第十一話:魔法少女、旅立ちの前に
少女たちは「見えない世界の危機」を案じて決意を固め、
ウリエルは「中二病設定がバレた」と勘違いして親心で送り出し、
そして母親のガラティーナは「嫁候補たちの旅立ち」を本気で嘆く。
——誰一人として同じ真実を見ていないのに、なぜか完璧に成立してしまった感動の別れ。
一ヶ月後。
普通の朝だった。
朝食が終わり、ガラティーナが食器を片付けていて、ウリエルは前に書いた設定ノートをめくっていた。
何もかも、いつも通りだった。
そこへルミナが入ってきた。
後ろにフェンリアとキラが続いていた。
三人とも、きびきびした格好に着替えていた。
荷物は綺麗に整えられ、きっちり縛られていた。
ウリエルは顔を上げた。
「……」
「書記官様」
ルミナは立ったまま、表情はいつも通りだったが、目の奥に何か決まったものがあった。
「お別れを言いに来ました」
「別れ」
ウリエルは間抜けな声を出した。
「どこへ」
「旅団の信条——悪を討ち、正義を守ること」
暗記したどころではない、染み込んだ声で言った。
「魔女は一か所に留まるものではありません」
ウリエルの中で、何かが嫌な予感をし始めた。
ルミナはさらに口を開いた。
「書記官様、ずっと聞きたかったことがあります」
「言って」
「あなたも魔女様も」
彼女は一呼吸置いた。
「こんなに強いのに」
「……うん」
「どうして」
真っ直ぐ目を見て。
「旅団の信条を、実践しないんですか」
ウリエルはこの一撃に、完全に止まった。
(まずい……三年間ずっと話を作ってて、この致命的な矛盾を放置してた)
フェンリアの耳もぴんと立った。こちらをじっと見ている。キラは動かないが、視線はこちらにある。
三人全員が、待っていた。
ウリエルはしばらく考えた。
いくつか答えを考えたが、どれもしっくりこなかった。
深く息を吐いた。
「ここに、」
彼は言った。
「とても危険なものがあるからだ」
ルミナが微かに目を見開いた。
「魔女様が離れられない。そうなったら、取り返しがつかないことになる」
庭が、静まり返った。
ウリエルは言い終えて、視線をさりげなくガラティーナの方へ流した。
ほんの一瞬だけ。そしてすぐ戻した。
ルミナはその小さな動作を見逃さなかった。
その方向を見て、少しの間、黙った。
「……そういうことでしたか」
声が、少し重くなった。
「わかりました」
フェンリアの尻尾がぴたりと止まった。
垂れた。耳も少し下がった。
「……書記官様、魔女様、あの、お二人は……」
「大したことじゃない」
ウリエルは遮った。
「三年慣れてる。そんな顔するな」
キラは何も言わず、視線をそらした。
(……なるほど。ママが外に出たら何かやらかすって解釈したのか。どうやら納得してくれたらしい)
三つの真剣な顔を見て、ウリエルは自分と同じ結論に至ったと思い込んで、説明をやめた。
(三年世話になった。去り際にそれらしい理由を一つ置いていってくれた。十分すぎる礼儀だ)
向こうの嘘をあえて暴くような野暮はしない。
「わかった」
彼は言った。
「旅団の信条、第三条は覚えてるか」
ルミナが顔を上げた。
「魔女様と書記官様の導きに従うこと。覚えています」
「なら、これが最後の指示だ」
ウリエルは三人を見渡した。
「道中で手に負えない事態に遭遇したら、決して無理はするな。まずは逃げろ。正義の執行は二の次で、己の命を守ることが第一条だ。いいな?」
「はい——!」
フェンリアが即答した。
「……はい」
ルミナが静かに続いた。
キラが頷いた。
「よし」
ウリエルは背を向けて、縁側に向かってさっさと歩いた。
「魔女様に挨拶してから行け。突っ立ってないで」
フェンリアがガラティーナの方を向いた。
尻尾は少し下がっていたが、それでも揺れていた。
「出発します!」
「あら」
