第四十ニ話【現世編】 ①黄金の身代わり(後編)
【作者より】
いつも本作をお読みいただき、本当にありがとうございます!
丈一郎の腰の痛み、モモの底なしの食欲、そして雪だるま式に増え続ける「負債」……。
二人の旅を支えているのは、間違いなく皆様の温かい応援です。
皆様からのブックマークや評価は、二人にとっては貴重な「路銀」であり、私にとっては物語を紡ぎ続けるための「最高級ガソリン」です。
より一層の熱量で描き切りますので、引き続き応援のほど、よろしくお願いいたします!
「環?環いるのか?おい、返事しろ!」
湿り気を帯び、商売人の計算高さが滲み出た、粘りつくような響き。
あかりの動きが止まる。
黄金を溶かす法力の熱気がピシリと凍りつき、教祖もタブレットを叩く手を止めて、店の暗がりに目を凝らした。
環古書店の奥、丈一郎が「絶対に売れない」と断言して積み上げていた、昭和の官能小説の壁がゆっくりと崩れる。
「誰ですか。私の聖域に、断りもなく泥足で踏み入れた不浄な存在は」
あかりが彫刻刀を向けると、そこからヌッと姿を現たの。
それは、ボロボロの背広を羽織った、体長三十センチほどの「二足歩行する狸」だった。
しかも、その狸はなぜか頭に「店主」とマジックで書かれた手書きのハチマキを巻き、前足には年季の入った「そろばん」を抱えている。
「……あ? なんだこの低解像度な生物は。オッサンの隠しペットか?」
ゴミ箱の横で教祖が毒づくと、狸は不機嫌そうにそろばんをジャラリと鳴らし、鼻をひくつかせた。
「失礼なことを言うな、この半端者が。俺は『古書・狸穴堂』の店主だ。環の野郎、店ごと逃げやがったのかと思って乗り込んでみれば……なんだこのキンキラキンの趣味の悪さは。環の奴、ついに闇バイトにでも手を染めて、成金趣味に目覚めたのか? 」
狸……自称、狸穴堂の店主は、あかりの放つ凄まじい威圧感に気圧されるどころか、店内の惨状を見て露骨に顔をしかめた。
「あいつとは熊本の妖怪古本競り市で二十年来の腐れ縁だ。あいつが『一円でも安く仕入れよう』と血眼になってる横で、俺は『いかに客から毟り取るか』を考えてきた。……おい、姉ちゃん。その金の延べ棒、環が残したもんなら、俺への延滞料として一本ほど頂いていくぜ? あいつに貸してた『限定版・土下座全集』の返却期限は、三週間前に切れてるんだよ」
「……貴方。環さんの知り合いなら、幸いでした」
あかりの瞳に、獲物を定めるような冷徹な光が宿る。
彼女は、金の延べ棒をドロドロに溶かしていた法力を、今度は狸穴堂の方へと向けた。
「環さんの周辺には、不浄な存在しかいないのですね。……ですが、好都合です。環さんの過去を知る者の『執念』。それこそが、この聖域を異世界へと射出するための、最後の火薬になるのですから」
「はぁ!? 何を言って……おい、姉ちゃん、目がマジだぞ! 待て、俺はただの取立……」
狸穴堂が後ずさりしようとした、その瞬間。
あかりの背後で、自律稼働していた『黄金の環さん(半纏)』が、ガタリと動いた。
『……あー、痛て。腰にくるわ……。狸、てめえ、まだ生きてたのかよ……。金なんて一円もねえっつーの……』
教祖がループさせていた音声データが、絶妙なタイミングで再生される。
黄金の半纏は、狸穴堂に向けて、右手に持った「一円玉」をデコピンの要領で弾き飛ばした。
「うおっ!? 暴力か! 環の野郎、金を持った途端にこれか! せせこましい攻撃しやがって!」
狸穴堂は素早くそろばんでガードしたが、一円の弾丸はそろばんの珠を一つ粉砕し、壁にめり込んだ。
「環さんは……誰にも渡しません。例えそれが、腐れ縁の狸であろうと、異世界の神であろうと。彼は私のです」
あかりの背後から、白銀の法力が猛然と吹き上がる。
彼女は溶かした黄金を空中で練り上げ、それを「環古書店の本棚」の隙間に次々と流し込んでいた。
「粗大ゴミ! 言霊を最大出力に! この狸穴堂の『未練』と、環さんの『愚痴』、そして私の『愛』を結合し、因果律を強制加速させます!」
「無茶だ! 理論が崩壊している! この店そのものを次元の弾丸にするつもりか!? 成功確率は0.001パーセント以下だぞ!」
「0ではありませんね?」
「やればいいんだろ、やれば!」
教祖の叫びと共に、店内の古本が一斉に舞い上がり、黄金の粒子と混ざり合いながら巨大な「渦」を形成し始めた。
密閉された環古書店が、ミシリ、ミシリと嫌な音を立てて歪み始める。
建物の骨組みが黄金で補強(あるいは浸食)され、現実世界の物理法則から切り離されていく。
「おい、待て! 俺を巻き込むな! 延滞料はもういい、チャラにしてやるから出せ! 出してくれぇぇ!」
狸穴堂がそろばんを振り回して逃げ惑うが、あかりの張った結界は一寸の隙もない。
「環さんの不在という『不浄』を、私は許さない。……さあ、店ごと環さんのもとへ、特別配送です!」
あかりが最後の一本の延べ棒を手に取り、それを「起爆スイッチ」として床に叩きつけた。
ズドン!!
