第十四話:概念斬り Pro Max
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前回、包丁を持ったママが一体何をするのかと思いきや……まさかの「物理で記憶を斬る」でした。タイトル通りです。
この展開、後から振り返ってみると作者自身も「さすがにぶっ飛びすぎだろ!」と思ったりしたんですが……でも、こういうのも結構面白いですよね?
ウリエルと一緒に心の中でツッコミを入れながらお楽しみください。それでは本編をどうぞ!
「ママ!」
ウリエルの声が、ほぼ一オクターブ上がった。
「その、包丁で」
「何、するの」
「記憶を消す」
ガラティーナはとても自然に答えた。
野菜を切ると言うのと、全く同じ口調で。
ウリエルは首をすくめた。
(包丁を持った人間が「記憶を消す」と言う時、それはどういう種類の記憶消去なのか)
「……どうやってやるの?」
「うん」
彼女は手の中の包丁を見下ろした。
「ママの力ってねぇ、いろんなものを斬れるのよぉ。今まで主に、見えるものや触れるものを斬るのに使ってたんだけど」
目を上げた。
「だから今日、試してみようかなって。この人たちの、今日の記憶を切り落とす」
「記憶を……切り落とす」
「うん、切り落とす」
語調は穏やかで、表情には良妻賢母そのものの落ち着きがあった。
手の中の菜切り包丁が、話の拍子に合わせて、宙でゆらゆらと揺れた。
ウリエルはその包丁を凝視して、大きく息を吸った。
(おいおい、まさか人の頭蓋骨をこじ開けて、今日の記憶を司る丨神経細胞をピンポイントで切除する気じゃないだろうな。しかも『試してみる』ってなんだよ)
その瞬間——記憶の奥底に埋まっていた、ある出来事が浮かんできた。
なぜこのタイミングで、包丁がそれを揺り起こしたのかはわからない。
「ママ」
彼は口を開いた。
「先に一つ聞いていい」
「なあに?」
「俺が五歳の時、孤児院の日のこと。あの時ママは、外に出て何人か片付けたよね」
ガラティーナを見た。
「あの時、なんでこれを使わなかったの」
室内が、一瞬静まった。
「仇の人たちに、ママの存在を全部忘れさせれば、それで済んだんじゃないかって」
ガラティーナは包丁を持ったまま、彼を見た。
その案が実現できるかどうかを、静かに考えているようだった。
それから笑った。
花が咲くような笑顔だった。
ウリエルが五歳の時から知っている、あの笑顔。
正午の春の陽光のように柔らかくて、どんな警戒も溶かしてしまう。
「ウリちゃん、頭いいね」
彼女は言った。
「たしかに、いい方法だった」
ウリエルはその場に立って、この言葉を受けて深く息をついた。
問題はそこじゃない。
「ママ」
できるだけ落ち着いた声を保とうとした。
「じゃあなんで、あの時は使わなかったの」
ガラティーナは首を傾けた。
素直に言った。
「あの時はねぇ、こういう使い方ができるって思いついてなかったのよぉ」
「……」
「さっき初めて思いついた新しい使い方なの」
彼女は言い、その語調にはさらりとした愉快さが混じり、まるでちょっとした新しい発見を共有しているようだった。
「ウリちゃんが学校に行けるように、真剣に考えたら思いついたんだよね」
ウリエルはその言葉を、一字ずつ分解して理解しようとした。
繋げると、逆にわからなくなった。
今日まで記憶を斬るという使い方を思いついていなかった。
でも記憶と野菜は、根本的に別物のはずだ。
彼が学校に行けるように、真剣に考えたら思いついた。
そう考えると、彼の表情はとても微妙なものになった。
(母さん、その能力、自分でも気づいてない使い方が一体あとどれだけあるんだ)
まあいい、重要じゃない。
まあ、いい。
「それで、できるの?」
「試してみるわぁ」
ガラティーナが地面の三人を振り返った。
「たぶん大丈夫」
手元が動き包丁が振り下ろされたが、彼ら三人の体には当たらなかった。
空気の中の何かを断ち切るように、鮮やかに三回斬った。
ウリエルは隣でその一部始終を見ていた。
まぶたが一度、びくりと震えた。
でも閉じなかった。
「はい」
ガラティーナが背筋を伸ばして、ぱんぱんと手を叩いた。
包丁をエプロンで軽く拭いた。
「……それだけ?」
「それだけ」
三人は彼女にまるでゴミ袋のように玄関口まで提げられ、段差の脇に整然と並べられた。そこに余計な動作も、余計な表情も一切なかった。
扉が閉まった。
「ママ、あの人たちは……」
