰の大きなポーチを軽く叩いて、少し嬉しそうに言った。
「それとテント」
「……テント?」
ウリエルの足が止まった。
「どういうことだよ、俺たちは後山を半日歩いて、夕方に帰るだけなんだが。テントなんか持ってきてどうするんだ?三ヶ月の野外サバイバル遠征に行くわけじゃないんだぞ?」
「山の中は冷えるんだもの」
彼女はまったく悪びれずに言った。
「テントがあれば暖かいし、座るだけじゃなくてゴロゴロもできるでしょ? おまけにご飯を食べる時、風で冷めたりしないしね」
ウリエルはその「準備万端の良いお姉さん」顔をじっと見た。
このロジックは彼女の世界観の中では完全に正しいのだと悟った。
疲れを感じて、ツッコミを入れるのを諦めた。
自由行動の時間になると、クラスメートはにぎやかに山の中へ散っていった。
ウリエルとティナは思いつきで風を避けられる緩やかな斜面を探し、グループの声がちょうど聞き取りにくくなる距離で足を止めた。
テントはあっという間に立った。
ティナの動作に無駄がなく、ウリエルも手を貸したので、時間はかからなかった。
次は食事。
テントの中に座って、差し出されたものを受け取る。
一口かじると、彼女の手作りだった。
学院の食堂とは、まるまる一段違う。
「母さん」
ウリエルは食べながら、なんとなく聞いた。
「こういう場所って、面白いものでも出てくるもの?」
言ってから、少し驚いた。
こういう質問は、彼が聞くべきものなのか。世話を焼かれている子供だからこそ、こんなことを聞くのだろう。彼は黙って心の中に書き留め、ティナの答えを待った。
ティナは頬杖をついて、少し考えた。
「ドワーフがいたり、エルフがいたりするかな、」
彼女は続けた。
「ドラゴノイドも、山に出ることがあるよ」
「ふうん」
「魔界から来た魔狼が出ることも、たまにあるかな。あとは何が来るか、ちょっと分からないかな」
ウリエルは咀嚼する手を止めた。
「……それのどこが面白いの」
「子どもたちには珍しいじゃない」
ティナは言った。
「それに、大体は危なくないし」
「大体は危なくない、」
ウリエルはその言葉を繰り返した。
「その『大体』は——一般の人を基準にしてる?」
少し間があった。
「それとも、母さんを基準にしてる?」
ティナは少し首を傾けた。
「……だいたい、同じかな?」
ウリエルは視線を手元に戻した。
食べながら、「だいたい」という言葉を何度も脳内で咀嚼した。
そのとき、急に辺りが暗くなった。
(おいおい? 雨か? まさかこれ、ホラーまとめ動画にでも使われるやつ?)
テントの入口から顔を出すと、雲じゃなかった。
影だった。
巨大な何かが頭上を横切って、葉の隙間から差し込んでいた光を遮ったのだ。
ドン。
地面が、微かに揺れた。
ウリエルの脳裏に、五歳の頃の記憶がふと浮かんだ。
母さんが虫を叩いた時の、あの地響き。
本能的に、ティナの方を見た。
彼女は虫を叩いていない。ただ、外の方を見ていた。
幕を持ち上げてテントを出た。
顔を上げた。
——龍がいた。
全身が、赤かった。鱗が陽光に反射して輝き、翼を広げると頭上の空の大半が覆い隠された。すぐ近くの尾根に降り立ち、首を垂れ、半開きの口からは薄い熱気がゆらりと漏れ出ていた。
でかい。
(『火の竜は森の頂』か)
ウリエルは龍を頭から尾まで眺めた。
そのまま顔だけ後ろに向けた。
「母さん、」声は落ち着いていた。「これも、『だいたい』の範囲?」
ティナが出てきて、隣に並んで、同じように見上げた。
「……これは、ちょっと危ないね、」彼女はまじめな顔で言った。「普通は会えないやつだと思うけど」
「ちょっと危ない、というのは」
ウリエルは繰り返した。
「どのくらい?」
「えっとね、」ティナは少し考えた。「逃げても、逃げ切れないくらい」
「……分かった」
彼は視線を下ろした。
山道の方から、最初の悲鳴が届いた。
続いて二つ目。三つ目。
どよめきと、乱れた足音と、先生が声を押さえて秩序を取り戻そうとする声が、ぜんぶ一度に重なって聞こえてくる。
ウリエルは斜面の上に立って、それらの声を聞きながら、ゆっくりとティナの方に顔を向けた。
「母さん、」深く息を吸った。こめかみがじわりと痛む。「あれ、どうにかなる?」
「うん」
ティナはもう立ち上がっていた。スカートに付いた草の葉をさっと払いながら言う。
「ウリちゃんはここで待ってて。ママ、すぐ戻るから」
一歩踏み出した瞬間——ウリエルは彼女の袖をつかんだ。
「ちょっと待って!」
声を落として、噛みしめるような早口で言う。
「下の先生たちと生徒に、絶対に見られちゃダメ! あまり派手にしないで! できれば——できれば、あいつが自分で足を滑らせて転がり落ちたように見せて! もしくは、お腹でも壊して自分で飛んで行ったように! 分かった?!」
ティナはその三つの無茶な条件を、真剣な顔で聞いた。
少し考えた。
頷いた。
「うん。ママ、分かった」
二歩歩いてから、振り返った。
「食べ物、冷めないようにしといてね、」
彼女は言った。
「すぐ戻るから」
それだけ言って、軽い足取りで歩いていった。
風が、髪をさらりと撫でていく。
空の半分を覆う巨大な赤い龍に向かって、一歩一歩、歩いていく。
ごく普通の、日常の用事を片付けるような足取りで。
ウリエルはその背中を見送って、テントに戻った。
食べかけていたものを拾い上げて、続きを食べる。
翼を持つ赤い龍に「足を滑らせてもらう」方法を、母さんがどう考えているのかは分からない。
でも、もうそれを心配する気力もなかった。
「逃げ切れないくらい危ない」が、「すぐ戻るから」の一言に持っていかれた。
サンドイッチを一口かじって、テントの天井を見上げた。
慣れたら、悪くないものだ。
【第十八話・終】
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
遠足といえば手作りのお弁当、テント、そして……巨大ドラゴンですよね!(?)
「逃げ切れないくらい危ない」と言いながら「すぐ戻るから」とご近所感覚で出陣していくティナお姉ちゃんと、完全に悟りを開いてサンドイッチを食べ続けるウリエル。この二人の異常な温度差、書いていてとても楽しかったです。
「空飛ぶ竜を、足を滑らせて転がり落ちたように見せかける」というウリエルの無茶振りに対し、果たしてママはどんな物理法則を無視した解決策を見せるのか……。
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