ガラティーナは食器を置いて、手を拭いて、歩み寄った。
「ちゃんとご飯食べるのよ」
しゃがんで、フェンリアの獣耳を撫でた。
次にルミナの頭に手を置いた。
最後にキラ。
「道中、気をつけて」
キラは俯いたまま何も言わなかった。
でも目が、赤くなっていた。
「魔女様」
ルミナが口を開いた。
普段より、珍しく、柔らかい声で。
「また戻ります」
「うん」
ガラティーナは笑った。
「行っておいで」
ウリエルはその光景を見ていた。
子供が学校に行くのを、門のところで送り出す母親みたいだと思った。
三人が院門を出た。
ルミナが先頭。フェンリアがその隣。キラが少し遅れて、一度だけ振り返った。
ウリエルの視線と、ぶつかった。
すぐ前を向いた。
(……)
ウリエルはしばらく反省した。
やはり、気づかれていたのだろう。魔法少女、あの言葉がきっかけだったのだろうか。
物語はどんどん膨らみ、世界観はどんどん広がり、とっくに「遊び」の範囲を超えていた。
三人はずっと前から、この三年間のでたらめな作り話の全貌に気づいていたに違いない。
ただ面と向かって言い出せなくて、今日になってようやく、もっともらしい理由を見つけて、それぞれの道へ歩き出した。
(面と向かって『この大ホラ吹きが!』と罵りもしないで、去り際にまで恭しく最後の一幕を演じきってくれた)
(本当に、いい子たちだ)
深く息を吐いて、遠くなっていく空に向かって、父親のような心持ちで見送った。
(行け。もっと広い空へ)
ガラティーナは隣で、ずっと黙っていた。
三人の姿が見えなくなってから、ゆっくり我に返ったように、微かに茫洋とした目でウリエルを見た。
「……大きくなったのかな、あの子たち」
「うん」
ウリエルは言った。
「引き止められない」
(背も、だいぶ伸びたしな)
「そうね」
ガラティーナはひとつ、静かに息を吐いた。
「もう少しここで遊んでいくと思ってたのに」
「……旅に出たと思えばいい」
ウリエルは自分がすっかりおやじのような感慨を持っていることに気づいた。
「はあ——」
ガラティーナがもう一度、今度はずっと深い溜息をついた。
「せっかくの三人のお嫁さん候補がぁ、ウリちゃん」
「……?」
「行っちゃったわねぇ」
彼女が胸に手を当てた。
「ママ、胸が痛いわぁ」
「ママ」
ウリエルは深呼吸をした。
「娘と嫁の区別、ついてるか?」
「どっちもママの大事な子じゃない」
「そうだとしても、なんで嫁なんだ」
ガラティーナは首を傾けた。
何の迷いもない顔で言った。
「ウリちゃん、妹にも嫁にもしたいってこと? ママは嫁の方が好きかと思ったんだけど」
「……」
ウリエルは目を逸らした。
「……ママ、もしかして天然の腹黒じゃないか」
「天然の、腹黒? 何それ」
「なんでもない」
ウリエルは踵を返した。
「顔、赤いよ」
「赤くない」
「赤いって」
ガラティーナがくすくす笑いながら追ってきて、彼の頬をつんと引っ張った。
「素直じゃないんだから」
「……」
ウリエルはその手をそっと外して、さっさと屋内へ向かった。
(もう無理だ。太刀打ちできない。心が疲れる)
「ママ、来週の食材、リスト作っておいて」
「はーい」
軽い足音がついてくる。
さっきの別れなど、もう翻ったかのように、声が弾んでいた。
「ウリちゃん、一番好きなもの何? たくさん買ってくるね——」
「なんでもいい」
「なんでも、はダメよぉ」
「な——ん——で——も」
旧い家の廊下に、大きいのと小さいの、二つの影が続く。前を行く一人と、それを追う一人。何やらぼそぼそと言い合う声が、ずっと奥まで続いていった。
すっかり静かになった庭の地面には、子供たちが走り回ってつけた浅い足跡だけが、ひっそりと残っていた。
【第十一話・終】
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