「起きるわよぉ」
ガラティーナは既に台所へ戻り、菜切り包丁を引き出しにしまっていた。
「眠ってるだけだから」
ウリエルは窓際へ二歩寄って、隙間から外を覗いた。
三人が、台階の脇で微動だにせず横たわっていた。
台所から、お玉が鍋に当たる音がした。
水の音がした。
ガラティーナが何かを軽く口ずさむ声がした。
何もなかったかのような、穏やかな夕暮れだった。
ウリエルはそのまま窓に張り付いて、待った。
三十分ほどが過ぎた頃。
壮漢が最初に動いた。
指先をもぞもぞさせて、台階に手をついて起き上がり、茫然と周囲を見回してから、自分の手を見下ろした。
「……ここどこだ。俺たち、転んだか?」
執事も身を起こした。
呆然とした顔だったが、長年の職業的素養がすぐに発動したようで、混乱しながらも冷静を取り戻し、きょろきょろと辺りを確認して、手元のノートを開いた。
眉が深く寄った。
「……我々は、何をしにここへ来たのだったか」
貴族の少年が最後に起き上がった。
頭を押さえながら。
「頭が痛い……」
執事を見て、それから通りを見た。
「俺たち、なんで外に出たんだ?」
「若様」
執事は少しの間黙って、ノートを閉じ、立ち上がって衣の裾を整えた。
「……この老臣にも、思い出せません」
三人が顔を見合わせた。
それから執事が口を開いた。
「……屋敷へ戻りましょう」
壮漢が「おう」と答えて先に立ち上がった。
三人は互いに支え合いながら、来た道を戻っていった。
穏やかで、茫洋として——なぜ外に出たのか思い出せないまま、とりあえず家に帰るしかない普通の人間たちのように。
ウリエルは窓に張り付いたまま、三人が遠ざかるのを見送った。
一度も動かなかった。
(家の場所と自分が誰かは覚えてる。ママ、初めてにしては手加減が絶妙すぎないか? 本当に初めて?)
三人の姿が角を曲がって完全に消えてから、ゆっくりと腰を伸ばした。
媒介は菜切り包丁だった。
菜切り包丁で、三人の今日の記憶を斬った。
手が動いて、三回、鮮やかに。
それから台所へ戻って、引き出しに片付けた。
きゅうり一本を刻むのと、本質的な違いはなかった。
さっきの光景を思い返して、ウリエルは眉間に二本指を当てて押した。
(ママ、それ俺にも教えてよ。他の作品みたいに、ピカッと光るハイテクな記憶消去アイテムとかじゃないのかよ)
台所の方を振り返った。
ガラティーナが中で何かを口ずさんでいた。
たまにお玉が鍋に当たる音がして、水の音がして、何もなかったかのような夕暮れが続いていた。
リンゴを剥くことも忘れていなかった。
果物皿が、すでに竈の脇に置かれていた。
ウリエルは向き直って、椅子の背もたれに体を預け、ずるずると座り込んだ。
しばらく天井を眺めた。
それから、ぱんと両手を打った。
(待て)
「ママ!」
「なあに」
台所から、のんびりとした声が返ってきた。
「今日外で調べてきた話、学校のこと」
声を張った。
「まだ話してなかった!」
ざあっという水音が、ぴたりと止まった。
ガラティーナが手を拭きながら出てきた。
迷いなくウリエルの向かいに腰を下ろして、両手を頬に当てて、まるで子供の発見の共有を聞きたがるかのように興味津々な様子で。
「話して。ママがちゃんと聞くから」
ウリエルは彼女を見た。
少し考えて、一番重要なところから切り出すことにした。
「学校はね」
彼は言った。
「今は寄宿制になってる」
「……ん?」
「学校の中に住む。通学じゃない」
ガラティーナの目がぱちぱちとゆっくり瞬いた。
その情報を消化しようとしているようだった。
口元へ運ぼうとしていたコップが、ピタリと空中で止まった。
やがて彼女の目がウリエルの目と合った。
奥の温かさはそのままだった。
ただ、今回はそこに何か別のものが混じっていた。
何なのかはうまく言葉にならなかったが、良くないものだという感覚はあった。
喉のあたりに何かが軽く詰まった気がして、ウリエルは無意識に唾を呑んで押し込んだ。
「……それってママも」
彼女はゆっくりと、彼を驚かせないような速度で口を開いた。
「ママも一緒に住み込んじゃダメぇ?」
「……」
聞き間違えたかと思った。
すぐに、違うとわかった。
(やっぱりな)
「ママ」
ウリエルは言った。
「残りの話を、ちゃんと最後まで聞いて」
【第十四話・終】
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