第百六話:真相の浮上
エステラが叔父の屋敷を出た時、その顔色は優れなかった。
ヴァルドリッチ家の馬車は街角に停まっていた。
御者は遠目に彼女の表情を見た瞬間、かけかけた挨拶を喉の奥に飲み込み、黙って馬車の扉を開けた。
エステラは一言も発さずに乗り込んだ。
馬車が騎士団本部の正門前に止まった。
エステラは扉を押し開け、足が地面に着く前に、迎えに出た当直騎士へ身分を告げた。
当直騎士は口をぱくぱくさせた。団長は今取り込み中だと言いかけたが、彼女の目と合った瞬間、言葉を飲み込んで道を開けた。
どごんという轟音と共に、団長室の扉が蹴り破られ、壁に叩きつけられた。
扉が蹴破られる直前、室内からかすかに押し殺した溜め息が聞こえた気がした。
団長は執務机の後ろに座っていた。
机の上には何冊もの書類の束が積み上がり、一番手前の束が傾いて、上の数枚が机の端からはみ出し、今にも落ちそうになっている。
団長は覚悟していたらしく、蹴破り音にも動じず、ただ顔を上げて彼女を見た。
目の下には濃い隈が浮かんでいて、髪もかき乱されたままだったが、それでも無理やり笑みを作った。
「ヴァルドリッチ嬢。どうぞお座りを。お茶は?」
「要りません」
エステラは執務机の前に立ち、両手を脇に垂らしたまま、座る気配は一切なかった。
「カルガスはどこだ」
団長の顔の笑みが一瞬で固まった。
椅子の背もたれに身を預け、しばらく沈黙してから口を開いた。
「カルガス騎士は……現在、行方不明の扱いです。調査の中で、ある不明組織との長期的な関与が判明しました。セラフィーナ嬢の件の後、彼は二度と姿を現していません」
エステラの右手が書類の束を叩いた。
風が舞い上がり、一番上の数枚が机の上を滑って床に落ちた。団長はそれを拾いに行く余裕もなかった。
「あいつはもう死んだ」
団長の瞳孔がかすかに収縮した。
体を一気に起こし、両手を組んで机の上に置く。次に口を開いた時の口調は、さっきの社交辞令とは別物になっていた。
(エステラがセラフィーナ救出に行った際に鉢合わせて、その場で制裁した、と。今日はその件で文句を言いに来たのか)
「確かなのか?」
「私がこんな事で冗談を言うと思うか?」
エステラの鋭い眼光に、団長は冷や汗をかいた。
「騎士団の内部に、あいつと同様の者が何人いるか。徹底的に調べたのか?」
「進めています。カルガスの線から浮かび上がった関係者は、リストを一部まとめ——」
団長が引き出しに手を伸ばしかけたところで、エステラが遮った。
「一部?」
彼女が僅かに身を乗り出した瞬間、王国最強者の圧迫感が正面から押し寄せた。
「セラフィーナが誘拐されたのは、カルガス一人でできる話ではない。呪縛教団の勢力が騎士団に浸透できたということは、これは個人の問題でも、数人の問題でもない。騎士団全体の審査体制に大きな穴が空いているということだ。あなたは団長として、私より先にそれを分かっているはずです」
団長は数秒間黙った。
視線を逸らさず、弁解に走りもしなかった。
室内は静まり返り、窓の外の練兵場から遠く訓練の掛け声だけが聞こえてくる。
それから彼は立ち上がり、執務机を回り込んでエステラの前に歩み出た。
立ち止まり、わずかに上体を折った。
「騎士団を上から下まで徹底的に粛清します。この件はあなたに、そしてヴァルドリッチ家に誓います」
エステラは彼を見た。
セラフィーナが行方不明になったあの夜、この中年男は最前線で戦い続けた。
鎧は灰と血まみれで、声が嗄れても人員を指揮し続け、あの怪物を居住区に入れまいとマナが尽きるまで戦い続けた。
彼女は少しだけ圧を引いた。
「カルガスの調書を出せ。全てだ」
団長は眉をひそめた。
「調書は騎士団内部の人事管理に関わるものでして、規定上、冒険者ギルドが国家の内部——」
「冒険者として要求しているのではない」
エステラの声が一段と硬くなった。
「ヴァルドリッチ家として要求しています。誘拐されたのは私の従妹だ」
団長は言い返す気力もなくなり、彼女を連れて書類室へ向かった。
受け取った調書はかなりの厚みで、封筒に入れられ、封止め紐には騎士団の蝋印が下がっていた。