黄金を纏い、加齢臭を放ちながら暴走する半纏。
「延滞料がぁぁ!」と叫ぶ狸。
「死ぬ……!」と絶望する教祖。
そして、その中心で最高に清浄な、魔王の如き笑顔を浮かべる四方あかり。
環古書店の空気は、もはや肺を焼くような白檀の香りと、金の延べ棒から放たれる魔的な熱気で満ちていた。
しかし。
あかりが最後の一本の延べ棒を床に叩きつけた時、期待されていた「爆発」は起きなかった。
代わりに起きたのは、この世の音をすべて吸い込むような、底なしの「沈黙」だった。
「……やはり、このぐらいの重みでは、環さんへの想いを固定するには足りないのですね」
あかりは静かに呟くと、床にめり込んだ金の延べ棒を愛おしそうになでた。
彼女の指先から溢れ出す白銀の法力は、もはや制御を離れ、店の四隅へと這いずり回っている。
金の延べ棒は、彼女の意志に呼応してドロドロとアメ細工のように溶け出し、床のタイルの隙間を、壁のひび割れを、そして古ぼけたレジスターの細部までを、生き物のように侵食していった。
「ひ、ひぃぃ……! なんだ、この店は! 金が、金が俺のそろばんを飲み込んでいく!」
狸穴堂の店主が、腰を抜かして叫んだ。
彼の商売道具であるそろばんに、床から伸びた黄金の触手が絡みつき、珠の一つひとつを純金でコーティングしていく。
それは富の象徴というよりは、すべての価値を「あかりの愛」という一点に収束させようとする、恐ろしい「同化」の光景だった。
「環さんのバイタルデータの投影はどうなっていますか」
あかりの声は、どこまでも澄んでいた。
カウンターの下で、自分の指が黄金に固められようとしているのを見て絶望していた教祖は、震える声で答えた。
「……無理だ……もう、私の能力を越えている。この金塊に込めた『指向性』が強すぎて、現世の物理法則が悲鳴を上げている」
「環さんがいない世界など、不浄です」
あかりはそう言い切ると、ついに完成した『黄金の環さん(半纏)』の前に立った。
何億円分の黄金のほとんどを注ぎ込み、あかりの記憶と法力、そして教祖の言霊データによって肉付けされたその像は、今や鈍い光を放ちながら、微かに「呼吸」すらしているように見えた。
黄金の像は、ゆっくりと、しかし確実に「環 丈一郎」の癖そのままに、首の骨をポキリと鳴らした。
『……ああ、もう。……腰が、腰が鉄板みたいに重てえよ。いい加減にしろ。……一円の徳にもならねえだろ、これ……』
「環さん……! ああ、環さん……!」
あかりは感極まった表情で、その黄金の胸板に顔を埋めた。
ループ再生される音声。
黄金が奏でる、重苦しい「世知辛さ」。
あかりにとって、この店は今、全宇宙で最も清浄で、最も満たされた場所に昇華されていた。
店外では、深夜の熊本の街が静まり返っている。
だが、環古書店のシャッターの向こう側では、一千万の価値を持つ金塊が文鎮として投げ捨てられ、数千万の黄金が雨漏り対策として天井に塗りたくられ、教祖が呆然とし、狸が延滞料の代わりに黄金のそろばんを抱えて泣いている。
「見てください、環さん。この店はもう、誰にも汚されません」
あかりは、黄金の半纏の袖をそっと引き、レジカウンターの中へと導いた。
黄金の像は、ガチャン、ガチャンと重々しい音を立てて椅子に座り、あかりが供えた「白檀の香りがするお粥」を、食べることのない口でじっと見つめている。
あかりはその足元に跪き、まるで聖母のような、あるいは地獄の主のような、どこまでも深く暗い微笑みを浮かべた。
「貴方が異世界でどれほど『負債』を抱えようとも、私がこの現世で、すべての黄金を使い果たして、貴方の帰る場所を『聖域』に保ち続けます。……例え、この店が黄金の重みで地盤沈下して、奈落の底に落ちようとも」
店内の照明が、黄金の反射を受けてチカチカと点滅し、やがて完全に沈黙した。
暗闇の中で、あかりの瞳と、黄金の像だけが、世知辛く、そして魔的な光を放ち続けている。
環古書店、それはもはや「店」ではない。
四方あかりという女が、環 丈一郎を幽閉し、愛でるために作り上げた、世界で最も贅沢で、最も孤独な「黄金の牢獄」へと完成したのだ。
「救済の準備は、あと少し。……さあ、環さん。次のお話を聞かせてください」
黄金に覆われた密室で、狂った巫女の笑い声だけが、夜の帳に溶けていった。
それは、後に異世界を震撼させる、その狂気と資産をすべて注ぎ込んで作り上げた、最悪のプロローグだった。
【作者より】
あかりのクレイジーさを極限まで高めてみました。
この現世での「黄金の牢獄」の完成が、いずれ異世界での丈一郎とどうリンクしていくのか……。
皆様のブックマークや評価は、あかりの「愛」の重みになります。
これからも、この世知辛くも狂った物語をよろしくお願いいたします!