エステラが封筒を抱えて出口へ歩き出したところで、背後から団長の声が届いた。
「ヴァルドリッチ嬢。知っておいた方がいいかもしれない事が一つ」
彼女は足を止め、顔だけを向けた。
団長は執務机の傍らに立ち、数秒考えてから口を開いた。
「カルガスと繋がっていたあの組織ですが……最近、様々な噂が流れています。異なるルートから出てきた話で、彼らの活動範囲は以前の想定より広く、いくつかの町で姿が確認されているとのことです。また、何かを探し続けているという話もありますが、具体的に何なのかは、誰も分かっていない。気をつけてください」
エステラはただ頷いて、大股で騎士団の駐屯地を後にした。
調書を手に入れた翌日から、エステラは学院襲撃事件の目撃者探しを始めた。
しかし学院はすでに更地になっており、生徒も教職員もそれぞれの家に帰っていた。
彼らの居場所を確認するだけで丸一日が潰れた。
二人の生徒からようやく核心的な証言を引き出せたのは、三日目の夜明け前だった。
エステラは机の前に座り、目の前にはカルガスの調書、学院襲撃の時系列、そして赤い丸で埋め尽くされた地図が広がっていた。
襲撃当日、カルガスは学院付近で丁度当直に就いていた。
そしてセラフィーナも、その日に限って欠席届を出していた。
彼女が今の時点で把握しているのは、セラが偶然その日に休んだということだけだ。だが万が一、この二つに繋がりがあったとしたらどうなるか。
そこで関係者への聞き込みが必要になった。
学院は廃墟になっていたので現場には行けない。生徒と教職員は散り散りになっており、連絡を取り次ぐのにもひと苦労だった。
最終的に、まだ病院で療養している生徒から一つの事実を聞き出せた。
学院長は、襲撃が起きている間、最初から最後まで姿を見せていなかった。
別の生徒からはさらに直接的な証言が得られた。
校道で黒衣の人間と遭遇した下級生の女子生徒が言うには、その黒衣たちは学院の構造をよく知っているようで、物音一つ立てずに侵入してきた。どうしても内部に協力者がいるとしか思えない、と。
エステラは集めた情報を画鋲で壁に貼り付け、そこに釘付けにした全ての紙を繋げて見渡した。
左側にカルガスの任務記録、中央に襲撃当日の時系列、右側にセラフィーナの誘拐前後のスケジュール、最右端に王女アンジェリカの負傷報告書——彼女も被害者の一人で、金級の護衛騎士二人を失っていた。
全ての線が、一つの名前に収束していた。
オズワルド・ラザフォード。
彼は学生を守って死んだのではない。事情を知っていた*いや、それどころか関与していたのだ。
エステラにはセラフィーナのことが痛いほど分かっていた。
あのタイミングで欠席届を出したのは、体調のせいなどではない。
何かを知っていて、自分なりに整理しようとしていたのだ。
少なくとも、エステラはそう確信していた。
考えを整理した後、彼女は椅子の背もたれに身を預け、目を閉じてこめかみを揉んだ。
もう一つ、さらに不穏な疑問が頭に浮かんだ。
オズワルドを殺したのは一体誰だ?
彼は学院長室で発見されていた。
死因は騎士団の報告によれば心臓を貫いた致命傷で、対外的には「襲撃中に遭難」とされていた。
最も重要な点として、話を聞いた全ての生徒と教職員が、ある一つの名を口にしていた。
「聖剣の魔女」。
礼拝堂で彼女は天から降り立ち、反撃できると告げた。
エステラは「魔女」という二文字の横にもう一つ丸を書き加えた。
丸の周りにはすでに無数の線が引かれており、実線と点線が異なる事件、異なる場所を指していた。
そして彼女の筆先が別のタグへ移った。「魔法少女」。三姉妹。
学院襲撃事件において、この三人の少女は魔女に続いて行動し、複数の生徒に目撃されていた。
偶然にも、昼と夜を分かつ剣を目撃したあの日にも、彼女たちはいた。
つまりこれは偶然ではない。
魔女、魔法少女、教団幹部、二か所の現場。
もしあの斬撃が魔女の手によるものならば、オズワルドも彼女に始末されたと見て間違いない。
彼の命も秘密も、学院の廃墟の下に埋められた。
では、彼女は一体誰の手の者なのか?
教団の第二幹部として、裏切り者を粛清しに来たのか。
それとも全く別の勢力が、教団と何かを奪い合っているのか。
どちらの可能性にせよ、あの攻撃を何でもないように放てる者の実力は、輝光級を下回らない。
つまり王国の中で、正面から彼女に対抗できる人間は存在しない。
エステラは苛立ちに任せてペンを机に投げ、立ち上がって窓際に歩み寄った。
外は穏やかで、誰もがいつも通り過ごしている。
全員の頭上にいつ落ちるとも知れない剣が吊られていることなど、誰も知らない。
知らないからこそ、誰もそんなことを心配する必要もない。
ノックの音が思考を遮った。
扉を開けると、立っていたのはラドリン、彼女の相棒だった。
ドアの枠に寄りかかり、目を細めている。その表情には、「いい知らせ持ってきたよ」と書いてあるも同然だった。
「二人捕まえた。どっちも冒険者として活動してた。別の構成員と落ち合う瞬間を狙って待ち伏せたよ。いつ話を聞く?」
「今すぐ」
監禁場所は廃倉庫の地下貯蔵室だった。
二人が椅子に縛られている。
一人は三十代くらい、鳥の巣みたいに乱れた髪。
もう一人は若く見え、ひょろりとした顔で、視線がせわしなく泳いでいる。
二人とも顔の形が変わるほどボコボコにされているのに、どういうわけか変に元気だった。
今しがた捕まった邪教徒というより、酒場の喧嘩で二発もらっただけの運の悪い飲み客みたいだ。
人が入ってきたのを見て、この上なく澄んだ間抜けな目でエステラを見上げ、鼻水と涙でぐしゃぐしゃになっていた。
エステラは二人の前に立ち、口を開いた。
「話せ。何の組織で、首謀者は誰で、何をやっていたのか」
鳥の巣頭が腫れた瞼を持ち上げた。
「き、教団って呼んでます。正式名称は知りません、本当に! 俺は底辺の使い走りで、上から言われたことをやってただけで——」
ひょろ顔は椅子ごと縛られたまま必死に身を乗り出した。鼻水の泡も弾けている。
「そうそう、たまに変な薬を配ってくれて、飲んだら戦闘力が上がって。普段は何もしなくていいし、たまに上司のタスクを手伝う程度で、冒険者ギルドとほぼ同じっすよ。会費もないし」
「ホントに! ギルドとほぼ同じ! いや、ギルドよりちょっとお得かも。ギルドって報酬から手数料取るじゃないですか、こっちは取らないし。規則も少ないし」
「タスクこなしたら別途手当が出て、出勤率高いと賞与まであって——」
「もういい」
話が完全に逸れかけているのに気づき、エステラは遮った。
「知っている上役の名前を言え。場所、連絡手段、合言葉も」
鳥の巣頭とひょろ顔は顔を見合わせ、そのまま同時に絶叫を上げた。
一人は親の介護があると叫んだ。一人は家のローンがまだ二十年残っていると喚いた。
「本当に何も知らないんです!」
「改心します! 異端じゃないです! もう変な宗教には入りません! 反省してます、本当に分かりました!」
地下室に、二人のひどく情けない悲鳴が響き渡った。
エステラはしばらく聞いてから、眉間の皺をどんどん深くした。
この二人の間抜けぶりは演技とは思えなかった。
捕まるその瞬間まで、彼らは自分が「割のいい小遣い稼ぎ」に就いているとしか思っていなかったのだろう。
装備も普通の鉄級冒険者水準で、体に基本的な探知対策の呪文すら施されていない。
教団はこの二人に何も投資していない。
最初から大した仕事を期待していなかったのだろう。
秘薬で釣り上げた底辺の使い捨て要員。それだけだ。
エステラはもう一言も聞かずに踵を返し、外へ向かった。
ラドリンが後に続きながら鉄扉を手で引いて閉めると、中の泣き叫び声が扉越しにくぐもって届き続けた。
「放す? それとも置いとく?」
「放していい。でも信頼できる人間に最低一か月は見張らせて。何かあったらすぐ報告」
ラドリンが了解のサインを返した。
エステラは自分の拠点に戻り、今回得た情報を加えた上で、もう一度全体の流れを整理した。
点と点が繋がった。
全てのバラバラな手がかり、情報、目撃者の証言が、この瞬間、パズルのピースのようにぴたりとはまった。
魔女。
全ての矢印が彼女を指している。
学院襲撃の日に降り立った。昼と夜を分かつ斬撃は彼女が放った。オズワルドも彼女が始末した。カルガスも彼女の手による。
王都に送り込まれた二人の高級幹部、一人は裏切り、一人は制御不能になり、彼女が直接来て後始末をした。
これは正義の執行者ではない。
彼女は教団の内部から来ている——中枢の構成員、最低でも第二幹部、あるいは支配者そのものかもしれない。
輝光級以上の敵が、この国の暗部に潜んでいる。
そして王国全体が何も知らない。
常に最悪の事態に備えなければならない。
あの魔女をこれ以上好き勝手にさせておくわけにはいかない。
【第百六話・終】




